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私は何者にもなれなかった

私は小さい頃から″何かに変身する″のが好きだった。

ずっと自分じゃない誰かになりたくて寝る前に考えるのが大好きだった。

三十路を過ぎて今の私は何者でもない。
何者かに本気でなろうともしていなかったと気付いた。

多分明確な目標やそれに向かうための努力をしてこなかったのだ。
演じるばかりでそこに向き合うことはなかった。

「これからの目標は?」
そう聞かれて少し考えた。
頭に浮かんだのは「とにかく子供達が私を必要としなくなる時まで育てていくことです」だった。
その話をした帰り道、あぁ親にしてもらったなぁとしみじみした。

私は親でいようと思ったんだ。
どんなに頭を下げても、悔しいことがあっても息子と娘のこれからに手を差出せる人間でありたい。
そのために片付けるべきこと、捨てるもの、手に入れていくべきことがあるはずだ。
耳障りの良いことはいくらでも言える。
親になるということはその逃げ場に行かずに自分を律していくものなのだろう。

私は今までの人生何者にもなれなかった。
だから今、親になるんだ。
当たり前のことしか思いつかないしできないけれど、それでもいい。変わった親になる必要もない。

前に住んでいたアパートの向かいに住んでいたのは母子家庭のお母さんと息子で、結構キツイお母さんで駐車場が隣同士だった私達家族は「線をはみ出している」とか色々言われて恐怖のお手紙も頂いたりしてちょっと嫌な感じにおもっていた。
でも、夕方母子で歩いている姿はすごく楽しそうで息子が母親に信頼を寄せているのが側から見ても分かった。
他の人にどうゆう人間とみられようとも、正しい母親だったのかもしれない。少なくともウジウジして夫や親に答えを求めていた当時の私よりは。

あんな風に子供達と暮らせたらいいなぁ。嘘や見栄のない真っ直ぐな生き方にいつか私も辿り着きたい。

noteはそんな私の思いを整理して目標に向かわせてくれる場所だ。


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