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永遠のソール・ライター Forever Saul Leiter

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ガラス越しの景色の上に浮かぶ文字。
結露にまみれた窓ガラスの親密な輝き。
二重露光のように写り込む景色とショウウィンドウ。
展示の後半にあった40年代の写真を見ると、多重露光を試み試行錯誤した形跡を見ることが出来る。街の窓に写り込む景色や人がまるで二重露光のように写し取られていたのは、あえて技術的なトリックよりも生で写し取った街の風景をクロスオーバーした時の生々しさを切り取りたかったからかも知れない。全く違う時間軸のものを組み合わせるよりも、合わせ鏡のようにその場の瞬間を写し取る事でいくつもの視界が開かれるようなそんな感覚がある。シュールレアリズムに陥らないように、ふたつの世界が折り重なっている。時に淡く朧げで被写体が何なのかも分かりにくいほどに、幽玄な世界でありつつ誰もが見逃しているような風景を写し取っている。

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ソール・ライターの写真を観ていると街を語らせるが上手い人なんだなとつくづく思う。というよりも街が語りかけている。人々や車などは次のアクションを待っているかのように、静けさと動的な喧騒を併せ持っていて不思議な気持ちにさせられる。

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地球の裏側まで行かなくても面白いものは撮れる。今回の展示では2000年以降のデジタル写真も少しばかり入っていて、それらは1950年代と一切変わらない視点で風景を捉えていた。窓に映るものだけではなく、窓から覗いたり、建物の影や上から覗いたりと彼が屈んだり、身を乗り出したり、身を潜めたりしながら撮影していたと想像しながら観るとまた違った感覚を追体験できるのではないだろうか。

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それにしても大胆な構図は北斎や広重からの影響もあり、ジャポニズムを換骨奪胎し見事に自作に落とし込んでいる。人物はさりげなく映ることも多く、ぱっと観ると見落としかねないくらい小さいものも多い。タイトルを見てそういうことかと気づくことも少なくない。そんな日常の些細な事も、楽しもうと思えば十分すぎるほどドラマが出現する。

1950年代のカラー写真の黎明期に、これだけの物量を撮っていて、かつ鮮やかな色合いは半世紀を超えた今観ても十分にヴィヴィッド。ハーパーズバザーの仕事も、もともと画家を目指していた事もあり、絵画的な視点が彼の大きな特徴でもある。

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スマホに慣れていると気づきにくいかも知れないけれど、縦の構図の写真がかなり多い。ハーフカメラを除いて、基本的にカメラを普通に持つと当然横長になる。縦の構図を好んで撮っていたのはやはり絵画的な視点で撮っていたからだろうか?街を撮りながらも、風景というよりも部屋を撮るような感覚だったのかもしれない。横に広がる空間の広がりよりも、縦に取る事で余韻のようなものを感じさせる事でより親密な空間が生まれるような気がする。

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今回の展示で特に良かったのが、妹のデボラと、長きに渡るパートナーだったソームズの写真がクローズアップされていた。日々の生活を感じさせるスナップは、街の様子とはまた違った雰囲気を醸し出していた。

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ラストの方にあった80年代に撮られたソームズと猫の写真の、あの表情は忘れられない。

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