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154.勇ましい高尚なる生涯?

先日オンラインで飲み会をしたときのことだ。

参加していた友人のひとりが、生まれた以上なにかひとつくらいこの世に価値のあるものを残して死にたいものだと、まあ、そんなようなことを突如として口にしたのだった。オンライン飲み会といえども、われわれ「チーム・ソーシャルディスタンス」の面々はいたってまじめなのである。

おいおい、いきなりなにを言いだすんだ。ほら、みんな黙っちゃったじゃん。そんなふうに思わぬでもなかったが、たしかに自分のようになんの実績もなく子供さえいないような人間は、ただこの世界を通り過ぎるだけのあいまいな風にすぎないのはたしかだ。

後日、そういえば、とべつの友人が一冊の本をすすめてくれた。内村鑑三の「後世への最大遺物」というものである。内村鑑三といえば、思想家でキリスト教の伝道者として知られる。

タイトルは物々しいが、夏期セミナーのような場所で若い人たちにむけて話した内容を採録したものらしく読みにくいというほどではない。そして、テーマはズバリ「でもって俺らはこの世になにが遺せるわけ?」という疑問に答えるものであった。

後世に遺せるものについて、まず内村はおカネと才能というふたつを挙げる。事業に励んで大きな富を得て、それを浄財として後世の人たちに遺す。ブラボー。あるいはまた、天与の才をもつ者であれば、生涯を通じてその才能に磨きをかけ芸術や思想というかたちで後世の人たちを助けるのも立派な遺物である。まちがいない。

いやいや、ちょっと待ってくださいよ、内村さん。そんな特殊なケースばかり引き合いに出されたところで、おおかたの人間は「やっぱ俺にはなんも遺せるものなんかないじゃん」と挫折感に打ちひしがれるだけですよ。

そこで3つめの、そして誰にでも遺すことのできるものとして挙げられるのが

勇ましい高尚なる生涯

である。

いや、勇ましいとか高尚とかさらに無理ゲーな感じがするのだが。そこで、後半ではそれがいかに誰にでも可能かということが具体例とともに説かれる。

ここで重要なアクションプランは、なにを遺すかということよりも、いかに生きるかということにより心を砕け、という点にある。ひとりの市井の人が、苦難にもめげず地道な努力を重ねて日々歩むその生き様こそが、後世の人たちにとってはそのまま道しるべとなり、また希望となるからである。

歴史家のトーマス・カーライルは、何十年もの歳月をかけてようやく力作の論文を完成させた。友人のひとりが、出版前のその論文を読んで絶賛した。べつの友人もまた、それを聞いて読ませてもらったところ大変な感銘を受けた。ところが、その友人の家のポンコツ女中が紙屑と勘違いしてそれを残らず燃やしてしまう。どんだけポンコツなのだ? 当然ハードディスクにも残ってないし、コピーすらない。

それを知った思想家は、たぶん手元にあった斧をひっつかんでポンコツ女中をぶち殺しに行きたいくらいには腹を立てたはずである。じっさい、もうなにもかも嫌になって小説など読んでくる日も来る日もふて寝して過ごしたらしい。

けれども、彼はあるとき気を取り直してふたたび執筆にとりかかる。そうして、長い時間をかけてようやく陽の目を見たのが『フランス革命史』である。だが、内村は、その著作そのものよりも、もっともっと価値があるのは、絶望からふたたび立ち上がりこの仕事をやり遂げたカーライルの姿だと言う。

カーライルのエライことは『革命史』という本のためにではなくして、火にて焼かれたものをふたたび書き直したということである。もしあるいはその本が遺っておらずとも、彼は実に後世への非常の遺物を遺したのであります。たといわれわれがイクラやりそこなってもイクラ不運にあっても、そのときに力を回復して、われわれの事業を捨ててはならぬ、勇気を起してふたたびそれに取りかからなければならぬ、という心を起してくれたことについて、カーライルは非常な遺物を遺してくれた人ではないか。

たしかに、たしかにである。なにかを遺そうと思えば、いま自分がやっていることに対する他者の目を気にせざるをえなくなる。なんなら、もっと一般にウケのいいことをやった方がいいんじゃないかなどと余計なことを考え出す。結果、やっていることが中途半端になる。

それに対して、内村が言うには、その業績が目立つものかどうかとか、生きているときに認められるとか、そんなことは気にかける必要は1ミリもない。大事なのは、なにをではなく、どのように、だからである。

まずは、これはと思ったことをひたすらやり抜く。泥臭くつづける。それも、だれか他人のためにではなく自分自身のために打ち込む。その真摯な姿に裏打ちされた言動こそがひとの心を打ち、やがては希望の灯となって後世の人たちを勇気づける。

勇ましい高尚なる生涯は、愚直に日々を生きるというその内にこそあるのだ。うむ、ちゃんとしなきゃ、って思いますね。

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