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負け惜しみと遠吠え

コロナ禍の衝動買い


どんな服が似合うのか
突然わからなくなったのが50代後半だった。
それはコロナ期。

「おでかけ」できない
口紅は2年ほど付けることはなかった。
髪は抜け、白くなり、体重は増えないが体型は変わる。
ザッツ50代。
デニムを3本回してなんとかしていた。

出かけられない、ネットで買う
あら、似合わないわ。
着る事がない服が増えた。昨年まとめて捨てた。

いいのだ「買った」という行為がその瞬間の福だったのだ。
無駄だろうが、「これ着たいな」という気持ちと
届いたときに「福」があったのだ。それでいいのだ(100%負け惜しみ)

大きな決意を持ち、クロゼットの服を全部取り出し
分別を繰り返した。
この年齢になると「体型的に似合わない」が明確になる。
それは良いこと。

捨てた。
売りたいが、それは「面倒」なのだ。
クレームきたら嫌だな。発送も面倒だな。
皺にならない畳み方はできないな。

至った結論はシンプルだ。

買わないのが福。

よって。
衣類を買う事をしなかった。
「分別」「廃棄」の手前を体感するとそうなる。いいことだ。
しかし、さすがに人に会う機会が増えると
「服を増やさなくては」となる。

それまで直感で購入していたが、悩んだ悩んだ。
でっかいユニクロを何周もした。結局ユニクロなんです。

今の自分に似合うか?
30代の自分を頭に浮かべていないか?
大丈夫か?
50代も超えたよ。
ただしちょっとだけ減量できているので
考える幅が広がったのは嬉しい。
髪色も、他の人とは異なるので

あの色はやめよう。消去法。
ボトムスはなんとかなるから買うのを控えよう。
数年着られるようにという考えはやめよう。
数年先がわからない切実。

結果レジに持ち込んだのは
シャツ2枚とカーディガン。自分なりに絞った。絞った。
ちょっと前までは衝動買いが常だったが、考えるようになってきた。

考え方が変わる=まだ伸びしろあるじゃん。

誤解です。

服は本当にわからない。
お金があればどんな服でも挑戦できるが、そうではない。
自分にご褒美できないと
服はただの身を守る布なのである。

参照、過去note

今年の購入の基準
・顔が明るく見えること
・手持ちのボトムスと合わせやすいこと
・髪色の邪魔をしないこと

ワンピースもいくつか欲しいものがあったが
ノースリーブは二の腕の敵。カーディガンを羽織っても涼しいか?ノン。
二の腕問題は非常にキツイ。

二の腕問題はまた後日にでも。


長袖は良いよ〜!日焼けしないしね(ここでも負け犬の遠吠え)

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