「夜と霧」et lux in tenebris lucet

もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

ーー第二段階 収容所生活「生きる意味を問う」より

 この言葉は、私の価値観を鈍器のごとき力強さで殴りつけてきた。有名な本の一説だから、ご存知の方も多いことと思う。

 ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」の一説だ。

 詳細な説明は不要と思うが、この本は、第二次大戦下のナチスドイツによって行われたホロコースト、強制収容所を体験して生き延びた、ある心理学者の告白だ。

 夜と霧、というのは、1941年、ヒトラーによって発せられた総統命令の名である。消えていった人々の行方を知らせないことで、服従を強いたのだ。まるで、夜と霧の中へ、隠すように。
 原典の表題はまた違っているので、これは極めて個人的な発想ではあるのだが、邦訳にこのタイトルをつけた訳者の先生の、戦争に対する激しい憤りや悲しみが感じられるような気がした。

 私自身、強制収容所の体験記というものを、アンネフランクの伝記をはじめ、他に2冊ほど読んだことがある。シャワーだと言われてガス室へ送られていった人たちのことを子ども心に知ったときのことを今でも覚えている。

 夜と霧は、友人が「絶対に読んだ方がいい」と勧めてくれたもので、今回時間を作って初めて読んでみることにした。先程述べた通り、収容所の体験記というものは読んだことがあったものだから、また悲惨な、悲劇的な何かを見せつけられることになるのだろうと、読む前から勝手に予感していた。

 けれど違かった。そういうものではない。この本は、悲劇を伝えることを主たる目的として書かれた本ではなかった。

 この世の地獄と言えるような死地を生き抜いてきたフランクルは、彼が目撃し、体験してきたものを、1人の学者として極めて客観的に、そして科学的に書ききっていた。私は、人間にそんなことができるとは知らなかった。彼の強さに、誇りの高さに、敬意を示したい。無論、文章の行間から、激情と祈りをたくさん感じ取ることもできた。だから、人間の書いた文章だということも、よくわかった。

 これは、強制収容所という特異な場所での体験記だ。これを知識として、歴史を知ることの重要性に照らして知っておくことはとても重要なことだ。歴史を知ることは、人間を知ることにあまりにも直接的につながっていることだから…。

 けれども、この本は、今を生きる人、これからを生きる人、苦しみ喘ぎながら生きる人にこそ、読んで欲しいとも思うのだ。

 理由は冒頭の引用に全て集約される。

 生きる意味を問う人は、たくさんいる。この人生で、何に期待をして、何に希望を見出して歩いていけばいいのか。悪いことは何もしていないのに、真っ当に生きているのに、どうしてこんなに、こんなに苦しまなくてはいけないのか。苦悩は自らの人生を憎ませる。他人に羨望を向けさせる。自分のシリアスさがどんどん肥大化していって、この世で不幸なのは自分だけだとさえ思う。慰めにも励ましにも、耳を塞ぎたくなる。幸福な人からの言葉なんて、いらないと突き返したくなる。幾度となく生きる意味と理由を問い、何ひとつ答えを得られず、1人で泣く夜を、1人で超えてきた人たち。

 問うのは私たちではない。私たちが、問われている、この人生に。

 生きるに値する人間として、行動していけるかどうかということを。

 これは、私の思うことだけど、苦しんで夜を超えていくことは生きることで、意味があることで、この生が生きるに値すると、自分がわかる、大切な時間だ。

 この本が伝えたいのはきっと、あなたより苦しんだ人がいたよということではなく、あなたの苦しみを価値あるものにするための激情と祈りなのだ。

 とんでもない本を読んだ。苦悩するすべての人に、ぜひ読んで欲しい名著だ。1人で苦しんでいる夜があるなら、この本にぎっちり詰められた言葉たちのうち、どれかひとかけらであっても、たぶん、何かとてつもなく大切なことをもたらしてくれるはずだ。夜を超えて、明日を迎えるための、言葉をくれるはずだ。

 自分の持つ価値観を鈍器で殴られたまま、とめどなく言葉を綴った。あまり有益なことは言えていないと思うけれど、私が言いたいのはつまり、この本を読んで欲しいということだ。この本を読んで欲しい。

 最後に、敬愛なる全ての人への感謝を込めて、この本に載せられていた、祈りの言葉を添えておく。

et lux in tenebris lucet

夜と霧

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