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ジューンブライダル 【大きなケーキとの闘い】

 不思議で奇妙な5月が通り過ぎ、雨の6月がやって来て天気と同じようにドンヨリとした気分。
 何がイヤって、傘をさすのが面倒。なぜ21世紀になっても、雨が降ると傘をさすために片手が塞がるの?
 雨を避ける道具がいまだに、江戸時代から変わらない傘なのが不思議。もしかしたら人類はもう進化が止まっているのかもしれない。

 そんなことを思いながら小説の続きを書いていると、傘を畳みながら彼女が玄関から入って来た。
「なんだかイヤな天気ね、雨が降ったり止んだり。どちらかにして欲しいのだけど」

 彼女らしいことを言いながら濡れた傘を傘立てに押し込んでホールに入り、片手に持っている大きな紙袋を掲げ「ハイ、お土産」と、ソファ前のラウンドテーブルに置く。

「どこかへ行ってきたの?」
「さて、どこでしょう?」
 彼女がテーブルに置いた白い大きな紙袋には、真ん中に煌びやかな丸い印が入っているが、見たことのないマーク。袋から仄かに甘い香りが漂ってくる。
「ケーキ屋さん? それにしては袋が大きいけど」
「ブッブー、ハズレです。エムくんには、まだ縁遠いところ」
 僕には縁遠くても、行って来たということは、今の彼女には身近な場所なのかも知れない。

「よく行くところ?」
「そうね、最近よく行くわ。スケジュールが入っているし」
 スケジュールが入るから、最近帰りが遅いんだ。
 最近遅く帰って来る理由が分かり、それはバイト先の都合だと思うけど、どこへバイトに行っているのかな?
 甘い香りのするお土産はケーキだと思うけど、ケーキ屋さんではないと?
 さて、どこだろう?

「分かりません」
 早々に降参する。叔父さんが居たら「そんなことにも想像力が働かないようなら、小説家は諦めた方がいい」と言われそう。叔父さんが居なくてよかった。

「それではヒントを出します。これから答えを間違えるたびに私の言う事を聞いてもらいます」
 彼女が美少女スマイルを浮かべながら、思いついたように自分都合のゲームを始める。間違えることが前提なの?
 笑顔で言われると断りづらいけど、言っている内容はいつもの通り彼女のペース。

「正解すれば何か良いことがあるの?」
 彼女は僕の答えがハズレることしか考えていなかったようで、腕組みをして人差し指を顎にあてる。
 考え事をするとき、そのポーズをする人を初めて目の前で見た気がする。
 あれはテレビや映画の中だけの仕草かと思っていたら、実際にそれをやる人が身近にいたとは… 彼女は女優を目指しているの?

『思いついた!』という心の動きを、大きく目を見開いた表情で表し、口にする。
「エムくんが正解したら、その袋の中のものを思う存分食べることができます」
 それは嬉しいけど、彼女は最初にそれを「お土産」と言ってテーブルに置いたよね? 条件付きのお土産とかあるの。

「では、ヒントを出します『6月』」
 6月? 今は6月ですが何か? 梅雨だし、雨だし、ジメジメしているし。
 雨のことしか思いつかないけど、6月限定のバイトとかあるのかな?
 雨の日にケーキのお土産? なんだろう? 難しい。
 黙って考え込んでいる僕を見て、彼女がニンマリとする。
「ハイ、時間切れ。あとで一つ、私の言う事を聞いてもらいます。次のヒントはこれ! これを見れば、エムくんでも分かるでしょう?」

 彼女が得意げに自分のスマートフォンの画面を僕の目の前に突き出す。
 ディスプレイの中の彼女は後ろ姿で、振り向いたポーズを取っている。髪をアップにしてデコルテと背中を広く見せたオレンジ色のドレスを着ており、ウエストが絞られ裾が大きく広がっている。
 彼女ってスタイルも良いんだなぁ、眼福眼福。
 ディスプレイの中の彼女をじっと見入っていると、彼女がスマートフォンをサッと引っ込めた。
「何? いつまでもジロジロ見て。 とっておきのヒントを出したのだから正解を答えてください」
 彼女のドレス姿に見れて、答えを考えるのを忘れていた。
「えっとー、それウェディングドレスだよね? 花嫁修行? それとも結婚式の予行練習?」
 少し残念だけど、彼女の家柄と美貌を考えたら仕方がない。もしかすると実家が許婚いいなずけを決めているのかもしれない。

「エムくん、何言ってるの? 私はまだ大学に入ったばかりで、文壇デビューもしていないのよ(そう言えばまだ彼女の小説を読んだことがない)。結婚なんていつでも出来るわ。これで2つ言う事を聞いてもらいます」
 なるほど、こうやって少子高齢化が進むのか。

「じゃあ、フォトモデルとか?」
 一瞬、彼女が『ほぉー』という表情をする。
 当たり?
「惜しいなぁ、当たっていないけどニヤピン賞くらいかな。正解を発表します。先月からブライダルモデルを始めました」
 ブライダルモデルとは何ぞ? 花嫁モデル? 僕が不思議な顔をすると、彼女がスマートフォンで『Chat GPT』に『ブライダルモデル』と入力して結果を見せてくれた。

『ブライダルモデルとは、結婚式やウェディングドレスのショーなど、ブライダル関連のイベントに出演するモデルのことを指します。ウェディングドレスやフォーマルドレスを着用し、ランウェイを歩いたり、写真撮影に参加したりします。ブライダル関連のイベントでのプロモーション活動にも携わります。ウェディングドレスの美しさや魅力を引き出すために、ポーズや表情の練習をします。
ブライダルモデルになるには、一般的に身長や体型などの基本的な条件が求められます。また着こなしや、ポーズ、表情などのスキルが必要です。
プロのブライダルモデルになるには、モデルエージェンシーに登録するなど、プロ意識を持って活動することが重要です』

https://chat.openai.com/chat

 なるほど。Chat GPTさん、分かりやすい説明ありがとうございます。
 彼女ならトレーニングをしなくてもこなせそう。聞くところによると彼女の親戚には日本舞踊の名取りさんがいて時々習っていたみたいだし、小さな頃からバレエ教室に通っていたそうだから。

「それでプロを目指しているの?」
「まさか、この世界はプロでもこれだけでは食べていけないのよ。テレビやショービジネスの世界も覗いてみたいけど、顔バレしたら実家に連れ戻されるから、ブライダルモデルだったら大丈夫かなと思って応募してみたの。すぐ採用されて基礎的なトレーニングを受けたけど、特に目新しいことはなかったわ」
 なるほど、彼女らしい行動とその結果。友人として誇って良いのかな?

 でもチョット気になる。
「イベントのプロモーション活動に出演したら、顔が広く外に出るのでは?」
「私は式場で行われるブライダルショーに絞っているから大丈夫。結婚予定のカップルさんが観に来るだけだから」
 なるほど、それなら不特定多数の人が来場するわけではないから平気かな。

 彼女のバイトの内容はだいたい分かったけど、お土産のケーキは?
「ブライダルショーでケーキの本物を出したりするの?」
「普段はそんなことまでやらないわ。今日行ったショーの会場で挙式を挙げる人がこだわって、入刀まで観たいと言うから頑張って用意したみたい。今どきにしては珍しく派手な挙式を上げるそうよ」
「それで入刀したケーキを持って帰ってきたの?」
「そうなの。新婦になる方がエージェンシーの中から私を選んでくれて一日、披露宴シミュレーションのようなショーを務めさせて頂いたら、記念にケーキを持って帰るように言われたの。全部は持って帰れなかったけど」
 それはそうだろう。どこまでが本物でどこからがハリボテなのか分からないけど、ウエディングケーキは大きいからね。フーン、そうなんだと言う相槌を打っていたら、彼女が何かを思い出したかのように美少女スマイルを浮かべ始めた。その表情は大好きだけどイヤな予感。

「エムくんは答えを2回間違えました。でも初めてなので罰ゲームは軽いものにしておきます」
 彼女の言うことを聞くのではなかったの? 罰ゲーム確定?
「せっかく頂いたウエディングケーキなので残してしまうとバチがあたります。婚期を逃します。ちなみに今日叔父さんは帰って来ないそうです。帰ってきても叔父さんは甘いものが苦手なので戦力にはなりません。従ってこのケーキはエムくんが完食することになりました。細かいことは問わないので頑張って食べて下さい。このケーキを提供したお店の人の話によれば賞味期限は今日中だそうです。私は体型管理がモデルエージェンシーとの契約に入っているので食べられません」
 オイオイマジかよ?
 テーブルに置いてある袋から箱に入ったケーキを取り出してみる。
 大きな箱を開けると真っ白なショートクリームたっぷりのウエディングケーキが姿を現した。
 直径が50センチ近く、高さが20センチ以上ありそうだけど、彼女はどうやってこれを持ち帰ったのだろう。
「ねっ! ここに入刀した跡があるでしょう。みんなが注目していたから真っ直ぐにナイフを下ろすのが大変だったんだから。新郎役の人は体格が立派だったけどナイフを持つ手が震えていたの。仕方がないから、私が『ギュッ』とナイフを握って抑えたわ」
 うん、彼女らしい逸話いつわ。彼女が自分の披露宴をする時にお披露目すると受けそう。
『ナイフを握り締めて新郎を抑え込む新婦おんな

 そんなことを考えていたら、彼女は薄いミントグリーンのコートを脱ぎながら階段で5階へ上がっていく。食事は外で済ませ、シャワーはあとで使うから、それまでは自分の部屋に籠るとのこと。新しい小説のネタを思いついたそうだ。

 ホールに残された、僕と巨大なホールケーキ。
 そろそろ夕食の時間だけど、今日はケーキと格闘しなければならないようだ。

(つづく)