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守りを覚えたら 賢い攻めを

COVID-19の患者数・死亡者数ともに世界一になったアメリカでは、ウイルスとの共存を前提に「それでも少しでも安全に事を進めるにはどうしたらいいか」というひとたちと「COVID-19なんてウソ」「あれで死ぬなんてウソ」というひとたちとが社会のあちこちで戦ってる感じがする。

後者の(多分恐怖感から)事実を受け入れない、認めない人達は置いといて、「病気を軽く見てはいけないけれど、じっと息を潜める以外のことは何か出来ないか」ということを考え、行動している人達や団体に 心から素晴らしいなぁと思うのだ。

我が家には大学生になったばかりの娘と、高校3年生の息子がいる。

娘の学校のある場所は その自治体が「学校を開けてはいけない」という政令をだしているので、娘は引っ越しをせず毎日自宅で授業を受けている。大学もいろいろCOVID-19の状況と学生が享受すべき教育のチャンスとのことで考えているようだが、マンモス校ということもあるのだろう、学生の親の目からは、今後にむけての新たな取り組み、みたいなのはまだ見えない。

一方で、息子の学校のほうは、昨日オンラインでの「父兄説明会」があった。2週間後に新学期が始まるのだが、先日から「今学期は上級生(中学・高校生)の新たな授業のやり方をする」というメールが頻回に届いていた。

簡単に言えば、

各学年を2グループに分け、1日おきに各グループをオンライン・学校での授業、というのを繰り返すというのだ。

授業は特に特別な機材などを使わない限り、「校庭(芝です)」でやるそうだ。11月なかばのサンクスギビング辺りまでの学期はそれで行く、と。

学校内はマスクは必須。安全距離(ソーシャルディスタンス)と手洗いは、とにかく先生が注意を促して守らせる。
ランチルームは「grab and go 選んで買ったら、そのまま外に出て食べる」の方式で。
学校で授業なんて子供が感染するのが怖いから全部オンラインがいい、という希望ももちろんOK.

この説明を先日から親に、そして各学生にメールで知らせ、質問をメールで受け付ける時間を取った上で「オンライン説明会1時間」のうち45分は質問に答える時間、という形をとっていた。

この学校は私立だからこれが出来る、ともいう。人数も少ないから。
けれど先生方の「学生が 現状で最高のチャンスと教育を受けられるように、学校として出来ることは何か、不安をひとつずつ潰すために学校が準備することはなにか」を真剣に考え、学生と家族に情報を共有し、出来ること出来ないこと、心配なこと、全員の協力がなければ出来ないこと、万が一感染者が出たときに現時点で決まっているプロトコールなどなど、熱い想いが感じられたのだ。すごい事だと思った。

やれることは何か、やれることは全部やって行こうという姿勢にちょっと感激した。そこには「怖いから安全策をとって、今は何もしません」の先に私達がやっていくべき姿勢が見られるのだ。


説明を厭わない。ありとあらゆる不安の可能性、質問の可能性を考え、ちゃんとその答を考えている。


確かに小さい学校だからやりやすいし出来ることだ。けれど、それを実行する思いや熱意は、当たり前のコトではない。


そういえば6月の娘の卒業式のときも、最後の最後まで準備の話し合いが続いたようだが、無事に卒業生全員が集まって、2名までの「その子の卒業を心から祝えるひと」が同席を許されて、ちゃんと学校の伝統的な卒業式の内容を網羅して、最後は「花火を上げて祝う」という特別な演出もしてくれた。十分な距離を取った座席配置でも「心配だ」というひとは、車の中からの参列も許された。座席には人数分のマスクと消毒ジェルと、水のボトルと式次第の入った手提げが準備されていた。

卒業生に寂しい思いをできるだけさせないこと。心にのこる式にすること。そのためにできる限りの安全への配慮をすること。

あの時も学校のチャレンジする姿勢が見られて感激した。それだけで、そういう先生達に教われた娘でよかったと思った。


病気が怖いから「ウソだ」と否定するのは言わずもがな、怖いから「誰も彼もが息を潜めるように生きるべきだ」というのももう、時代にそぐわないのだとおもう。

正しく恐れて正しく予防し、そのなかで最大限出来ることを探す。こういうところはアメリカの素晴らしいところだ。

感染者数が減らないどころか増えているのは、まぁ周りを見ていればさもありなん、ではある。だって、正しく怖がることをしていないもの。


状況を冷静に判断し 賢く生きる事 って、そんなに難しい事ではないような気はしている。


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