情報を必要以上にありがたがらない
228.正しい地図を描くには
情報が多いのはよいことだ。かつてはそう考えていたときもあった。でも、いまは思わない。
情報とは、目的地にたどりつくための手引き、いわば地図にすぎない。だから、地図には必要最小限の目印が書き込まれていさえすれば十分だ。
角にコンビニがあるというそのことが重要なのであって、そこで売られているバスク風チーズケーキの味であるとか、ときどき愛想のいいインド人のアルバイトがレジに立っているといったことはこの際どうでもいい。
しかし、地図が高精細すぎるとうっかり目的地のことを忘れて途中で寄り道したり、グーグルストリートビューを見ただけで行った気分になって目的地をめざすことすらやめてしまったりする。
そのむかし競馬をかじっていたころ、井崎脩五郎の予想はなぜあんなにも当たらないのか真剣にかんがえたことがある。あれほど大量の、しかも様々なデータを駆使しているというのに。
いや、おそらくそこにこそ落とし穴があるのだ。実際のところ、扱うデータが膨大すぎるのだ。「勝ち馬を当てる」という目的に到達する上で、たしかに情報は欠かせない。
だが、かならずしも量が多ければよいというわけではないのだ。完璧を期そうと思えば、あらゆる情報を仔細に検討したくなるのは人情である。が、かえってそれが仇となる。いつのまにか情報こそが目的にすり替わってしまうからにほかならない。天気予報が当たらないのもこのパターン。
予想を的中させるとは、まずなによりも必要十分な情報を見極める絞り込むことにちがいない。
情報をみずから取りにゆく検索エンジンの時代とちがい、なにもしなくても壊れた蛇口のようにとめどなく情報があふれてくるSNS時代のインターネットは、うっかりすると情報に流され、溺れるリスクを孕んでいる。
こうしたリスクに対し「遅いインターネット」を提唱する社会学者の宇野常寛と同じく、ぼくもまた無節操に流れ出る情報をろ過する浄水器のような役割をはたすウェブサイトをつくろうとしている。
情報量の多さに安心していると、ぼくらはいつまでたっても目的地にたどりつけないどころか、場合によっては思考停止してしまう。カフカの『城』みたいに。
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