あしたが見えないのではなく、あしたはまだ書かれていないだけ。
いまだストーリーの書かれていない物語を、いまぼくらは生きているのかもしれません。
いや、そんなのわかりきったことで、ストーリーなんてハナっからあるわけないのだ。でも、ありもしないストーリーをいかにもあるかのように思い込むことで、明日や来年、あるいは数十年先の予定など立ててきた。
そしていま、あらためて思うのだ。なんだ、この物語ってまだぜんぜん書かれてないじゃん!
不意にストーリーを見失って不安に感じていたけれど、そうかんがえると、そこまで気に病む必要はないのかもしれない。
先行きが見えないのではなく、先行きなんて最初っからなかったのですよ。アハハ。
言いかえれば、この世界にはまだまだ自分が好きなストーリーを書き込む「余白」が残されているということ。
昨晩、ラジオで村上春樹の特番を聞いた。村上春樹本人が選曲した「明るいあしたを迎えるための音楽」を、自宅の書斎からお茶の間に届けようという趣向。
若いころ、彼が国分寺でジャズ喫茶のマスターをしていたのはよく知られている。はたしてどんな曲を選ぶのだろう。熱心な読者ではないが、好奇心はある。
ニーナ・シモンの「ヒア・カムズ・ザ・サン」、ロナルド・アイズレーが歌う「雨にぬれても」そしてキャロル・キング「君の友だち」はデモ・トラックで。
「明るいあしたを迎えるための音楽」というお題に沿った楽曲が並ぶなか、番組のラストに彼が選んだのは、サン=サーンスのオペラ『サムソンとデリラ』からの有名なアリア「あなたの声にわたしの心も開く」だった。
やられた。これは思いつかない。19世紀につくられた最高にスイートなラブソング。意外だけど、いい選曲だなあ。
世界が変わるためにいま必要とされているのは、まさに「声」かもしれない。先行きが見えない不安は、同時に、いまだ書き込まれていない余白がそこにあることの証左でもあった。
こうしたい、ああしたい、そういう自分の心の声にもういちど耳を傾けてみるのだ。思い通りにストーリーが運ぶかどうかはともかく、思うままに書き始めるだけなら勝手である。いや、むしろそこからしかどんな物語も始まらないのだし。
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誰かが淹れてくれたコーヒーはおいしい
ここでは、カフェで常連のお客様にだけこっそりお話しするようなエピソードを書いています。固有名詞や少しプライベートに踏み込んだ内容も登場する…
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