『隻眼の邪法師』 第14章の1

<第14章:僧院にて その1>

 いつもは静かな僧院アーレスの白い壁の前に、その朝ばかりはただならぬ数の人々が集まっていた。

 老いも若きも一様に黒い髪と瞳をした人々。多くの馬車に食料と最低限の荷物を積み込み集まっているのはイルの村の住人たちだった。誰もが一様に不安と意気消沈の混ざり合った、なんともいえぬ心細げな表情を浮かべていた。あたかも生まれ育った垣根から売られるため外に出された家畜のようだった。彼らの両脇を固める武術と魔術の二人の師の姿までが、なにやら牧羊犬めいて見えるほどだった。

 アラードはアルバと共にそんな人々に向き合いつつ、半月前のことを思い返していた。河が干上がり命運の尽きたイルの村での出来事を。


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「邪悪な魔導師は火の山と共に滅びた。だが水源の村は奴の手で全員が亡者にされたあげくに焼き払われ、この河の水源も溶岩に呑まれ絶たれてしまった。もはや村を捨てて遠くへ移住するしかお前たちが生き延びるすべはない」

 ボルドフの言葉に、いきりたった村人たちは口々に叫んだ。

「村を守ってくれるんじゃなかったのか!」

「役立たず!」

「やっぱりてめえらは疫病神だ!」

 あまりの言いように思わず怒鳴り返しかけたアラードを制し、剛剣の師は重々しく言葉を継いだ。

「前にいったはずだぞ。この村は終わりだと。おまえたちは東の地のすべての民から人外のものと見なされたのだ。おまえたちが金髪の民にしたように、いつ村ごと焼き滅ぼされるかわからん。たとえ河が無事であろうと、この事態を変えることはもう誰にもできんのだ」

 その声の厳粛な響きに、誰もが耳を奪われていた。

「正直なところおまえたちには感心しないが、俺たちはこれでも人間を守る誓いを立てた身だ。そんな死に方をさせたくはない。村を守ることはかなわずとも、せめておまえたちは助けたい」

 その言葉に打たれ、アラードは師を仰ぎ見た。アルデガンでの誓いの意味を、重さを改めて感じた気さえした。そして想った。村の守り手から始まって一度は軍籍に身を置いたものの、村々を苦しめるばかりの戦を嫌って脱走し、もはや省みられなくなっていたアルデガンにあえて赴いた師の生き様を支えているものを。そんな赤毛の若者の耳に、村長ハーリの震え声が聞こえた。

「そ、そんなことをいっても、わしらにどこへ行けというんだ。こんな大人数であてもなく旅になど出られるものか!」

 そうだそうだと続ける村人たちに腹を立てつつも、アラードもそれには一理あると思わざるを得なかった。だがそんな声を腕の一振りで黙らせるや、ボルドフはいい放った。

「あてはある。俺たちは無人となった街と村を知っている」

 グロスが目を剥いたのが見えた。アラードも感じた。全く同じ顔を自分もしているのを。

「そこはこの東の地を統べるイーリアの勢力圏から遠く離れた、砂漠のほとりの街と村だ。そこならこの地の民たちもそう易々と近づけん。たとえ訪れてもおまえたちの出自さえ悟られなければすむことだ。この地でのことを全て捨てて、一からやり直すのにあれほどふさわしい場所はない」

「では、まさか……」

 驚きを隠せぬアラードに、振り返ったボルドフが首肯した。

「ああ、こいつらをゼリアの街とドーラの村へ連れていく」

 魔物の群に食い尽くされた街と狂戦士たちに焼き払われた村、それが移住先だと告げられた黒髪の民はそんな所はいやだと散々渋った。だが魔物の群は大陸各地に散り散りになり狂戦士たちもその時全滅したとボルドフに懇々と説明され、そんな場所だからこそ近隣の民たちの移住を免れていて争わずに移り住めるのだと説かれたことで、黒髪の民は一晩中を費やしての議論のあげく、ついに移住に同意したのだった。

 アラードはもちろん自分も同行するものと思い込んでいたが、ボルドフは意外にも、オルトの死により再び僧院長に就くこととなったアルバから解呪の技を修得するためアーレスに残ることを命じた。この地へきた道を戻るだけだから順調に進めるはずではあるが、それでも片道数ヶ月、往復なら半年を優に越える。その月日を費やせば、おまえもその目的に欠かせない技を修得できるだろう。戻ってきてもまだだったら、俺たちも世話になりながらせいぜい尻を叩いてやる。それがボルドフの言葉だった。

「では、それではグロス師父は?」

「むろん俺といっしょに来てもらう。いくらなんでも呪文の援護なしにこんな人数を守れるわけがなかろうが」

「し、しかし」

 いいよどみつつアラードは白衣の神官を振り返った。その目が小柄な司教のこわばって色をなくした顔を捉えた。

「どうしたグロスよ。俺は頼りにしているんだぞ」

 ボルドフがいうとグロスは耳を押さえ下を向き、身を震わせて呻いた。

「できない。無理だ、私には……っ」

 そんなグロスに歩み寄るや、ボルドフは耳を押さえる両の手を引き剥がした。

「そうしてまた逃げるのか。そしてまた後悔するのか。いつまで同じことを繰り返す気だ!」

 打たれたような面もちで見上げる小柄な司教の肩を分厚い手でがっしりと掴み、巨躯の戦士は思いを込めて語りかけた。

「これは唯一の機会だぞ、悪しき因縁に打ち勝つための。ここで逃げれば、おまえは因果に屈したことになる。それはおまえを、神官としての信仰を決定的に損ない、やがて惑いの中でおまえの力は損なわれてゆく。おまえもわかっているはずじゃないか」

「で、でも……」

 いいかけるグロスを遮り、ボルドフは続けた。

「おまえはあのとき助けただろうが。亡者に襲われたあの娘を。できる。おまえなら絶対できる!」

「……」

「確かに荒療治だが、俺も馬鹿ではないつもりだぞ」

 視線を落としうち黙したグロスだったが、ややあって見上げた目には決意の色が浮かんでいた。

「ならば私を見張っていてくれるか? 過ちを犯しそうだったら止めてくれるか?」

「もちろんだ! そのためにアラードをここへ押しつけていくのだからな。おまえが音を上げるほど見張ってやるさ」

「……私はお荷物だとおっしゃるのですか?」

 ほっとしつつアラードはあえて軽口を叩いた。ボルドフに頷くグロスの浮かべた微かな笑みがたまらなく嬉しかった。


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 僧院の鐘が鳴った。出立の時がきたのだ。

「では行くぞ。アルバ師よ、アラードを頼みます」

 ボルドフに頷くアルバの横で、アラードもグロスに別れを告げた。

「道中のご無事と安寧を祈っております」

 そんな型どおりの挨拶を遮りグロスがいった。

「祈りあおう。互いの修行の完遂を」

 頷きあうとラーダの名のもとに宿願成就の祈念を交わす二人の術者たち。やがてボルドフが先頭に、グロスが殿をつとめつつ、馬車の列は旅だっていった。馬上のグロスが何度も振り向きつつ遠ざかってゆくのを、アラードはいつまでも見送っていた。

 こうしてアラードの僧院での日々が始まった。


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