ネットプリント「零一同盟」評
「零一同盟」は、北町南風、青藤木葉の2人による短歌ユニットであり、同名のネットプリントである。名前の由来は、2人がともに「2001年生まれであることから」とある。内容は、「少し暗めの青春詠」をテーマとした2人の短歌各10首と、相互評を中心とした短いエッセイである。
のっけから発行日が「〇月〇日」になっているのがいい。後から日にちを入れるつもりで忘れたのではないか、という不安も否めないが(笑)…。いつでもない日に発行されたというのが、01年生まれの2人にふさわしい。「零一同盟」の零にも係るし。
◆北町南風作品「朝は永遠を呼ぶ」◆
57577の定型に沿った素直な詠みぶり。定型のリズムに支えられて歌の世界が展開し、歌われた世界の韻律が定型のリズムを醸し出す。定型と歌との幸福な関係が感じられる。1首目「先生が枕草子と協同し教室じゅうにかける催眠」で始まる具体的な学校生活を歌った作品から、作中主体の思いを詠んだ歌へ流れる構成も工夫されている。テーマに据えた「青春」自体が抽象的なものであるため、中盤で歌われる青春性が既視感をもって読めてしまうのは仕方がないだろう。その中で、5首目の、
あの子より毎日人が殺されない平和が欲しい 花いちもんめ
に目を惹かれる。伝承遊びである「花いちもんめ」は、2組に分かれた子どもがじゃんけんの勝ち負けで組を行きかい、片方に子どもがいなくなったら終了する。その流れは戦争による領土の奪い合いと重なると同時に、「花」は死者への献花を連想させ、鎮魂のイメージをもつ。ロシアによるウクライナ侵攻の真っ只中という時節柄、この歌も即詠的に時事を詠んだものと捉えられかねないが、この歌は、特定の紛争に寄らない反戦歌として、時間がたっても評価される歌であろう(なお筆者は以前、彼の作品を読む機会があり、この歌が作者の高校生の時に作られたことを聞いている)。また、タイトルにもなった9、10首目。
群青の絵の具に少しずつ白い絵の具を足してゆく朝にいる
永遠を信じたいから英文のlastをいつもつづくと訳す
この2首は、未来を志向する作中主体の意志が感じられ、力強い連作の締めくくりとなっている。
◆青藤木葉作品「デッキブラシで飛べるから」◆
こちらは北町と対照的に、作者が言いたいことをひっさげて定型と対峙している印象を受ける。1首目「制服の群れに見つからないように上履きも体操服も黒ければいい」は、あえて5音の字余りを生じさせてまで「上履きも」という言葉を入れることに、確固たる意志を感じる。その後の歌にも、運動会でアンカーとなった「スイミー役の子」、白で汚される黒板、居残り給食の牛乳、といった、黒と白の色彩に託して、青春時代の焦燥感を思い起こさせるような描写がつづく。この葛藤に終止符が打たれるのが、8首目以降である。
信じればデッキブラシで飛べるから真っ直ぐ行くための助走距離
ブレザーと赤いリボンで魔女になる海の見えない街でも平気
黒猫のキーホルダーだけ知っているノートに書いた話の続き
1首目の「制服」は、作中主体が魔女になる衣服として「ブレザーと赤いリボン」という具体性を帯びる。3首目で詠まれた「『円を描くため』の『凶器』」は飛ぶための「デッキブラシ」に代わって主体は教室の外で助走をはじめ、4首目の「『すぐ汚され』る『黒板』」は、黒猫のキーホルダーに見守られたノートに変わって、黒板に書かれたことではない、主体自身の話を書きはじめる。これらの3首は、映画「魔女の宅急便」のイメージを用いながら、作中主体の心の飛翔を描いていると読めるのである。
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