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【美術】中平卓馬 火―氾濫@国立近代美術館


一番好きな写真家はと聞かれたら中平卓馬と答える。中平卓馬の作品との出会いは、20年ほど前、とあるカメラショップでTHE JAPANESE BOXを閲覧したのがきっかけだった。たしか森山大道はすでに知っていたが、彼も参加した「プロヴォーク」の中でも中平卓馬の作品は心にグサリと刺さる感覚があった。いわゆるアレブレボケで撮られた不明瞭だけれど勢いを感じさせる写真の数々を見た瞬間に虜になった。オリジナルの「プロヴォーク」や「来たるべき言葉のために」は当然高額のプレミアが付いていたが、「来たるべき言葉のために」が2010年に新装版で再販され(現在絶版)、「プロヴォーク」が2018年に完全コピー版が再販された事で(こちらは入手可能)手に入れる事が出来た。
今回、国立近代美術館で中平卓馬の全キャリアを網羅する回顧展が行われ、改めて中平の作品に触れたが、「プロヴォーク」や「来たるべき言葉のために」に至るまでの足跡を辿る事が出来る非常に重要な展示だった。というのも、この二冊はそれまでにアサヒグラフやアサヒジャーナル、現代の眼、アサヒカメラなどの雑誌で発表された作品の集成でもあり、当時の雑誌が羅列される事で彼の足跡が詳らかにされている。計四冊にまたぐ作品群が、雑誌で既出だった事の意味と現状は、本だけを見ているだけでは感じる事が出来ない。まとめるまでの過程に触れる事で、中平のキャリアがスタートした60年代後半から70年代をしっかり俯瞰できる。写真集の前後にある作品群が並べられる事で、写真集に収められていない写真や、彼の行動がどの様なものだったのかの一側面、かつキャリアの全貌がやっと見えてくる。
歯がゆいのは、雑誌で掲載された作品群のオリジナルプリントが現存しない事だろう。本展では記載されていなかったが、1973年に大半のプリントとネガが中平によって焼却されてしまっていたために、振り返るには当時の掲載雑誌を展示するしか方法がない事であった。もしオリジナルのヴィンテージプリントが現存していたら、このような回顧展や展覧会が容易に開かれていたと思う。しかし現物が無い状況を鑑みるに、ベストな展示はやはり当時の雑誌を集めて並べるしか方法はなかったのではないかと思う。そう考えれば、これだけの雑誌を集めた執念が、本企画への熱量として伝わってくる。何故プリントではなく雑誌ばかりなのか?という問いには、そのような理由がある事を記憶に留めておきたい。
中平卓馬は写真を撮りながらも、言論の人でもある。「来たるべき言葉のために」の作品群は、写真集では写真だけが配列されているが、当時掲載された雑誌の写真にはテーマに沿ったコメントが載っている。雑誌掲載時には意味性が付加されているが、写真集ではコメントは削がれそもそもあったテーマ性は剥奪されている。川崎のコンビナートや海の姿は、コメントある無しで写真へのニュアンスは大きく異なり、ある種の物語性は削ぎ落とされ被写体だけが残る。写真集では写真に写るものだけが全てであり、アブストラクトなピクトしか受け取る事が出来ない。中平卓馬という人の特異点は、言論人でありながらアブストラクトな作品を生み出した点にあると感じる。
作品と同等に言葉が列挙され、実存と自己模倣への批判という破壊的な仕草の末、作品は焼却され、仕舞いには自身の記憶までも消え去る悲劇も生み出す。
意外だったのは、70年代までに個人名義の写真集は一冊のみで、多くの写真集は記憶喪失後にリリースされたものが大半を占めている事だった。記憶喪失以前から沖縄、モロッコ、パリ、スペインなどそれまでの都市部を撮った作品から、周縁や海外への移行が始まっていたにも関わらず、記憶喪失前後の分断だけで彼のキャリアがまとめられてしまっていた事は、作品として写真集を出していたかいなかったかによるところも大きいのではと思う。モノクロからカラーへのなだらかな変化は、写真集を見ただけでは捉えきれない跳躍があり、作家の変化はその狭間にある作品も見てとらなければ理解出来ない事が如実に記される。
絶頂期の初期作品群に比べれば、記憶喪失以後の作品はどこか蛋白に写る。2000年以降に中平の作品が再評価されたタイミングで発表されたカラー写真は、「プロヴォーク」などの作品を求めてしまうとどうしても違和感を感じてしまう。しかし今回壁面に並べられた最晩年の作品群「キリカエ」を見た時、写真に対する真摯な姿勢は最後まで貫かれていたのがよく分かる。被写体に対するクローズアップの連続は、ものの大きさに関係無く、等しい距離感が保たれる。作品をピンポイントで見ただけだと、単なるスナップ写真にしか見えないが、連続した作品として俯瞰するとその被写体への距離感の統一した加減と、徹底した美観に圧倒される。彼がかつて掲げた植物図鑑という意味性がはっきりと出現したのは、この「キリカエ」という作品だったのだなと今になって気付かされる。見たいものしか見ない人間の性。死の瀬戸際を生き残った人生がなし得た表現であり、アマチュアイズムを最後まで徹底した姿に気づいた時に鳥肌が立った。
森山大道と同じくウィリアム・クラインからの多大なる影響や、アジェやモホイ=ナジ、ウォーカー・エヴァンスなど、現代でも高い評価を得ている写真家への賛辞も批評の中に押し留められる。日米安保を起因とする学生紛争や、ヴェトナム戦争など、写真と世相の関わり合いを否定しながら、言論ではそれらの出来事にコミットしていく。寺山修司を筆頭に新宿カルチャーとの連なりの中にいつつも、自らはオミットする。森山大道が2000年以後、かつての大道らしさを反復するのに対して、中平は全てを否定しながら突き進む(似たような出来事は細野晴臣にホソノハウスの残像を追い求めるファン心理との関係を思い起こさせる)。
森山大道がもともとデザインの分野からの出自があり、ウォーホールへの羨望を隠さなかったのに対し、中平は写真への本質を常に問いていた。どちらが上か下はどうでもよいが、森山と中平の違いはそこに起因する。表面を追うよりも、本質を問う事で彼らの本質が見えてくる。

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