『隻眼の邪法師』 第14章の3

<第14章:僧院にて その3>

「アラードよ、よくぞこの短い期間に術の発動までこぎつけた。わしが教えられるのはここまでじゃ。安定して発動できるようになるにはさらなる研鑽が欠かせぬが、それはもはや教え導かれるべき事柄ではない。だが……」
 そう語りかける老師アルバのまなざしには、不思議な色が見え隠れしていた。なにか絶ち難い思いがその奥に底流しているのを感じざるをえなかった。そんなアラードの思いを知ってか知らずか、この数ヶ月の間にも頬の削げた修道士は言葉を継いだ。
「わずかな期間にこれほどの成果をあげるからには、何か思いもあるのじゃろう。よければ聞かせてはもらえぬか?」

 アラードは悟った、言葉にというよりむしろその声に。老師の問いが断念するために発せられたものだということを。東の櫓としてのかつての姿を失い役割を果たせなくなったこのアーレスの現状を憂う僧院長には、同じ教団に属しまがりなりにも解呪の技をも発動できるところへこぎ着けた自分は願ってもない後継者と映っているに違いない。けれど戦士の身でありながら最高難度のこの術を求める以上ただならぬ事情もあるはずと察した老師は、長からぬ身の己が願いを諦めるべくあえて事情を問いかけているのだ。自らの願いを口にせぬまま心の奥底へと葬るために。胸を突かれる心地のまま、若者は深く一礼し面を伏せたまま答えたのだった。自分が気づいたということをできればアルバに気どられないよう願いつつ。
「かつて私は、大きな過ちを犯しました。その償いをしなければならないのです」

 そしてアラードはアルバに告げた。吸血鬼の牙にかかったリアが瀕死となったそのとき、彼女をこの世につなぎ止めたい一心でその口に自らの血を含ませたことを、そして人の心を残したまま魔性の身へと転じたリア自身から願われて、いつか彼女を滅ぼすことを誓った顛末を、その後の旅路で窺い知れたわずかな消息も含めつぶさに告白したのだった。
「リアは解き放たれた魔物たちを、人里から離れた場所へ連れていっては少しずつ解放してゆきました。そうして魔物たちの群が散り散りとなるにつれ、私たちはその消息を見失ってしまったのです。今はもうリアがどこにいるか、どうしているかもわかりません。あの岩山の入り口を守っていた魔獣たちもアルデガンから解き放たれたもののはずですが、あの魔術師の支配下に置かれていたことを思えば、リアがこの地を去って久しいはず。それでも私はこの大陸全土を踏破してでも、誓いを果たさねばならないのです」

 話し終えるとアルバはしばしの間瞑目していたが、やがてその目が開いたとき、そこに宿された光にアラードは目を見開いた。それは浄化された光だった。深い慰藉と感謝のまなざしが自分に向けられているのだった。
「よくぞ包まず話してくれた。それだけの思いにささやかながら助力できたことこそが、神の思し召しだったのやもしれぬ。この術をひたすら死蔵するばかりとも、無為に思えたこの生涯にも、それだけの意義があったのだとそなたは感じさせてくれた。感謝する。そのことに、そしてそなたの心遣いに」
 老師は震える手で赤毛の若者に祝福の印を授けた。アラードはその手を頭上に押し頂きつつ、もはや落涙を禁じ得なかった。


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 二人の師が戻ってきたのは、それから一月ばかりが過ぎたころだった。

「移住は成功だ。あれなら連中もやっていけるだろう」
 会うなりそういったボルドフの顔は満足げだったが、アラードの目を奪ったのはグロスのほうだった。小柄な司教にあの懊悩の色はもはやなく、柔和な表情には単に本来の気質の発露というに留まらぬなにかが感じられた。アラードの目には、それは聖者の相とさえ呼べそうなものに映ったのだった。
 そんなグロスの左手首に、二つの石を紐で結んだものが結わえ付けられているのを赤毛の若者は認めた。あの黒い三日月形の石が、見覚えのない白い三日月形の石とともに手首を飾っているのだった。それが師の様子に関係があるものだと直感した若者は、だが直接訊くのがためらわれたため、ボルドフにそっと訊ねたのだった。あれは黒髪の民の贈り物ですか、彼らとの和解の証なのでしょうかと。
「当たらずといえど遠からずだな」
 剛剣の師は答えた。
「端から大人たちには期待していなかったが、何度も助けられたにもかかわらず、連中は最後までグロスに打ち解けようとはしなかった。あれは子供たちに貰ったらしい。俺はその場にいなかったから委細は知らんが」

 そういった戦士のごつい顔は、けれどとても嬉しそうだった。アラードもそれを見ただけで、本当によかったと心から思ったのだった。だがアルバの喜びようはそれ以上だった。老師は床から身を起こし、二つの石を祝福しつつこういった。
「その形見の石をわしが手渡したことで、あなたの懊悩は始まった。あまりの迷いの深さに先のことが案じられたというのが本心じゃ。だがあなたは、新たなこの石を見出してくれた。生き身の子らとの絆の中に。これなら安心してあなたを見送ることができよう。これほど嬉しいことはない」

 そしてアルバはやつれを隠せぬその身を案じる三人に願ったのだった。自分にぜひあなたがたを見送らせてほしい。後のことに心残さず安んじて旅立たれよと。


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