見出し画像

涙腺がゆるむポイントについて検証する

涙腺がゆるむポイントについて考察する

ここ数年、涙腺がゆるみっぱなしで正直困っている。あきらかに泣くであろう映画は配信を待たなきゃならないし、ひとと話していてもいつ目が潤んでくるかわからないので油断ならない。なにより問題は、自分で涙腺のゆるむポイントがまったくわからん、ということだ。たんに歳をとりすぎたのかもしれない。

自分の涙腺のゆるさを自覚し唖然とさせられたのは、もうずいぶん昔のことになる。父親と喧嘩して家を出た若者が、数年後、東京で一人前のホストになり里帰りする姿を追ったドキュメンタリー番組を観たときだった。何の気なしに観ていただけだったが、気づいたら涙が止まらなくなった。しかし、いくら考えてみてもなんで涙が出てくるのかさっぱりわからない。この若者の身の上に、自分が感情移入するポイントが1ミリもみあたらなかったからだ。ひたすら当惑した。

つい先だっても、YouTubeを眺めていたところ、気づいたら目からじわじわ涙が溢れてきた。それは、新宿の大型ビジョンに映し出された「少女時代」の映像を誰かがスマホで撮影したものである。流された映像は、日本のSONE の有志(※SONEとは「少女時代」のファンダムの呼称)が「少女時代」のデビュー十五周年を祝って制作したものらしい。

たしかに、その経緯を知ればファンならずとも感動するだろう。こういうのはよく行われることなのか知らないが、発案したひとも実行したひとも素敵だと思う。とりわけ映し出されたテロップからは、長い時間をかけて培われた信頼によって結ばれたアーティストとファンとの深い絆が感じられる。そう思った瞬間、まるでスイッチを入れたかのように視界が涙で霞んでいた。

こうなってくると、もうなんでもかんでも泣くひとなのではないかと思われそうだがそんなことはない。寄席で「子別れ」や「芝浜」のような人情噺を情感たっぷりに演じられても、周囲の反応とは裏腹にかえってシラケた気分になることもあるし、テレビで「感動秘話」というふれこみで紹介されるエピソードも、もしや冷血人間なのでは?と自分で疑うくらいなにも感じないことも多い。

ところで、今年101歳を迎えたフランスの哲学者エドガール・モランは、現代はあまりにもなにもかもが散文的になってしまったと嘆く(エドガール・モラン『百歳の哲学者が語る人生のこと』河出書房新社)。その理由は、「(わたしたちが)生きることにおいて質より量を優先したことの結果」だというのがモランの見解だ。

ここから先は

2,427字 / 2画像

¥ 100

サポートいただいた金額は、すべて高齢者や子育て中のみなさん、お仕事で疲れているみなさんのための新たな居場所づくりの経費として大切に使わせて頂きます。