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エレクトロニカは何を夢みたのか?⑤/ポップ・ロック、ポストロックからエレクトロニカへ

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時代を少し遡ると、90年代後半から2000年にかけて一部のポップ/ロック・ポストロック方面のミュージシャンにもエレクトロニカの波が押し寄せていた。
いち早く反応したのがシカゴのポストロックシーンの二大巨頭トータスとガスタ・デル・ソル(ジム・オルーク)。彼らは完全にエレクトロニカへ舵を振り切る訳ではなく、リミックスや生演奏にグリッチを織り交ぜて行くスタイルが中心となっていて、前回取り上げたフォークトロニカのスタイルはほぼこの時点で出来上がっていたとも言える。
一方イギリスでは90年代を通してクラブミュージックを意識しながら、エレクトロニカに接近していったレディオヘッドとビョークを取り上げる。
今回はポップ/ロック・ポストロック方面からの動向を振り返っていきたい。

トータス Tortoise

TNT 1998年

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前作でブレイクしたトータスは、現在では当たり前になったハードディスクレコーディングを駆使した「TNT」を1998年にリリース。アルバム自体はいわゆるポストロックなジャズ、ブラジル音楽、ミニマルに接近したサウンドだが、その中の「Almost Always is Nearly Enough 」と「Jetty」でエレクトロニカ的アプローチを行なっている。

Tortoise / Autechre – Adverse Camber / To Day Retreival 1998年

オウテカによるトータスの「Ten-Day Interval」をリミックスしたEP。原曲を生かしながらグラニュラーなグリッチを施したリミックスで、オウテカを起用した着眼点はかなり早い。

Brokeback/Morse Code in the Modern Age : Across the Americas

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トータスのダグ・マッカムとノエル・クッパースミスによるベースデュオ。「Lives of the Rhythm Experts」はグリッチサウンドの中で、ブロークバックらしいジャズアンサンブルが融合されている。ブロークバックはトータスの影に隠れてしまって見過ごされがちではあるものの、どのアルバムも良質でトータスに繋がる音楽性があるのでおすすめ。

Isotope 217/Who Stole The I Walkman? 2000年

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トータスのダン・ビットニーとジョン・ヘーンドン、そしてシカゴシーンの数多くのセッションに参加するロブ・マズレクによるアイソトープ217。ジャケットの通り、今作ではトータスのジェフ・パーカーが参加。それまでのトータスに近いジャズバンドのスタイルを踏襲しながらも、今作ではグリッチなエレクトロニカのサウンドを織り交ぜたサウンドに変化している。

The Sea and Cake/Two Gentlemen

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元ガスタ・デル・ソル/トータスでシカゴシーンの陰のキーマンであるバンディ・K・ブラウンによるリミックス「The Cheech Wizard Meets Baby Ultraman In The Cool Blue Cave」。エレクトロニカというよりはマニュエル・ゲッチングのE2-E4のようなトランシーな仕上がりになっている。ポストロックど真ん中な人物ではあるが、クラブミュージックにも造詣が深い人でもある。

ジム・オルーク/ガスタ・デル・ソル Jim O'rourke/Gastr Del Sol 

Gastr del Sol/Camoufleur 1998年

デヴィッド・グラッブスとジム・オルークによるデュオ。前作「Upgrade & Afterlife」で開花したSSW/アメリカンゴシック・フォークとエクスペリメンタルなノイズから一転、今作ではポップな作風にシフト。4曲でオヴァルのマーカス・ポップが参加し、エレクトロニカに収まらない空間表現が一体化した一枚となっている。ビーチ・ボーイズの「Surf's Up」を想起させる「Each Dream Is an Example」は名曲。

Jim O'Rourke/I'm Happy, and I'm Singing, and a 1​,​2​,​3​,​4 2001年

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フェノバーグでの名義でも関わっていたメゴからリリースされたアルバム。Max/MSP使いのジム・オルークによるエレクトロニカのアルバムではあるが、彼は元々ノイズ出身ということもあり、安直なグリッチサウンドとは一線を画している。

Orton Socket/99 Explosions 2001年

ジム・オルークのレーベルであるモイカイからリリースされたロブ・マズレクの変名プロジェクト。エレクトロニカというよりもレイモンド・スコットのような電子音楽の世界に近い。コルネット奏者である彼のようなミュージシャンがこのようなエレクトロニックなアルバムをリリースするところに、シカゴのシーンの懐の深さを感じさせる。

Sam Prekop/Sam Prekop 1999年

リリース当時、ジム・オルークが自身のプロデュースで最高傑作と話していたシー&ケイクのフロントマン、サプ・プレコップのソロ。アルバム自体はネオアコを高い水準でアップデートした内容で、「So Shy」のイントロ部分にジム・オルークらしいエレクトロニカなサウンドが挿入されている。

レディオヘッド Radiohead

Kid A 2000年

Amnesiac 2001年

1997年のOKコンピューターから長い沈黙を破りリリースされた「KidA」。リリース前からアルバム2枚分をレコーディングしていたことが報道されていて、エレクトロニカに接近したアルバムをリリースするという前触れで話題となっていた。「Kid A」はオウテカの影響を感じさせる要素はあるが、ポストロックの範囲内のアルバムと言える。特にタイトル曲「Kid A」でのそれまでのロックバンドのスタイルから抜け出した彼らの到達点であり、最高傑作の一つである。アンビエントな「Treegingers」や「Untitled」、「Optimistic」のアウトロでサイドチェーン機能のコンプレッサーを使ったハウス的なアプローチなどクラブミュージック的な要素も随所に差し込まれている。
翌年リリースされたもう一枚の「Amnesiac」はチャールズ・ミンガスからの影響の色濃いゴシックなアルバムではあるが、「Pulk/Pull Revolving Doors」のようなエレクトロニカな曲が登場する。エレクトロニカに接近しつつも、バンドらしさも保ったままというのが彼ららしい。グリッチサウンドの音作りについてはジョニー・グリーンウッドがMax/MSPを使用していた。
バンドという定形を超えた真の”ポスト”ロックなスタイルは、欧米に限らないインディペンデントなミュージシャンに強い影響をもたらし、その一方予想外な所でロバート・グラスパーやブラッド・メルドー、ティグラン・ハマシアン、ゴー・ゴー・ペンギンらの昨今のジャズシーンへの影響が2010年代に大きな影響を及ぼしている。レディオヘッドがロックのジャンルを超えながらヒットチャートに貢献した事で、エレクトロニカとは関係なくあらゆるジャンルに影響をもたらした結果が昨今のUSのシーンの所々で湧き上がっている。

エレクトロニカに至るレディオヘッドの経緯の入門編はこちらにまとめたので別途参照いただきたい。

ビョーク Bjork

Björk/Vespertine

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クラブミュージックのトレンドセッターであったビョークもレディオヘッドと時を同じくしてエレクトロニカに接近。マトモスを起用し、グリッチサウンドを取り入れているが、ビョークのヴォーカルの存在感が強くそれまでのビョークのサウンドをグリッチに置き換えただけと言えなくもない。オヴァルやオウテカと組むべきだったのではと?今でも思ってしまう(断られた可能性も高いけれど)。エレクトロニカの表層だけを切り取っただけの印象もあり、エレクトロニカというよりも素直にビョークの音楽として触れた方が楽しめると思う。バンドサウンドとエレクトロニカや現代音楽と対峙したレディオヘッドに比べると、自由度が高いはずのビョークは自身の声を中心とした表現の中に収まってしまっているきらいがあるように感じられる。作品の良し悪しは別として、クリエイティビティーが欠如してトレンドを咀嚼しただけというのが個人的にはリリース当時強く感じられた。そういった経緯があったからこそ次作の「メデュラ」で声にフォーカスしたのではないだろうか。繰り返すが作品の良し悪しは別として、ビョークのトレンドセッターとしての軽薄さが出てしまったアルバムとも言える。
オヴァルのマーカス・ポップがトヨダ・エリコとSo名義でリリースしたアルバムと聴き比べればその理由は分かるはず。歌物エレクトロニカの本質はこちらにある。

デヴィッド・シルヴィアン David Sylvian

Blemish 2003年

イギリスアヴァンギャルドの重鎮であるデレク・ベイリーとクリスチャン・フェネスを起用した意欲作で、ジャパン解散後はポップ/ロックフィールドから徐々に離れ、エクスペリメンタルな方向性に進んだ先の到達点となった。そこで起用したのがフェネスというのも、デヴィッド・シルヴィアンと共通する美意識を感じさせる。できればデヴィッド・ボウイもエレクトロニカに接近して欲しかったと思わせる充実した内容となっている。
このように時代の先端を取り入れていくスタイルは、デヴィッド・シルヴィアンはデヴィッド・ボウイのストレートな継承者であると同時に、80年代以降のボウイが成し得なかった音楽のより深い領域を目指した結果だったのではないかと考えている(ボウイは生前間際にゴシックな現代ジャズアルバム「ブラック・スター」をリリースし、ボウイが憧れたスコット・ウォーカーも晩年はゴシックでノイジーなアルバムをリリースしていたのも、この三人にどこか通じる感覚があるように思う)。

コーネリアス Cornelius

Point

前作「ファンタズマ」から沈黙を破り、エレクトロニカに接近するのではと思われていたコーネリアス。結果的に「ポイント」はエレクトロニカのアルバムではなかったものの、冒頭の「Bug (Electric Last Minute)」でグリッチサウンドが登場する。この曲はDAWソフトが暴走しPC内のサウンドファイルが脈絡なく鳴り続けたものをレコーディングしたとインタビューで語っていた。まさにデジタルエラーが引き起こしたサウンドであり、エレクトロニカの時代にコーネリアスが唯一残したグリッチな曲だったと言える。
このアルバムではそれ以前のサンプリングで詰め込んだサウンドから、空間の隙間を生かした現在のコーネリアスのサウンドを確立したアルバムで、全体的な音に対する姿勢や随所に挟まれるノイズなど、音の扱い方はエレクトロニカ/フォークトロニカに近いものを感じる。最後の「ノーウェア」のアウトロのピアノのコーダは、サステインを伸ばすために音が切れるギリギリまで音量を上げ続け、レコーディングでは忌み嫌われるノイズまでも増幅させていく(サージェントペパーズオマージュをメタな表現で締めくくったとも言える)。音をデフォルメ化させるメタなサウンドデザインはブライアン・イーノ直系であり、実験的な表現でありながらもポップに仕立てる小山田圭吾の非凡な才能が開花したアルバムだった。

次回は2001年と2004年に起こった出来事を中心にしたエレクトロニカの終焉について。
その後はグリッチ/マイクロサウンド以外のエレクトロニカ、主要レーベルのまとめ、あとがきで終わろうと思います。

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