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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡

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アルゼンチンロックの中心人物だったルイス・アルベルト・スピネッタの40年に渡るキャリアを、アルゼンチンの情勢と共に紐解く。
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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡①/アルメンドラ ロック・ナシオナルの始まり

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡①/アルメンドラ ロック・ナシオナルの始まり

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1960年代末アルゼンチンロックの黎明期からキャリアがスタートし、ロック・ナシオナルの礎のひとつを築き上げたルイス・アルベルト・スピネッタ。2012年に肺がんで亡くなるまで、短いスパンでアルバムをリリースし続け、長いキャリアの中で晩年に傑作を立て続けにリリースした事で、日本でも多くの新たなファンを増やしていた。日本盤が出ていない事と、長いキャリアの中でバンドや

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡②/ペスカド・ラビオーソ ブリティッシュロックからランボー、アルトーへ

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡②/ペスカド・ラビオーソ ブリティッシュロックからランボー、アルトーへ

・Pescado Rabioso/Desatormentándonos 1972

リリース:1972年9月
Lado A (Damas)
Blues de Cris (Spinetta) 03:32
El jardinero (temprano amaneció) (Spinetta) 09:04
Dulce 3 nocturno (Amaya - Frascino - Spinetta) 05

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡③/インヴィシブレ プログレッシブなジャズロックバンド

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡③/インヴィシブレ プログレッシブなジャズロックバンド

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スピネッタは1973年10月にアルバム「Artaud」のリリース及び、アストラル劇場でのソロライブを終えると、翌11月には同じくアストラル劇場で新たなバンド、インヴィシブレでステージに立つ。メンバーはパッポのバンドパッポス・ブルースに所属していたエクトル・"ポモ"・ロレンツォ(ドラム)、カルロス・アルベルト・"マチ"・ルフィーノ(ベース)とスピネッタによるトリ

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡④/二枚のソロ”ジャズ”アルバム

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡④/二枚のソロ”ジャズ”アルバム

・バンダ・スピネッタからアメリカレコーディングへ 二枚のソロ”ジャズ”アルバム

・Luis Alberto Spinetta/A 18' del sol 1977

リリース:1977年10月

Lado A
Viento del azur 4:49
Telgopor (Instrumental) 2:50
Viejas mascarillas 5:10
A 18' del sol (Inst

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑤/アルメンドラリユニオンからスピネッタ・ハーデ結成

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑤/アルメンドラリユニオンからスピネッタ・ハーデ結成

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・アルメンドラのリユニオン

10年前に一世風靡したアルメンドラを再結成するという想いはメンバーの頭から離れなかった。アメリカに拠点を移していたエデルミロ・モリナーリがアルゼンチンに帰国するたびに、元メンバー4人で集まってアサード(肉料理)とジャムが並べられたテーブルを共にしていた。その際、必ずアルメンドラの話

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑥/フォークランド紛争と”Kamikaze”

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑥/フォークランド紛争と”Kamikaze”

・フォークランド紛争と神風

1982年4月2日、与党独裁政権は1833年にイギリスが占領したマルビナス諸島を軍事的に奪還する決定を下す。民主主義回復のための民衆による運動が大規模なものになり始めていた時期である。三ヶ月に渡るこの戦争はアルゼンチンに膨大かつ複雑な影響を与え、矛盾した側面を持っていた。
5月16日には軍部はフォークランドにいる兵士のために慈善コンサートを主催した。レオン・ヒエコやス

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑦/五月広場の母親たち スピネッタ・ハーデ解散

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑦/五月広場の母親たち スピネッタ・ハーデ解散

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「汚い戦争」と呼ばれたフォークランド紛争/マルビナス戦争が終結し、1976年3月から続いた独裁政権は終わりを迎え、1983年12月に急進党のラウル・アルフォンシンが大統領に就任した事で民政移管し民主化が進められた。
しかし独裁政権時代に子供を含む多くの人々が失踪した爪痕は今現在も残っており、その中でも「五月広場の母親たち」による呼びかけは今も尚続いている。

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑧/チャーリー・ガルシア、そしてフィト・パエスとの共演

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑧/チャーリー・ガルシア、そしてフィト・パエスとの共演

・チャーリー・ガルシアとフィト・パエス

1984年末にスピネッタ・ハーデはメンバーの仲違いで解散。1985年と1986年はスピネッタはチャーリー・ガルシアとフィト・パエスの2人それぞれと共同プロジェクトに取り組んでいた。結果的にガルシアとのプロジェクトは頓挫したが、セッションからは名曲「Renzo por vos」が生まれることになった。1984年にガルシアとパエス、スピネッタの3人は、スピネッ

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑨/家の中のスピネッタ 家族と宅録の時代

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑨/家の中のスピネッタ 家族と宅録の時代

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・家の中のスピネッタ

スピネッタの80年代の活動を振り返ると、スピネッタ・ハーデと並行してソロ活動を行いながら、新しいテクノロジーの導入や新世代の影響を受けたことで、個々のプレイアビリティに頼るジャズロック/フュージョンから、80年代らしい整理されたリズムとエレクトロニクスを導入したスタイルに変化していた。そして本人も予想し

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑩/90年代を締めくくるパワフルなロックトリオ

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑩/90年代を締めくくるパワフルなロックトリオ

・Spinetta y los Socios del Desierto 1997

リリース:1997年4月30日
Disco 1
Cheques
Paraíso
Los duendes
Sub rebaño
Bosnia
Luz sin freno
Cuenta en el sol
Diana
Oh! Magnolia
Luna de abril
Se convirtió en la noche

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑪/キャリアのピークとなった最後の10年間

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑪/キャリアのピークとなった最後の10年間

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・スピネッタ最後の10年間

90年代を振り返れば末娘ヴェラの誕生と共に家族と過ごした時間から始まり、そして妻との離婚の後、新たなバンドの結成と新たな恋人との蜜月を過ごし、レコード会社やメディアとの軋轢に苛まれた。そして90年代の幕はロス・ソシオの解散と恋人との破局で閉じられた。スピネッタは自宅兼スタジオで独りになっ

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ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑫/スピネッタ最後の日々と未発表作

ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑫/スピネッタ最後の日々と未発表作

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・永遠のバンド

2009年12月、スピネッタはかつてのバンドメイトと共に、アルメンドラから現在に至るキャリアを振り返る選曲を携えてステージに立った。それまでと同様に、このライブを計画するためにスピネッタは常に過去の栄光にこだわる事を否定し、今現在の彼が奏でている音楽が全てだと言わんばかりに前進し続ける姿勢を崩さなかっ

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