劇団四季『ノートルダムの鐘』

2023/07/15 ソワレ

※全て現時点での私の主観
※ものすごいネタバレがあるので注意!

◇人物についてメモ(全員載せられてなくて申し訳ない)
【エスメラルダ】
・しなやかで体幹がしっかりしてて、見た目も中身も美しい……彼女が出てきた瞬間の、華やかさがすごくて、周りと全然違う、すごい人が出てきたなって思った。
・エスメラルダの人生、期待と絶望の狭間で揺れ動きながらも、自分であり続けて生き続けている女性、あまりにも強い。彼女から受け取ったこの在り方が私にかなり衝撃を残していったなと思う…
・フロローのものになるか、魔女として死ぬか、選ばされている時の彼女を思うと、愛する人ではない人のものになる人生を送るくらいなら、自分の人生を最後まで貫くという強く前向きな選択として見ることができた一方で、これまでジプシーとして生きてきた人生、居場所を追われ続け、差別を受けてきた苦しみはきっと私の想像を絶するもののはずで、彼女は少なからず疲れは感じていて、まだ自分が自分のままであるうちに、自分の選択によって人生を終わらせたいという思いも、あったのではないかなと思ったり。ノートルダム大聖堂に入って癒しを感じていた彼女を見て、なんとなくそう思った。
・この世界がよくなると信じる期待と、自分の人生の続くうちにその世界を見ることは叶わないのだろうなという絶望、この2つを併せ持ちながらも崩れてはいない人で、本当にそれが強いなと思った。それで崩れてった人、結構いるじゃん……

【フロロー】
・お声が良すぎる……
・真面目でやさしい人だったな、私は最後まで、この人のことを怪物とも悪魔とも思うことはできなかった、ただ、「正しく」生きてきた自分を否定されるだとか、心が大きく揺れ動くことだとか、それがコントロールできなくなる恐怖だとか、自分の考えを変化させることだとか、そういうことに耐えることができない、ただの人だったのかなって…そういうことに耐えるには、彼は長い年月を生きていたかなって思った。もう少し若ければ、全然違っていたかも…もしくは、弟が生きていれば………
・フロロー、女性を愛したことで弟は破滅の道に進んだから(これはフロロー視点であり、弟は実際幸せだった可能性もある)女性に恋をしても碌な結果にならないということだけを学習してしまっているかなしいひと。
・フロローがエスメラルダに対してタジタジになってるの可愛かったな、なんか、役割とか全部脱ぎ捨てたときの素の彼の姿なのかなって、奥さんの尻に敷かれるタイプってやつかも。
・生きるために信心深くなった人だから、心からそうだったのかはわからないんだよな、もし彼が恋する素晴らしさ、愛する喜びを経験することができていたなら、エスメラルダをもっと真っ当に愛せていたかもしれない。いやでも、彼は確かに弟を愛していたんだよな、それは知っているはずなんだ……ただ、恋を知らなかったのかもしれないな…
・最後怖かったね…まさか、カジモドに突き落とされるなんてな……大きい音がして白い布が落ちていく演出、本当に怖かったし、最後の最後でフロローの人生が否定されたような気がしてすごくつらかった、カジモドはきっと、彼を人ではなくて怪物だと見て、突き落としたんだろうから……

【カジモド】
・無垢な人だった、歌がめっちゃ上手い。最初の歌で鐘を鳴らす縄に飛びつくシーンめちゃくちゃ鳥肌たった。
・カジモド、「あなたは美しい」でエスメラルダが一番大事な人になっちゃったんだろな、と思った。美しい人に美しいと言われることは、本当に救いだったんだろうなって、だから、育ての親を殺す決意ができてしまった。そのように育てたのはフロローの責任だけど、カジモドは人を殺した罪を背負うことになった。最後の最後に道を踏み外してしまった感じがあって、私は恐ろしかったよ……
・怪物と呼ばれた青年、でも本当はずっと人間だった、無垢で寂しがりやで、でもとても勇敢な人で…
・最後にフロローを突き落としたシーンをどう解釈するかについては色々ありそうだけど、私の価値観もあって、親を殺してしまうということはあまりにも重たいことで、カジモドは本当にそこまでしなければいけなかった?それをするのはカジモドでなければいけなかった?かなり衝動的に見えたけど、後に続く彼の人生の中で、フロローを突き落としたことは、心の中に影を落としていったんじゃないか?とか、もう嫌なことをいっぱい考えてしまって、全然勧善懲悪じゃないしもやもやするし……という感じでした。
・カジモド、陽射しの中へ、が私の大好きな歌、事前に予習してて、この歌を聴いた時に、外の世界に希望を持って、素敵な友達を得てハッピーエンドになるかなと思っていたあのときの私を抱きしめたい。私の期待と絶望がまさにここに……
・期待しても受け入れられない、うまくいかない、そんなことは人生でいくらでもある。夢を見て、その夢が叶わないことの苦しさを味わった。これはカジモドの人生なんだけど、私の人生を考えてたんだ、他者は残酷で、想像よりもずっと自分を理解してくれない、人生は孤独で、うまくいかないことがすごく多い……

◇答えてほしい謎がある
「人間と怪物、どこに違いがあるのだろう」
→わからない、が今の私の解答になるのかな…これはきっとおそらく、私がリアルで「怪物」を目の当たりにしたことが多分ない(これはかなりラッキーなのだと思う)のと、恐ろしい所業があったとして、そこに至る因果と過程を考えなければならないと義務のように感じているから、結局この人はこういう振る舞いをした「人間」という捉え方にしかならないのよな…。ノートルダムでは、カジモドの目にはフロローが怪物に見えたけど、私にはそうは見えなかったように、人によって線を引くところはきっと違うし、何を許せて何を許せないのかも違うから、強いて言うのならば、「ああこれはぜったいに許せないな」「受け入れられないな」と思った時に、自分で想像することをやめて、そこにある感情に行動のコントロールの全てを委ねたとき、私は怪物になるのかもしれないなと思った。

◇自分語り、人生の話
社会人として少しずつ世の中のやばさを感じながら自分の力で生きている今、自分のできることの限界がふっと見えてきた感じもあり、でもまだ私にはやりたいこともある、夢見ている生活もある、という状況の中でこの作品を見て、いまいちど自分の人生を考えたいなと思った。限界が見えてきて、現実もわかってきて、もうこれは無理だよなあみたいな夢も実際にはあるけど、でもまだ人生長いしできなくはないかみたいな、そういう感覚もあり、いやはや人生は楽しい!!という複雑怪奇なんだけど爽快な気持ちになっている。時折、自分はもしかしたらだいぶしんどいのに無理して誤魔化してるんじゃないかなとかって不安になることもあるんだけど、結局自分の力で仕事行って生活ができてる、趣味も楽しめるし遠くにお出かけしたりお買い物したりできる、そうやって人並みに当たり前の生活ができてることがまず大きな自負で、子どもの頃から学生時代将来ほとんど見えてなくて、些細な物事一つとして自信が持てなかった自分に、紆余曲折の末「もうきっと大丈夫だよ、やっていけると思う」と送り出してくれた先生の言葉を思い出し、ああそれは本当だろうなと思えば、この先絶望したってまた生きていけるだろうなとか、なんやかんやぐちゃぐちゃに思考のルートを辿りつつも結論はすっきりみたいな、そんな感じの思いでおります。エスメラルダを見て、私も割と期待と絶望にもみくちゃにされながら生きてきたんだなって気付いて、それでも生き延びてきてこうして元気な日々を迎えているので、もうきっと大丈夫なんだなと思います。いつかダメになる日が来たら、それはそれ、その時に考えればヨシ!てなわけで、なんか私には明るい着地をさせてくれた物語でありました、ノートルダムの鐘、ありがとう。10年後とかにまた見たい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?