"弱者男性"が生きづらさから解放されるためには

こんにちは、鳥です。
久々のnote公開となります。

実は僕も、かつては自分を「弱者男性」と考え、恋愛や結婚にこぎつけられないことによる生きづらさ・無力感を感じていた時期があります。
ですが、今では自身の変容を通じて、乗り越えることができました。

今回は、僕の体験談や各種の情報を元に、生きづらさから解放されるためのステップを指南していきたいと思います。

そもそもなぜ弱者男性だと思うのか?

直接的な理由を列挙すると、概ね以下に集約されそうです。
・彼女が出来ない
・結婚ができない
・家庭を持てない


すなわち、「異性と関わりを持てない」「人生のロールモデルを歩めない」という点において「弱者」であるということでしょうか。

では、なぜ「異性と関わりを持てない」「人生のロールモデルを歩めない」と「弱者」と思うのでしょうか。
それには男性社会の価値観(ホモソーシャル)が大きく寄与しています。

男性社会では、家父長制(男性たる家父長が家庭で指導的・優越的地位を持ち、権力を行使し、妻子を養い管理する)に基づいた、権威主義的なロールモデルがあるべき姿とされます。旧来の「男性は結婚したら大黒柱として仕事に没頭し、妻子を養う」というロールモデルがまさしくこれに該当します。

この制度に基づく支配関係を温存させ、これに基づく社会の秩序を継承していくために、上記のような画一的ロールモデルが「あるべき姿」として強く推奨されたのです。
歴史的には、武家社会の進展に伴い、室町時代ごろから支配階級の間で広がり、明治時代に至って旧民法のもとで「家制度」として制度化され、庶民に定着した経緯があります。

戦後、民法が改正され「対等な夫婦」というモデルに変わりましたが、肝心の働く環境は保障されず、高度成長期にかけて性別役割分業が固定化されていったのです。いわば実態と乖離した方向になっていきました。

この呪縛は現在も残っています。「男たるもの素敵な奥さんと結婚して家庭を持ち、妻子を養うのが幸せだ、男の本分だ「家事をしてくれる素敵な奥さんを所有することが男の本領だ」という「男らしさ」の刷り込みによってです。
根源的には本人の自発的意思ではないのですが、幼い頃から様々な形で周囲の人々や社会から巧妙かつ繰り返して刷り込まれることで、いつしか本人の自発的意思と一体化し、自分でそれを自覚することが難しくなります。

しかし、結婚できなかったり彼女が作れないとなると「本来得られるものが得られない」「妻子がいれば幸せなのに」と劣等感を抱くようになります。いわば「男性の考える"本来得られるものが得られない"から、自分を弱者男性だと考える」ようになるわけです。

これには社会的な後押しもあります。現在の社会は、発信力や影響力の大きい意思決定層の多く(ほとんどと言っても過言ではない)を男性が占めていることもあり、ホモソーシャルの権威主義的な序列を重んじる価値観が企業をはじめ社会に広く行き渡り、性別を問わず人々にも浸透しています。
今でこそ自分らしさが尊重されるようになりつつありますが、男性が所属するメインコミュニティとなる「企業」では、まだまだホモソーシャルの価値観が主流な組織が多いのではないでしょうか。

役職や年功、実績などで上下や優劣をつけ、権威に対する忖度と秩序を重んじる。特に古き良き日系企業や営業系・現場系の組織では顕著かと思われます。そして営業系の組織では「競争を是とし、勝者を尊び敗者を蔑む」文化もセットで加わります。

こうした事例もあります。
1996年に広島県でタクシー運転手が連続殺人を起こす事件がありました。
当時は学歴神話と大企業・公務員信仰とそれに基づく単一的価値観が今より根強く、それ以外のあり方が市民権を得ていなかったこともあり、犯人は「国家公務員として地位・名誉を約束された生活を送りたい」という権威主義的な価値観を持っていました。ところが大学受験失敗から自暴自棄になり、借金を繰り返して飲酒や遊興に没頭し、やがて大学を中退し、タクシー運転手として就職するも「俺はタクシーの運転手なんかやっている人間ではない」と、自分の仕事にコンプレックスを持ち続けていました。

そんな彼もやがて女性を紹介され、結婚して子供ができ、マイホームを購入します。そこで彼は「家も持ったし子供もできた。これで世間も認めてくれる」と希望を持ったようです。

ここで注目したいのは、「自分がそうしたいため」ではなく、「世間に認めてもらうため」に女性と結婚し、子供を持ち、家を購入している点です。
いわば、ホモソーシャル的な社会の「あるべき像」に適合することで「それ見てください、私はきちんと女性を手に入れられる人間なんですよ」とアピールしたかったのではないでしょうか。

これが「弱者男性問題」における本質の一つでもあります。自分ではなかなか気付けないのですが、実のところは
「世間に認めてもらうためのツール」としての「女性」が得られないから、それに対して劣等感を抱き、自分を「弱者男性だと思い込むようになる」わけです。

弱者男性でいると何が問題なのだろうか?

問題は色々ありますが、端的に述べるならば「自分で劣等感を募らせ、女性を"自分を選ばない傲慢な存在だ"と認知を歪ませて加害行為に走ったり、最悪の場合は究極の選択を取ってしまう」ことです。

そもそものきっかけが「女性が得られない」ことであるため、よほど自省心が強かったり、予備知識があったり、メタ認知が出来る人でない限り、単純に「自分を選ばない女性が悪い」と考えがちです。
実際にはこれは誤りなのですが、そのように感じてしまうのです。

そして女性嫌悪(ミソジニー)を加速させ、「インセル」(不本意な禁欲主義者)になっていきます。
詳細はハフポストの記事に詳しく述べられていますが、「全ての女性は(見た目に関係なく)、セックスする相手を見つけることができるのに、(醜い)男性はお金を払うか強制しない限り、セックスできない」という歪んだ考え方を持ち、暴力性を加速させていくのです。

結果として、米国などでは大量殺人事件にも発展しています。本邦でも、小田急線における殺人未遂事件などの例があります。また、ネット上では彼らによる女性に対する過激な発言、男性による女性嫌悪を煽るようなデマゴギー的ツイートなども度々見られます。
後者に関しては、自分の考え方は間違っていないという「再確認」のようなものでしょうか。

「弱者男性」でいることは、自分を苦しめるのは勿論、他人をも苦しめるのです。

もう一つは「雁字搦めになってしまい、幸せを実感できなくなる」ことです。
彼女がいないのは不幸、結婚できないのは不幸...といった価値観の呪縛が、「自分らしい幸せ」を握り潰し、「自分は男らしく女性に認められる存在ではない」「今は不幸だ」と強く反芻させてしまうのです。根源的に本人の自発的意思によるものではないにもかかわらず。

そういった価値観に囚われなければ、自分らしい「幸せ」の状態にあるかもしれないのに、外部からの価値観に囚われて「不幸」だと思い込んでしまう。

僕も以前このような状態になっていて、自殺を真剣に考えたこともあります。ですが様々な変容を経て、その状態から抜け出すことが出来ました。

弱者男性と「男らしさ」

弱者男性と「男らしさ」はセット、というよりは「男らしさ」があって「弱者男性」が成り立ちます。
というのも、先述した通りで「男らしさ」の刷り込みの結果として「自分は弱者だ」と思い込む結果になっているからです。

これが刷り込みであることを自覚するのは難しいのですが、「本心でそうなのだろうか」「自分は本当に自発的に恋愛がしたいのだろうか」「社会が"それは不幸だ"と言わないならば、自分はそうするだろうか」等を考えてみると、少しずつ呪縛を自覚し、男らしさの呪縛が融氷のように溶けていくかもしれません。

男性が思うのと違い、女性は男らしさを求めていない

男性は、同じ男性からの刷り込みもあり、「女性は強い男らしさ(頼りがい、強さ等)を求めている」と誤解しがちです。

これは、男性が見た誤解です。実際には力で女性を萎縮・服従させて自分の思うようにする強迫行為をしているだけなのに、それを「モテている」と歪んだ認知を持つ男性がこうした見方を広めているだけなのです。

男性に置き換えるとわかりやすいでしょう。たとえば、あなたが飲み屋街で強面でマッチョな客引きに声をかけられ、圧もかけられて無理に言いくるめられ、断ったらキレられると思って付いていってしまったとします。
その時、「男性は強くて怖い男が好き」と言われたらどう思いますか?
「ふざけるな」って思いませんか?

つまりそういうことなのです。「女性は強い男らしさを求めている」というのは、実態と乖離した「女性を力で抑え込みたい男性による嘘の喧伝」なのです。皆が皆そうだとは言いませんが、少なくとも多数派ではないでしょう。

「強い男らしさ」は、権威を重んじ、「女性を格下扱いして守る」という点において「加害の信念体系」と親和性が高く、ほぼ同一と言っても過言ではありません。端的に言えば、DVやモラハラ≒強い男らしさ、なのです。
わざわざDVやモラハラを好き好んで受けるような女性はまずいません。同様に、DVやモラハラをするような性格を求める女性もまずいないでしょう。

では何を求めているか。僕が様々な女性と話したり、交際したり、事例を観測してきた範囲では、「誠実さ」「穏やかさ」「優しさ」「対等な尊重」です。
いわば上記のツイートで言うところの「ケアの信念体系」を求めています。

強さではなく、穏やかさを求めているのです。
ところが、ホモソーシャルでは「軟弱さの証拠」「弱い」などと、「女性を従わせられない甲斐性のない男」として否定的な評価になるのです。これが対照的です。

だから、無理して「強い男になろう」とする必要はありません。むしろ逆効果ですし、やるべきではありません。
弱者男性と自認する人の中には、「自分は弱い」と思っている方も少なくないかと思います。
でもそれが「自分の長所」なのです。加害の信念体系と親和性の高い男性社会の刷り込みによって「それは短所だ」と思い込まされているだけなのです。
僕自身HSP気質であることもあり、かつては「自分は男らしくない。女性に選ばれるはずがない」と他の男性からの刷り込みもあって否定的に捉え、自信を無くしていましたが、女性が必要としているのは、上記のような、むしろ「男らしくない」とされる点であると気づき、自信を回復させることができました。

ケアの信念体系を持つ男性はかなり少なく、女性にとっても凄く嬉しい貴重な存在です。だから卑下することはまったくないし、すごく不憫でもったいないと思います。

相手を性的対象ではなく一人の人間として尊重し、穏やかに傾聴しつつ接することができれば、それだけで理想的な存在にかなり近づきます。
ミソジニーを内在化した「モテ」男性による「女とはこうやって接するんだ」というアドバイスを真に受ける必要はありません。

どうすれば生きづらさから解放されるのか?

(1) 女性と恋愛し結婚できるように努める
もっとも単純かつ直接的な解決策です。実際、そのために自分磨きをしたり、出会いの場に赴く男性も多いです。
ところが、認知を変えるわけではないので「男らしさ」の呪縛下にある状況は変わりませんし、仮に結婚できたとしても次の壁にぶつかる可能性も低くありません。
更に言うと、その過程で余計に「女性は選ぶ立場の傲慢な人間だ」という認知の歪みを募らせ、加害行為に走ったり、結婚できてもモラハラやDV等によって相手を苦しめ、追い詰める結果になるかもしれません。

これ自体は悪いことではないのですが、いわば対症療法で、様々な怨念を残したままなので「幸せ」とは程遠い結果になりかねません。
だからこそ、これ単体ではなく、後述のように認知を改めるのがセットで必要になってきます。

(2) 収入を増やす
もし収入が原因で弱者男性だと感じているようであれば、収入を増やすという手があります。これも単純かつ直接的な解決策ではありますが、自信をつけ、余裕を得る上でも重要です。

転職や昇進などが具体例ですが、「そんなことができるなら苦労しない!」と言う人もいるかもしれません。そこでおすすめしたいのは、ウーバーイーツ等の配達員をすることです。自転車かバイクがあれば良いですが、自転車はシェアサイクルもありますし、最安であればバッグとスマホホルダー、モバイルバッテリーで8000円程度の投資で始められます。

僕もウーバーイーツ配達員になって、これまで得たことのない高収入を手にすることで、自分に自信が付き、「弱者」という意識がいつの間にか無くなっていました。

ただ問題なのは、いざ収入を増やして女性と関係を持ちやすくなったところで、「やっぱり女は金目当てじゃないか」という見方になってしまうことです。確かに間違いではないのかもしれませんが、そうなる背景には「男性が働き、女性が家事育児を担う」性役割分業の考え方や、家父長制に基づく種の存続のために女性から自立性を奪って低収入に追いやることで、「稼ぐ男性」との結婚を促し、家庭に隷属させてきた性差別的なあり方があるのです。現に、フルタイム労働者でさえ賃金水準は男性100に対し女性は74にとどまります。


女性も「本当は性格や価値観が合う人と結婚したいが、将来や子供等を考えると嫌でも一定の収入を求めざるを得ない」というのが実情で、選択肢が狭められているのです。
決して本人の純粋な自発的意思(いわゆる選り好み)によるものではないことを認識して頂ければと思います。
中にはそういう人もいるかもしれませんが、僕の知る限りではごくわずかか、一部の男性によって女性嫌悪を煽る目的でスケープゴート化された「虚像」である場合がほとんどです。決して一般的なものではありません。

だからこそ、認知を改めることが必要不可欠です。そして、逆説的ではありますが、賃金格差をはじめとした女性差別に声を上げることが、この問題の根本的解決に繋がります。

(3) 自分が本当に「女性を求めている」のか、女性に何を求めているのか、なぜなぜ分析方式で自問自答する
個人的におすすめの方法です。有名なトヨタ生産方式の一環たる「なぜ?」を5回繰り返す方法に近いです。
たとえば、こういった具合です。

・なぜ不幸なのか?→女性と付き合えないから
 ・なぜ女性と付き合えないと不幸だと思うのか?→自己肯定感と承認欲求が満たされないから
   ・なぜ自己肯定感と承認欲求を満たす手段として「女性と付き合う」と考えたのか?→女性は自分をケアしてくれる存在だから
   ・なぜ女性にケアを求めるのか?→女性らしい暖かさを必要としているから
    ・それは同性間では厳しいのか?→同性間でケアしようにも「何こいつ」って言われそうだし、気持ち悪いし、肉体接触がないと満たされないから

こうして掘り下げていくと、自分の認知の歪みや、刷り込まれた外部からの価値観およびその問題点を浮き彫りにすることができます。
(1)や(2)と違って即効性があるわけではありませんが、問題の根本的解決や認知の改善に繋がります。

上記の例で言うと、要因は自己肯定感と承認欲求の不足であり、それを満たすための手段として「女性の暖かさ」を求めています。

ここまでわかれば満たすために女性を求める、となるかもしれませんが、その前に考えてほしいことがあります。
それは「無意識のバイアスに囚われていないか」ということです。

ここでいうと、「女性は優しく暖かい。男性間でのケアは気持ち悪いし受け入れてくれない」というものです。
事実としてそうなのかもしれませんが、これこそが自分のジェンダーバイアスに気づく第一歩です。自分と見つめ合う時間だと思って、謙虚かつ冷静に、自分を大きく見せようとせずやっていただければと思います。
「あれ、女性にケアの役割を押し付けている自分がいるな」と気付けたら、前進です。それが「甲斐性や収入を求められる生きづらさ」からの解放にも繋がります。

ここで必要なのは、社会の「当たり前」像や「常識」に囚われないことです。おそらくは社会の「当たり前」像に順応した結果として「弱者」だと思うようになったのではないでしょうか。
だからこそ、そういった社会的な像は抜きにして、常識も無視して完全にプレーンな状態で考えてみると本心により気づきやすくなるのではないかと思います。

(4) 「本当に○○がしたいのか?」と自問自答する
「自分は本当に結婚がしたいのか?」「自分は本当に子供を持って妻子を養いたいのか?」といったものです。旧来の性役割的なことを本当に自分がしたいのか、(3)で述べたなぜなぜ分析を交えて自問自答します。

僕はこの過程で、「子供は欲しくないし、当然妻子を養おうとも思わない」と感じました。結婚についても、「お互いの心の拠り所として、また相手に献身することで自分の自己肯定感をも高め、QOLを上げ、生活のリスクヘッジとしたい」と感じました。自分が本当に求めているものを明瞭にする上で、必要不可欠と思われます。

僕のように、もしここで「本当はそうしたくない」とわかれば、それは外部かの刷り込みによるものであると気づくことができます。

(5) 自分が本心だと思っていたことが外部からの刷り込みであることを自覚する
(3)(4)を繰り返していくと、やがて自覚することができるようになるでしょう。
たとえば、「稼いで家計を支える立派な旦那さんになりたい」というのが実は外部からの刷り込みであったと自覚することです。

本当は「自分一人で趣味に没頭して生きていきたい」と思っていたのに、外部からの刷り込みによって「それは悪だ」「相手がいないと不幸なんだ」と思い込まされ、自分で自分の気持ちに蓋をしていた自分に気づくことができるのです。

ここまでくると、外部からの刷り込みが自分をいかに呪縛していたか、ジェンダーバイアスがいかに多様な個人を型にはめて縛っているかに気づくことができるかと思います。
そうなると次のステップに移ります。

(6) ジェンダーバイアスから降りる
そうなると、自分を苦しめてきたジェンダーバイアスから降りるという選択肢が生まれます。男性だからと泣くのを我慢する必要もないし、大黒柱として稼ぐ必要もありません妻のキャリアを尊重し、家事育児に専念するのもむしろ素敵なことなのです。一人で生きていくのも、決して劣っていることではなく素敵なあり方です。
多様なあり方に触れていくことで、いかに自分が雁字搦めになっていたかを実感できるかと思います。ここまでくると、自分に合ったあり方を知り、実践していけるかと思います。

(7) 本当の自分が求める幸せを追求する
ここまでくると「異性を求める」という点に固執せず、様々な選択肢が見えてくることでしょう。相手の人権を侵害するものでない限りは、何をするのも自由ですし、尊重されることなのです。

僕は、「異性を求める」という点から降りきることはできませんでしたが、かつての「自分が稼いで素敵な旦那さんになりたい」から、「妻のキャリアを尊重し、相手をケアして貢献したい」というあり方に変わりました。

ジェンダーバイアスたる「男らしさ」の呪縛を自覚できていなかったら、こう考えることは不可能だったかと思います。
選択肢はたくさんあります。意外と道が開けてきます。

自分のような苦しみを味わせたくないと、ジェンダーバイアスや性差別の解消に声を上げ、性平等な社会を目指すことも素敵だと思いますし、その時は連帯できればと思います。

やってはならないこと

(1) 女性を悪者に仕立て上げて非難する
一見すると「女性が自分を苦しめている」かのように思うかもしれませんが、これは誤りです
弱者男性も女性もどちらも、苦しめている元凶は男性社会であり、かつ「男らしさ」を刷り込んだ人々や社会(たいてい場合は"強者"男性)です。

例えるならば、もらい事故によって自分に追突したドライバーをまるで悪意の加害者のように執拗に非難するのと同じです。相手は被害者なのに。

もしそのように考えている人がいたら、「そもそも女性はなぜそうするのだろうか?」と冷静に分析し考えるところから始めて、女性当事者のツイッターも見て自分の認識を改め、思い込みを解かねばなりません。

そうして的外れの負の感情をぶつけても何の利益も生まれませんただただ怨念と生きづらさが増すだけです。
仮に女性と交際・結婚できても、純粋な満足感は得られないか、あなた自身がDVなどで相手を加害する加害者になりかねません。厳しいことを言いますが、自分の幸せのためにも絶対のタブーであると心得てください。

(2)自分の本心と向き合わないこと
自分が弱者男性だと感じてしまうのは、端的に言えば外部からの刷り込みが原因です。すなわち、自分の本心ではないのです。

そのため、常識を疑い、冷静に自分の本心と向き合わないと、堂々巡りになって問題解決が困難になります。

手順については「どうすれば生きづらさから解放されるのか?」の項の(3)(4)(5)をご覧ください。

おわりに

これは僕自身の体験を踏まえて執筆したものです。

僕自身、年収が低くキャリアも不十分で男らしくない繊細な性格の持ち主です。それゆえに「女性に相手にされない」という劣等感を抱き、弱者だと思っていました。生きづらくて、自殺を真剣に考えたこともあります。

でも、女性はむしろ繊細な性格の男性を素敵だと感じることを知り、また男性が必ずしも稼ぐ必要はないことを知り、そして結婚=子供でないことも知り、自分らしい幸せなパートナーシップ像を構築することができました。

苦しまれている皆さんも、僕のように生きづらさから解放されます。そのための手助けとして、このnoteが参考になれば幸いです。

最後になりますが、お読みいただきありがとうございました。

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