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ラオスに溶け込む part2 出会い

ラオス ビエンチャンについて2日目

やっぱり今日もあてもなく
ひたすら歩く
ラオスの空気を感じて歩く

前日
日本のお知り合いのお知り合いに
ラオスのビエンチャンにいるなら
このお店に行った方が良いですよと
日本人経営のお店を2カ所紹介された

気持ちはありがたかったけれど
今回は尋ねるのをやめておくことにした

私は旅中(特に初めての場所では)は
なるべくその国の人との時間を過ごすことを第一優先にする

やっぱり私は溶け込む旅をしたい

今日もあてもなくふらふら歩き
飲食店以外のお店にはとりあえず立ち入ってみる
ラオスの人たちは
どんなものを食べ、どこで何を買い
どう暮らしているかを探っていくのが楽しい

そしてその流れで何屋かもよくわからず立ち入った
1つのお店。どうやらお土産屋さんのよう

「サバイディ」と声をかけてくれた男性の店員さんは
両手がなく、背が小さめだった

程よい距離感で
丁寧に接客してくれた

身体にハンディキャップのある人が
最前線で接客をしてくれるお店は日本でも多くはなく
当たり前に働いているこのお店の環境に、驚き感動

店内に置いてある品々も
他のお土産屋さんとは一味違う。
タイで作ったものを輸入して売るお土産屋さんも多いなか
ちゃんとラオスで、こだわりを持って作られているものだろう
品質もちゃんとしている

このお店を作って運営しているのはどんな人だろう
外国人の方なのかな(そういうお店が各国に多い)
とお店の方に聞いてみる


「ここのオーナーさんはどんな人なんですか?」
とレジをしてくれたラオス人の女性に尋ねると
「わたしですよ」と自信に満ちた笑みで教えてくれた


そして私の購入した商品を入れる袋を取りに
立ち上がると
彼女もまた少し背が小さく
足を引きずって歩いていた

「あぁ〜これは。。」

私のアンテナがピンと立った

彼女の話を聞かなくては。
ラオスに溶け込むため控えめモードにしていたのを
一旦停止。(前回の記事参照)

少しばかりグイグイとモードにギアを変更。

「私、あなたにめちゃくちゃ興味があるんだけど
ちょっと話を聞かせてもらえませんか?」
「もちろん、喜んで」

そこから立ち話で、あっという間に2時間。

彼女の名前はジャーといい
私より少し年上のラオス人の女性
生まれつき脚に障害があり
人と同じように歩くことができなかった

高校を卒業し
大学に行きたかったけれど
自分の足ではバイクに乗ることができず
通える大学がなかった

大学進学はできなかったけれど
もっと学びたいと
就職し、働きながら様々なことを学んだ

事務処理、経理、なんでも学びだった

やりたいことは自分のような
身体障害者への教育の機会と
働く場所を作ること

「ここラオスでは普通の人でさえ働く場所が少ないから
ハンディキャップの人たちは尚更働ける場所がないの。
教育も十分に受けられない、保障やサポートもない。
特に最近のラオスの経済の状況は最悪。
私たちはどう生きていけばいいの?
だから私は自分の同じような人たちに仕事を作っている」

芯が通った
強い決意と志がある人の、目と声だった

いつか必ず必要になると英語は
youtubeから学んだ。

ビジネスのはじめは仕事の後にナイトマーケットで
小物を売ることから始めた。
寝る時間は全然ない。
でもそれで全然よかった。
自分の使命だと思っていた。

そして5年前
遂に今の場所にお店を開いた。
少しずつ関われる人を増やしていくのが今の目標

「今は35名のメンバーたちに働く場を作ってるの。住み込みで働いているよ。明日見に来てよ〜。車でホテルまで迎えにいくからさぁ」とジャー。

あぁ。これは。
遂にわたしらしい旅が
はじまった

現地の人からの誘いは
溶け込む旅スタートの合図

明日からのことが
全く予想できなくて
これからの日々に
ワクワクしながらホテルに戻った


次へ続く


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