うつ病の診断が下る前日・当日・翌日

①前日

月曜日。
いつも通り憂鬱な気持ちを抱えながら出勤した。
できるだけ朝の挨拶はするように心がけているが、苦手な看護師さん(以下、Aさん)には挨拶出来なかった。怖かった。

Aさんは、仕事のできるベテランさんだった。
気の強い方で、所謂お局さんであったと思う。

私は医療事務として働いており、某診療科の受付を担当していた。
この日の診療科の受付担当は午前は入社1年目の私と私より後に入ったパートさん、午後は私とベテランさんだった。
正直、入社1年目にも関わらず先輩が付いていない状態は、負担だった。

午前中、私とパートさんは分からないことや、自分たちでは判断できないことをたくさんAさんに質問した。
Aさんが忙しいのは分かっていた。
それでも私たちだけで判断して患者さんを困らせてはいけないと思ったので、質問するしかなかった。

昼休憩から戻り、Aさんが私とパートさんの陰口を別の科の受付さんに言っていたのを偶然聞いてしまった。
忙しいのに質問されまくって迷惑だ、ちゃんとしろ、みたいなことを言っていた。
また、私とパートさんを馬鹿にしたように高い声で声真似しているところも聞いてしまった。
きっと仕事のできない私はどこかで陰口を言われているのだろう、とは思っていたが、実際に聞いてしまうとダメージが大きかった。

午後の仕事は身が入らなかった。
Aさんの陰口が頭から離れなかった。
仕事中も何度も泣きそうになった。
でもみんなが忙しい中迷惑はかけられないと思い、泣かなかった。
午後は午前より落ちついていて、Aさんに質問することも、話すこともなかった。

仕事が終わり、職場を出ると、その瞬間涙が溢れ出した。
外で泣くのは良くないと思い、我慢しようとしても、涙は止まらなかった。
その後帰宅し、ご飯を食べている時も、寝る前も、布団に入ってからも、ずっと涙が止まらなかった。
大好きで帰宅後の日課だったゲームもSNSも出来なかった。

明日は休みだ、明日はかかりつけのメンタルクリニックの予約外診察日だ。
前々からこの日は絶対に受診しようと決めていた。
うつ病や適応障害などの診断名は付くのか、仕事を休むことはできるのか、とても不安だった。
ただ、一時的に落ち込んでいるだけでは無いのか、自分よりもっと酷い状態の人はたくさんいるしこんな程度じゃ先生にも取り合ってもらえないんじゃないか、ずっとそう考えていた。


②当日

火曜日。
朝イチでメンタルクリニックへ向かった。
向かう途中も涙が止まらなかったが、到着するとおさまった。
待ち時間は、緊張と不安で押し潰されそうだった。

少し待って、診察の順番が来た。
先生に最近の症状をお伝えした。
4月はもうシフト決まっているので、5月からでも休めないか、1ヶ月程度で良いから休めないか、と伝えたが、先生はその状態なら即日休みなさい、3ヶ月は休まないとダメだと言ってくれた。
そう伝えられた瞬間、また涙が出た。
診察中にも関わらず、静かに泣いてしまった。

診察が終わり、診断書をもらって帰宅した。
診断書に「うつ病」と記されているのを見て、安堵とショックの両方の気持ちになった。

帰宅後、診断書をもらったので休職したいという旨を職場に電話した。
電話するのが怖くて仕方なかった。
緊張しながらも無事に電話を終え、明日朝イチで直属の上司と面談しようということになった。

この日はそれ以上何も出来なかった。
母にうつ病の診断書をもらったと伝えたら、マジかと言われ、深くは追求されなかった。
母ならそうするだろうと思っていたため、私にはそれが嬉しかった。

診断書をもらったところで即日仕事を休むことが出来るのか、不安で仕方なかった。
来月のシフトも決まってるし直前で休んでしまっても良いのだろうか、多くの人に迷惑をかけてしまうのではないか、などと考えていた。

また、職場に病気を打ち明けるのがすごく怖かった。
特にうつを匂わせるようなことはしていなかったから、みんな驚いてしまうんじゃないかと思ったからだ。
私はそれまで仕事中に泣いたことはなかったし、体調不良を訴えることもなかった。
一度だけ腹痛で遅刻することはあったが、それ以外の遅刻早退はなかった。
仕事は出来ない無能だったが、勤務態度は真面目だったと思う。

この日の夜は不安で仕方なくてなかなか寝付けなかった。
睡眠時間3時間くらいだったんじゃないかな、と今になって思う。


③翌日

水曜日。
いつも通りに出勤し、いつも通りに業務を開始した。
普段は爆睡する通勤時間も、寝れなかった。
診断書と一緒に、緊張を抱えていた。

この日は私の担当科は先輩のBさんと一緒だった。
Bさんはいちばん一緒になることが多く、いつも本当にお世話になっている方だった。
Bさんに診断書の件を伝えるのが申し訳なくて仕方なかった。

朝イチで電話がかかってきた。
うつ病の診断を持っている私が出て状況を悪くしてはいけないと思い、出られなかった。
Bさんに出てもらった。
手が空いているクセに後輩の自分が先輩に電話に出てもらうなんて申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
一応情報を共有してもらったが、複雑な内容だったため、更に申し訳なさが増した。

結局、Bさんに診断書の件を伝えられたのは業務開始から1時間後だった。
診断書を持っているとは言ったが、うつ病だとは言えなかった。

上司と面談し、即日での休職が確定した。
また、今日はこれで帰宅することになった。
Bさんに伝えるのは申し訳なくて仕方なかったが、伝えないといけないことだったので、恐る恐る伝えた。
Bさんに「気づけなくてごめんね」と謝られたのが印象的だった。
私は咄嗟に「Bさんは絶対に悪くないです」と伝えた。
Bさんに責任を感じてほしくなかった。

こうして私は職場をあとにした。
職場の滞在時間は2時間にも満たなかった。

退勤時も涙は出なかった。
放心状態だった。
家に着くまでの道のりをいつも以上に長く感じた。

帰宅してからも、しばらく放心状態でいた。
母に休職になったと伝えたら、深追いはせず分かった、と言われた。
母のサバサバとした態度が嬉しかった。

何もする気が起きなくて、布団に入り、寝ることにした。
これからの不安でいっぱいになった。
ちゃんと復職できるのかな、部署は変えてもらえるのかな、うつは治るのかな、そんな考えで頭が埋めつくされた。
そして、疲れが出たのか、涙がまた溢れ出した。


こうして、私のうつ病休職生活は幕を開けた。


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