『隻眼の邪法師』 第13章の5

<第13章:幽けき星夜 その5>

「寒い……、寒い……」
 見上げる目に抑えがたい畏怖の色を滲ませつつも、か細い声でそう訴えずにいられぬ黒髪の民の一員だった少女。その前に立ちしばし無言で見下ろしていた白髪の乙女だったが、やがて黒衣の両袖を爪で断つと、原型を留めていないぼろの代わりに両肩から羽織らせてやる。たちまち二枚の布が細い体に巻きつく間にも、元に戻っている長い袖。とまどいつつも小さな声でありがとうと呟く少女。だがその唇に色は戻らず、震えも収まる様子がない。そんな娘に至高の吸血鬼は静かに告げた。

「転化を終える最後の瞬間、おまえはその身に炎を浴びた。寒く感じるのはそのせいよ。おまえの体は炎を間近に感じていないと耐えられない。でも」
 言葉を切った乙女の碧い瞳が、縋るような少女の黒い瞳の奥を見つめた。
「おまえの記憶の底の底には二つの言葉が刻まれているわ。そのうち長いほうの言葉が、そんなおまえを助けてくれる」

 いわれて目を閉じ己が記憶の奥を必死で探り始めた黒髪の少女だったが、やがて青ざめた唇がついに見出した言葉を唱えるや、たちまち荒野に炸裂し天を焦がす紅蓮の火柱! その熱を受けてようやく血の気の戻った小さな顔が感極まって涙を流す。それを見届けた黒衣の乙女が告げた。
「おまえは自由よ。本来おまえを傀儡として支配するはずだった者は、もう遠くへ去ってしまった。おまえもその呪文の助けさえあれば、どこでも好きな所へ行けるはず」

 踵を返し去ろうとする風の乙女を、しかしおずおずとした声が呼び止めた。
「じゃあ、これは? こっちの短い言葉は……?」
 けれど相手の返事よりも早く、自ら見つけたその答えに少女の顔は輝いた。
「メリー、わたしはメリーっていうのね!」

 その言葉に、身の丈ほどもある雪白の髪を背に流した後ろ姿は小さく呟いた。
「……なぜおまえたちは、名前を持たずにいられないの?」
 だがその意味するものを知るすべもない小さな吸血鬼は、風の中に消えていく後ろ姿をわけもわからず見送るばかりだった。


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