『人狼』 第4章:砂漠の街 その3
娘はリーザと名乗った。彼女の母はドーラの村の占師だった。だが1年前のある夜、ゼリアの街が魔物の群れに全滅させられたのを幻視した際に力を失った。しかもそれ以後ずっと様子もおかしいという。
そんな話をするリーザを馬に乗せて手綱を引いて歩くうちに、ドーラの村が見えてきた。十数戸の農家、おそらく百人弱とおぼしき小さな規模の村だった。
村人はみな髪が赤く鳶色の目をしていた。アラードは無人の廃墟だったゼリアでは感じなかった感慨を覚えた。この地が自分の故郷だったという思い。実感となるために必要な記憶はなに一つなかったが、草原で見た様々な人々の営みの記憶がありえたかもしれぬ自分の姿を垣間見せた。それは彼を甘く苛んだ。
村長に挨拶をして案内された占師の小さな家は一番奥だった。
リーザの母ローザは背が老婆のように曲がっていたが、大きな鳶色の目が神経質な印象を与える細面からは40前くらいと見て取れた。娘が連れてきた三人の珍客に驚いた様子で針仕事を置き杖にすがって立ち上がった。見ると左足が短かった。
「巡礼の旅の途中に砂漠で廃墟の街を見ましたが、そこからこの村へ来ましたら娘さんに随分と驚かれましてな。聞けばあの街のことをご存じとのこと。できれば宿をお借りした上でお話しでもおうかがいたいと思いましてな」
巡礼の型どおりに癒しと招福の祈りを捧げたグロスが話す間もローザの目は彼らを値踏みするように見ていた。アラードは占師と呼ばれる者には初めて会ったが、見すかされているような気がして落ち着かなかった。
「納屋でもよければ泊めてあげるよ。でも、あの街の話は夜にはとてもできやしない。リーザ!」「なあに? 母さん」
「客人だ。これじゃ水が足りないよ。汲みに行っておくれ」
リーザは怪訝そうに母の顔を見たが、うなづくと水桶を持って出ていった。
リーザには聞かせたくない様子だった。アラードはどんな話になるのか、なんだかわかるような気がした。ローザはしばらく聞き耳をたてている様子だったが、やがて三人に鋭いまなざしを向けた。
「あんたたち、巡礼じゃないだろう?」
「……なぜ、そう思われる?」
「あれからこの道はみな怖がって来ないんだ。巡礼ならなおさらさ。だいいち街道を通らなきゃ巡礼地には行けないのに、あんたたちは砂漠のそばをずっと来ただろ。でなけりゃそんなに日焼けするはずがないよ」
「これは参った。もっと気をつけないといけないようですな」
「これでも占師だったんだ。今はただのお針子だけどね」
自嘲の笑みを浮かべながらも、その目は彼らを探っていた。
「で、どうしてあたしの話が聞きたいんだい?」
「我らは魔物の群れを追っている」
ボルドフが静かにいった。
「たった三人でかい? そんな馬鹿な!」
「むろん正面から挑めはしないが、それでもやつらの被害を少しでも抑えたい」
ボルドフはローザの目をまっすぐ見た。
「あの街が魔物に滅ぼされたのを見たと聞いたが?」
ボルドフの視線を受けとめたローザの顔が苦しげに歪んだ。逡巡の後、しかし彼女は思いつめたように口を開いた。
「1年たってもまだうなされるんだ」声がかすかに震えていた。
「あたしはとんでもないもんを見ちまった。遠見の力があったばかりに。しかもそのせいで力まで無くしちまった」
ローザは椅子にかけ直すと、杖をぎゅっと握りしめた。
「この話は嫌なんだ。なるべく手短かにさせておくれ!」
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