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新版画 進化系UKIYO-Eの美/千葉市美術館

会期:2022年9月14日[水]~ 11月3日[木・祝]

大正から昭和にかけて作られた新版画。この数年、吉田博の作品が人気を博した事で、他の作家にも注目が集まり、国内でも常に人気を保っていた川瀬巴水の他にも、伊東深水、笠松紫浪、小原古邨、土屋光逸などの特集が美術館で組まれていた。江戸時代の浮世絵と比べるとデフォルメ要素は少なく、色使いや摺りの回数など洗練されていて写実的な表現が多い。かつての浮世絵が世相や、役者者のプロマイド、絵葉書のようなエンターテイメントに徹していたのとは違い、新版画はそれらの技法やスタイルを踏襲しながらもより写実的にオルタナティブな表現へと昇華していった。まず一つにこの時代になると写真が登場していた事と、西欧の文化や人との交流が盛んになっていた事が大きい。江戸時代の浮世絵にも蘭画など、海外の絵画からの影響があるが(北斎に限らず絵師は、歪ではあるものの遠近法を取り入れている)、この時代になると西欧文化はより身近なものだった。新版画の中心となった版元の渡邊庄三郎は、元々横浜の輸出会社に勤めていた事がきっかけで、ビジネスとしての浮世絵に着眼していた。渡邊は海外からのインバウンドや輸出向けに、浮世絵を再現したカレンダーを作り販売を始め、過去の再現ではなく新たな浮世絵を作ろうと試みた所から新版画に本格的に取り組むことになる。新版画が何故今になって注目を集めたのか?それは、これらの作品の大半が海外輸出を目論んで作られたもので、国内でも当時は注目を集めたが、ヨーロッパ、特にアメリカで人気を博したことにある。日本国内では画壇とは異なる文脈にあった事と、日本画などの肉筆画とも異なるため評価軸のテーブルに乗らなかった事も忘れ去られた要因のひとつとなった。ゴッホやドガのように作品の中に浮世絵が取り入れられたようなあからさまなリアクションも無かった事もあり、日本国内の評価軸が定まらなかったため、軽んじられてしまったのではないだろうか。昨今ではアップルのスティーブ・ジョブズが新版画のコレクターだったり、ダイアナ妃が部屋に飾っていたという出来事も、逆輸入的な付加価値を高めたきっかけでもあった。ちなみにジョブズが心酔し、アップルのプレゼンテーションでも使われた橋口五葉の「髪梳ける女」も展示されている。

本展でははっきりと銘打ったタイトルは付いていないが、プレ新版画から、渡邊木版画店による新版画、関東大震災を経た後の新版画、私家版への流れが作家ごとにある程度の時系列で並んでいる。一番重要なのが1923年に起きた関東大震災で、ここを境に作品の表現が変わる潮目となっている。
震災以前、新版画が本格的にスタートする前のプレ新版画期から、渡邊のもとを訪れたオーストリアのフリッツ・カペラリがきっかけで新版画がスタートする。新版画の始まりは日本人絵師ではなく、カペラリやチャールズ・バートレット、エリザベス・キースらの欧米人が評判を聞きつけて渡邊のもとに集まった事がきっかけとなっている。クリムトの後の時代でもあり、カペラリの作風はクリムト的なヨーロッパを感じさせる。バートレットは日本以外にもインドや韓国、中国を旅していた事もあり、モチーフは日本以外の多岐に渡る。本展では取り上げられなかったものの、ノエル・ヌエットなど海外からの絵師が新版画に関わっていた。欧米の絵師は、日本の絵師と作風が少し異なり遠近法から二次元的な表現にアプローチしていて、日本の絵師が二次元を立体的に捉えるのとは逆のベクトルを感じさせる。これらの表現に影響を受けたのが、吉田博の諸作品なのではないだろうか。
関東大震災が起こった事で、渡邊の店は全焼し版画の板も大半が焼けてしまい、東京は壊滅的な状況へと様変わりしてしまった。新版画とは関係ないが、当時の状況の一例を挙げると、東京を拠点にしていたジャズマンが壊滅的な東京に見切りをつけ、仕事を求めて関西に移動するなどの出来事もあった。その後東京は復興を遂げるが、震災直後は大きな混乱を招いていた。この辺りはバタフライエフェクト映像の世紀でも取り上げられていたので、そちらも参照していただきたい。
震災以前は現代的なモチーフなど浮世絵のオルタナティブな表現の模索していたのに対し、震災後は海外ウケに焦点を当てた作品にシフトしていく。一番顕著に作品に投影されたのが、本展でも展示されていた川瀬巴水の「雪の増上寺」で、1922年の時点ではコートを着た男性が雪の中を歩く姿が描かれているが、震災後は同じタイトルで日本傘をさした着物の女性にモチーフが入れ替わっている。

店の立て直しのため、このような海外から見たジャポニズムへの傾倒は渡邊主導で行われていった。本展ではその辺りの説明が不足していたのが、少し気掛かりでもある。
版元である渡邊のもとを離れ、私家版へと取り組んだのが吉田博で、カラフルでポップアートに近い表現の渡邊の作風に比べて、より緻密に擦りの回数を増やしてマキシマムな表現へと深化させていった。版元のプロデュースを避けるように私家版の自由なアプローチが、新版画の末期に起こっていた。
版元も渡邊以外に土井版画展や今でも雑貨を作り続けているいせ辰、芸艸堂など、版元で作風が異なってくるのでその辺りも、新版画を知る上ではかなり重要になってくる。
本展は新版画の特集の後半でヘレン・ハイドとバーサ・ラムのふたりも取り上げられている。新版画と同時期に日本に12年滞在したハイドの作品が素晴らしく、親子をモチーフにした作品群は子を持つ親の視点が心に響く。小泉八雲に傾倒していたりと、日本のハイブリッドなカルチャーに改めて触れる事が出来た。

最後に新版画の魅力について少しばかり。江戸時代の浮世絵は、現代の生活とは切り離されたファンタジックな作風に、日本人ながらオリエンタルな受け取られ方があると思う。一方、新版画はかつてあった田園風景に思いを馳せながらも、近現代のモチーフの中に潜む現代の生活に通じる世界観がある。夕暮れや月に照らされた夜の風景、モガのような大正文化など、西欧文化と日本の変わらない風景がダイレクトに繋がってくる。それらの風景もかつてあった日本の姿ではあるのだけれど、よりリアルに響いてくる。本展では扱われ扱われなかったが、新版画の一番最後の作家であった笠松などは東京タワーをモチーフに描いていて、今でも現存する現代的な風景と地続きである事を実感させる。川瀬巴水の「馬込の月」の様に、田園風景は住宅街へと様変わりしながらも、かつてあった風景と今の風景を重なる事で、描かれた時代の生活がよりリアルに心に迫ってくる。そのような近現代とのアダプトが、浮世絵とは違った魅力を感じさせるのが新版画の魅力のひとつではないかと感じられた。

渡邊庄三郎については下記の本に詳しいので、併せて読むとより理解が深まるはず。


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