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茨城弁いがっぺよ

歌誌「かばん」2018年12月号掲載(魅力度ランキング等は当時のものです)

 去る十月十五日、地域ブランド総合研究所による都道府県魅力度ランキング2018において、我らが茨城県は無事最下位と発表された。「のびしろ日本一」のキャンペーンも華麗にスルーされ、栗やらメロンやらレンコンやらの収穫量日本一、サバ類や真イワシの漁獲量日本一、ビールの製成数量も日本一、ついでに日本一の大仏も滑り台も神輿もあるぞ、と主張しても、素敵な観光地(袋田の滝とか筑波山とか霞ヶ浦とかアクアワールド大洗とかひたち海浜公園とか)があるぞと紹介しても、安定の六年連続最下位である。
自分の周囲の反応としては「かまごたねえ(かまわないよ)」という雰囲気である。今さら順位を一つ二つ上げてもしゃあんめえ(仕方ない)。こうなったらとことん最下位を死守した方が楽しかろう。昨年末には県知事から同研究所にいばらきイメージアップ大賞特別賞が授与されてるしね。経済効果百億円だとか。
 
 さて、というわけでいばらき弁である。
 まだ皆さんの記憶から消えてはいないと思うが、昨年度前期のNHK朝ドラ「ひよっこ」は、高度成長期の茨城県が舞台であった。当然、地元パートは茨城弁でのやりとりとなる。そして主役の有村架純をはじめ複数の出演者がインタビューで述べていたのが、茨城弁の難しさ=平坦さ、だ。
 そう、いばらき弁に抑揚はない。一本調子でまくしたてて最後に語尾が上がるのが正調である。自分が大学時代(地元の大学だった)、国語科教員の免許を取るために受けた講義で、元文部省(当時)の職員だったという教授は断言した。「茨城県にアクセント教育は必要ない(無駄だから)」
 これは地形とも共通している。茨城県を南北に縦断する常磐自動車道の下りを走ってみよう。都内から千葉県を過ぎ、茨城県に入って最初のインターチェンジは谷和原ICである。広々とした関東平野を見下ろしながら北へと進み、水戸ICを越えた辺りで関東平野が終わると地形が変わる。次第に山がちとなり、日立南太田ICからはトンネルが続き、阿武隈山地の縁を通って福島県に抜ける。つまり南から真っ平らな関東平野を抜け、北端でひょいと標高が上がる茨城県の地形を体現しているのが、無アクセント+尻上がりの茨城弁なのである。
 
 誤解……というか不正確に広まっているいばらき弁といえば、語尾の「っぺ」「べ」である。「頑張ろう」は「頑張っぺ」、「行こう」は「行くべ」となるのだが、これがどう不正確かといえば、いばらき弁は「だっぺ」で終わる、と十把ひとからげに解されているのである。
 いばらき弁で「…だっぺ」になるのは、標準語で「…だろう」となる文末なのだが、他地域の感覚では「茨城県民といえば『だっぺ』と話すかっぺ」なのか? 前述の「ひよっこ」効果でいばらき弁の話題もTV等で一時的に増えたが、地元では、「頑張るだっぺ」「行くだっぺ」とごじゃっぺを言われる度にいじやけてたんだかんね(でたらめを言われる度に、頭にきていたのですよ)。ちなみに「頑張るだろう」「行くだろう」という意味のいばらき弁であれば、「頑張るんだっぺ」「行くんだっぺ」が正解である。
 
 再び大学時代の思い出を語らせてもらう。他県出身で茨城県の国語の教員になったサークルの卒業生が、休みに部室に遊びに来るなり言った。
「聞いて。いばらき弁って、カ行変格活用がないの!」
 カ行変格活用とは、動詞「来る」だけの特殊な活用で「こ(ない)」「き(ます)」「くる」「くる(とき)」「くれ(ば)」「こい」という変化であることは、中学生で学習する内容だが、これがいばらき弁になると「キない」「キます」「キる」「キるとき」「キれば」「キろ(コー)」の上一段活用になるのである。とはいえ時代は昭和から平成に移る頃。ここまでディープな方言を使うのはよほどの田舎か年配者だけである。就職して初めて地元の年配者と関わり耳にした方言は、彼女にとってよほど強烈だったのであろう。そういえば別の先輩も「茨城だとタクシーの運ちゃんと話が通じない」とぼやいていたことがあったっけ。
 方言の程度は地域や年齢によるので、地元で教員になった自分も最初は苦戦した。自分が躓いたのは「い」と「え」の発音である。いばらき弁ではこの両者が曖昧、つまり、「いばらき」が「えばらき」になるわけである(いばらき弁ではカ行やタ行が濁音化する傾向があるので、正確には「えばらぎ」となる)。
 あるとき校長室に呼びつけられた。若輩教員が呼ばれることなどめったにないので、自分は何をやらかしたかとビクビクしながら入っていったところ、満面の笑みを湛えた校長がこう言った。
「ところで現在、エチュウノヒドハエラッシャエマスカ?」
 めんくらった。「エチュウノヒド」が「意中の人」、「エラッシャエマスカ」が「いらっしゃいますか」に脳内変換されるまで三、四回聞き返し、用件は見合いの押し付けだと分かって二度めんくらい、我に返ってあわてて断った。断られた物件は、その日のうちに自分より二歳若い教員に紹介されたそうな(彼女も断ったとのこと)。
 この「い」と「え」の置換、他にもいろいろと(私的に)混乱があった。中でも最大の問題は色鉛筆だった。子どもでも使うこの他愛もない文房具。ひとたび「エロインピツ」といばらき弁で発音されたとたん、およそ教育機関にはふさわしくない、何かよからぬ陰を帯びた用具に変容を遂げてしまうのである。
 
 参考 茨城県HP・Wikipedia「茨城弁」

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