『封魔の城塞アルデガン』 第1部:城塞都市の翳り 第4章
<第4章:路上>
夜番の者と交代し宿舎に戻ってきた時もなおアラードの昂揚は続いていた。だからリアに出会うなり話しかけた。相手の様子がいつもと違うことにも気づかずに。
「聞いてくれ、リア。洞門番になったんだ!」
「……よかったわね、アラード」
沈んだ声に、ようやくアラードはなにかが変だと悟った。
「どうかしたのかい? リア」
「私、旅に出ることになったの」
予想もしなかった言葉を聞いたアラードの驚きは、だが彼女から詳しい話を聞くうちに寂しさよりむしろ安堵の勝る気持ちへと変わっていった。幼なじみだった二人はそれぞれが訓練を受けるようになってからも互いに励ましあってきたが、アラード自身はリアに魔物と戦ってほしくなかった。だからリアが一時的であれ旅に出れば、少なくともその間は魔物に食い殺されることはないはずだと思った。少年のような剣士は胸を突かれた。己が安堵のあまりの大きさに。
「アザリア様がいっしょなら心配ないさ。きっとすべてうまくいくよ」
そう励ましつつアラードは思い出していた。リアの父ダンカンのことを。あのときかいま見たその胸中を。
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「ほんとに単純な奴だな、おまえは」
なぜそんなことをいわれたのか思い出すより早く、だが苦笑を浮かべたダンカンの顔に酒でも覆い隠せぬ疲労の色が窺えたのがありありと瞼に浮かんできて、おかげでアラードは思い出した。疲れているのかと訊ねたことでそう返されたのだったと。
「だがおまえが裏表なく接してくれるおかげで、リアはずいぶん救われてる。心を読める相手にそうしてくれる奴ばかりじゃないからな。わかってるか? 俺も感謝してるんだぞ?」
まあ座れといわれ、アラードは自分の皿を隣に置いた。夕方の酒場は活気と喧噪に満ちていたが、からかわれたのではと向けた疑いのまなざしの先で、だが中背の戦士の纏う翳りは薄らぐ気配さえないように見えた。やがてまだ酒の残るジョッキを置くと、ダンカンは料理に手をつけるでもなく机の上に視線を落とした。そのまま動かぬ相手の金髪が、灯りのせいか妙に白っぽく色あせて見えた。見つめる赤毛の若者の耳に呟く声が聞こえた。歳などとりたくないものだなと。
「前にできたはずのことができなくなる。届いたはずの剣が届かず、救えたはずの奴が救えない。こんなことを感じるようになるまで、俺ごときが生き残るはずじゃなかったのに」「そんな! あなたは立派な」
古傷だらけの手が遮った。
「誰もが限界まで頑張っているここでは、最後は素質の差がものをいう。俺はこの程度だったのさ。エレーナだってそうだった。傑出した術者とまではいえなかった」
リアの母の名を出されてもアラードには応えようがなかった。エレーナがリアを産んだことで亡くなったとき、彼はまだ一歳になるかどうかだったから。
「なのになぜ、そんな俺たちからリアは生まれた! 身に過ぎた魔力なぞ持ったんだ! 虫も殺せぬどころか心寄せずにいられぬ娘なんだぞ!」「こ、声が大きすぎますよっ」
あわてて止めたアラードだったが、相手の言葉を否定する気は毛頭なかった。自分より先に実戦に出たリアが戦えなくなったと知って以来、彼もまた彼女の戦いは自殺行為と信じていたから。そうと知ってか知らずか、ダンカンの顔が縋りつく赤毛の若者に向けられた。
懊悩の翳りに染まっていた、リアと同じ空色の目が。
「俺の代で終わらせたかった。そう心に誓っていたんだ。なのに状況が悪くなるばかりのこんな時に、俺は衰えてゆくのか。誰も救えず、死地に赴く娘を止めることもできずに……っ」
どう応じればいいかわからぬままアラードが見つめていると、ダンカンはジョッキを一気にあおり、立ち上がった。
「……俺は帰る。寄宿舎にはおまえ一人でいってくれ」
「なんですって? 二人で面会にいく約束じゃないですか」
「こんな状態で会っても心配させるだけだ」
「そんな! リアがあなたを待ってるのに!」
だがいかなる説得も懇願も相手の翳りを払うに至れず、ついに赤毛の若者は唇を噛み呟いた。
「リアにどう話せというんです……」
「ありのまま伝えてくれ。初めてのことでもないからな。それにおまえの嘘じゃリアでなくてもすぐバレる」
古傷だらけの手が、料理の皿を若者の前に押しやった。
「頼まれ賃と思って食え。ボルドフにいつもいわれてるだろう、とにかくガタイを養えと。奴にも当てにされてるんだぞ」
「次は、来週はいっしょに来てくださいよ。リアにもそういっておきますからね!」
「……ああ、それでいい」
去りゆくその背にアラードは思った。これでいいはずがない。来週は絶対リアのもとへ連れていこう、引きずってでもそうしなければ! と。
だがそれから三日後、夜番に出ていたダンカンは部下を敵から庇って死んだ。
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聞こえてきた子らの祈りが、寄宿舎の前の若き剣士を現実へと引き戻した。鳶色のその目が建物を見上げる少女の横顔に焦点を結んだ。
懊悩の翳りに満ちていた。父親と同じ空色の瞳が。
だがアラードは、そんなリアの胸中を察することができなかった。寄宿舎から聞こえる幼子らのか細く不安げな祈りを背景に、見納めとなった父親と同じ目をした幼なじみの華奢な少女。その符合の不吉さが、赤毛の若者にそれだけの余裕を許さなかったのだ。胸に焼きつく姿のその不吉さがかき立てる恐れに彼は抗い、はね返さんと一途に念じた。なにがなんでもリアを守る、自分が守らねばならないのだ! と。
それが自分たちにもたらす事態も、まして魂の奥底に刻まれたその姿が歳月の果てに遙か彼方で甦る日がくることも、神ならぬ身では知るすべもないままに。
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