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【映画】メーヌ・オセアン Maine Ocean/ジャック・ロジエ


タイトル:メーヌ・オセアン Maine Ocean 1985年
監督:ジャック・ロジエ

先の読めない旅とヴァカンス。次から次へと脈絡なくいきなり登場する人物たち。メーヌから海までと名付けられた列車「メーヌ・オセアン」で出会う男女の物語…なのだけど、列車が登場するのは前半だけで後半は出てこない。けれどその後半でも列車の存在は、ヴァカンスのリミットも意味している。とにかく海に向かって進みながら、その先の島へと辿り着き、登場人物たちが集結していく。言葉で語ろうにも説明しきれないのは、その場その場で脚本が書き加えられ即興を含んだ描写の連続で成り立っているからなのだけど、分かりやすいドラマツルギーがあるかというと殆ど無い。皆が思いつきで行動しながら、夜通し狂乱に酔いしれる。クライマックスが来たと思いきや、旅はひたすら続いていく。旅先で繰り返される出会いと別れにサウダージに似た感覚を覚える。
チラシに書かれたルモンド紙の「この映画をまだ見ていない人は、ジャック・タチの死後、フランス映画が生み出した最もクレイジーだ、最も面白く、最も詩的なものを見逃している」という評は何となく理解出来る。とはいえムッシューユロみたいな分かりやすいキャラクターが登場するわけではない。けれど各キャラクターがみせるコミカルな仕草は、タチの世界の中にいてもおかしく無いかもしれない。
映画の見どころとしては、やはりピアノを囲んでの演奏とダンスのシーン。

NYから来た興行主が、ブラジルから来たモデルでダンサーのデジャニラを歌わせようと演奏される曲が、シコ・ブアルキとフランシス・イミ(ハイミ)の共作によるショーロ調の「Meu Caro Amigo」。

この映画が抱える主言語の違いによるコミュニケーションのかけ違いは、ブラジルのポルトガル語、フランス語、英語と複数の言語が入り乱れることから発生する。映画冒頭では言語の違いが、社会や文化の違いから軋轢を生み出すが、次第に言葉を必要としないコミュニケーションへと発展していく。ピアノを囲んで「Meu Caro Amigo」や即興曲で演奏し歌い、踊る時に言葉以外のコミュニケーションにシフトする。
楽譜に書かれた音符をコードに翻訳したり、ピアノ教師のブラジル音楽に慣れないタッチから、ピアノが弾ける神父に変わるとものの見事に饒舌な演奏が繰り広げられる(神父役はピエール・デジェックスというプロのピアニスト)。楽器演奏という音楽の言語体系もさることながら、そこに歌とダンスも加わってくる。このシーンは延々と長回しで撮影されたというが、夜中に少しくたびれつつ酔っ払いながらその場を思い思いのまま楽しんでいる姿がなんとも心地よい。
歌手のスカウトをされる検札長を演じたベルナール・メルズは元々歌手でも成功していて、現実の姿とオーバーラップしてくる演出もにくい。

80年代らしいフランス映画の雰囲気と、コメディタッチでありながら所々詩的な描写も含みつつ、途中諍いの後にくる展開はかなり笑えるので、是非とも映画館で観てほしい作品だと思う。

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