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大きな包み 【空き店舗】

 この合宿所という名のオンボロビルは、東京23区にあるのに至極公共交通の便が悪い。周りには敷地の広い住宅街があり、近くの(と言ってもかなり歩くけど)コンビニエンスストアへ歩いて行く途中で、見たこともない大きな外国車と何台もすれ違う。この辺の住民に公共交通機関は不要なようだ。

 昨日の真夜中、冷蔵庫に入れておいた異音を発するピアスの入ったボトルガムを取り出すと、昨晩のように頭痛を催す音は聞こえて来ない。
「音がしなくなったけど」

 彼女は玄関の扉を押し開けながら、ボトルガムを持つ僕の手をじっと見ている。
「今はそうかも知れないけど、あの音はゴメンだわ。直ぐ返しに行きましょう」
 彼女はそのまま外へ出て行く。
 昨晩の異音に懲りたようだ。
 ボトルガムをトートバッグに放り込み、急いで玄関を出て彼女のあとを追いかける。

 滅多に来ないバスに無事間に合い、電車を乗り継いで骨董通りへ向かう。
 骨董通りと聞いていたから古美術品を売っているお店が並んでいるのかと思ったら、飲食店やアパレルショップ、美容院が多い。

 彼女について行くと、首を傾げながら急に立ち止まる。
 目の前には『For Rent』の看板がショーウィンドウに掛かっている、ガランとした何かのお店のあと。
「おかしいなぁ。昨日、このお店でピアスを買ったのよ」
 珍しく彼女がブツブツ言いながら、昨日お使いをした隣にあるお店へ入って行く。外から見ると何をやっているのか分からないようなお店。広い窓から中がよく見え、怪しいモノは無さそうなので、僕も彼女のあとについてお店に入って行った。

 誰もいないカウンターに置かれたベルを彼女が鳴らすと、暫くして奥から僕たちより10歳ほど年上に見える女性店員が出てきた。
 店員は彼女の顔を見て『アラッ?』という表情で聞いてくる。
「昨日、お渡ししたものに何か不具合でも」
「不具合も何も、何が入っていたのかも知りません」
 彼女の言葉に、お店の人は「なるほど」と、うなずく。
 何が『なるほど』なのだろう? あの大きな包みの謎が深まる。

 彼女は包みの疑問はさておき、このお店に来た本題に入る。
「隣のお店なのですが…」
「隣? 隣の画廊が何か?」
 お店に入る時に見た左側のクラッシックなお店は画廊だったのか。
「そちらではなくて、反対側のアクセサリーを売っているお店ですけど」
 お店の人が眉根を上げ、不審そうな表情を浮かべる。
 『この娘、何言っているの?』と思っているのだと思う。

「左側(外から見ると右側)の店舗は、随分前から空いていますよ」
「そんなはずはないわ。昨日このお店で荷物を受け取る前に、隣のお店でピアスを買いましたから」
 お店の人の表情が「変な人」を見ている顔に変わる。
「そう言われても… 私が知る限り、隣はずっと空き店舗ですよ」
 予想したとおり、話が進まない。

 彼女はしばらく視線を斜め上に向け、一息ついてから店員に口を開く。
「納得できませんが分かりました。このお店とは関係のないことですし… ところで昨日、私が受け取った大きな包みの中身は何なのですか?」
 彼女も大きな包みのことは気になっていたようだ。
「アレですか? 依頼人と受取人以外には中身を明かしてはならず、仲介した私たちには守秘義務が生じておりますので、お話しできません」

 この説明には僕も驚いた。
 昨日の大きな包みはそんなに秘密な、何かなの?
 軽くてフワフワしたぬいぐるみみたいなモノだったけど、危ないものなのかな?

 彼女が大きな包みのことを尋ねてから、そもそも愛想のなかった店員は、僕たちが店に居ないかのように振る舞い始め、カウンターの下にある何かをゴソゴソと扱い始めた。
 それ以上その店にいても新しいことが分かることはなさそうなので、お礼を言い店を出ることにする。
 隣の空き店舗の前に立ち、薄汚れたショーウィンドウを覗いてみるが、中は何も無い室内空間が広がっているだけ。
「おかしいなぁ。昨日、このお店に入ってピアスを買ったはずなのに」
「領収書は貰わなかったの?」
「それが不思議なの。現金で支払ってお釣りと領収書をお財布に入れたはずなのに、いくら探しても見つからないの」
 ますますおかしい。彼女は本当に、ここでピアスを買ったの?

「エムくん、私のことを疑っているでしょう。私が詭弁を吐いていると思っていない?」
 やっぱり彼女が人を見る目は鋭い。詭弁を吐いたとは思っていなけど、昨日まであったお店が急になくなるとは思えないし、お店の人の話ではずっと前から空き店舗だったて言うし。
 空き店舗の前に立ちどうしたものかと話をしていたら、さっき話をした店員が他の店員とお店の窓越しに僕たちを見ながら何か話をしている。
 彼女もそれに気がつき、面倒なことになる前にそこを退散することにしたんだ。

 厄介なものを持ったままなので、どこへも寄らずに合宿所へ戻り、また冷蔵庫にピアスを仕舞うことにした。
 元ダイニングテーブルには叔父さんの走り書きが残されており、しばらく出張で戻らないらしい。

 それから数日間は何事も起こらず(冷蔵庫に入れたピアスを時々取り出してみたが、うんともすんとも言わない)、僕は大学のオンライン講義を受けたり小説を書いたりし、彼女は朝早く出掛け夕方になると合宿所へ戻ってきていた。
『市場調査』を続けているのかもしれない。

(つづく)