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私のカンマチの先生は元バレリーナでバレー学校の校長で画家で整形外科有馬医院のお医者様なんです。

私より少し歳上です。毎日2キロ歩くそうです。お酒も大好きだそうです。時には、社交ダンスの先生にもなるそうです。幾つになっても未来が観たいと呟き病院を取り巻く地域のお年寄りのマドンナなんです。ありがたいことに、freedomdictionaryを気に入って頂き待合室にも置いてくださっています。
痛くてパソコンに触れ無いときには、手の上の痛みのポイントにズバッと注射してくれます。2、3日は持ちます。点滴も温泉に浸かるようにホットします。まさにやすらぎの里です。私より若い人はほぼいません。看護婦さん以外は、みなさんとても暖かくユーモアに溢れています。16歳から半世紀余り住んだ東京では一度も経験した事の無いやすらぎがあるのです。背筋のピンとした美しいマドンナ先生からは、あなたなんでこんな田舎に来たの?と問われた時に、笑って京都に住んでみたかったのです。と応えました。愛に溢れた病院に出会えただけでもう充分本当に京都に来て良かったと思っています。
この病院で打った注射が原因で関節リウマチことカンマチに侵されていますが、あくまでもそれは呼び水であって、それまでの生き方そのものに問題があったのだと受け入れています。つまり、愛に溢れた病院なら病はみずからが招いた結果だと真摯に受け止めさせてくれるのです。


歳と共に少なからず欲望は薄まります。元々物欲は強くありませんが、強かった食欲は驚くほど減少しているようです。勿論アレやアレも、がらその分人の優しさや至上の愛を求めるのではないかと予想されます。頑丈な強固に張り巡らされたシステムの及ばぬ環境に身を置きたい思いは私に限らず増殖していくのではないだろうか、 NFTがweb3が未来を公平化するかもしれない。そんな夢をやすらぎの里で妄想するのであった。

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