断乳は突然に part3

私にとって授乳とは、

愛情表現、スキンシップ、母としての自己肯定感や自信を感じさせてくれるもの、ここまで続けてきたという誇り、努力の証、自慢だったと思う。まだきっとあるんだろうな。

今回の悪阻中、ほんとに動けなくて娘のために何一つしてやれず横になるばかりで、
そんな中、授乳だけが私がしてあげられることだと思っていた。
そして免罪符のように思っていた。
何も出来なくても、その日の夜に授乳さえすれば(私自身に)許されるような心地だった。

どんな情けない私でも、おっぱいを求めてくれる。

どんなに娘が泣いていても、おっぱいを見せると泣き止んでにやーと幸せそうに短い手を伸ばしてくれる。

魔法のような存在だ。

最初から授乳が軌道に乗っていたわけではなかった。

産後すぐ黄疸になった娘はおっぱいを飲む元気がなかった。

また私も里帰りで同居していた義母の良かれと思って言ってくれた言葉(お母さんは休んでて。私がみてるから)に違和感を感じつつ、そこを見て見ぬふりをしてしまったのだが、それがいけなかった。

また友人が「授乳は2時間おきだよね!」と何故かやたらLINEで言ってきたことに影響したこともいけなかった。

結果的に、赤ちゃんが泣いたらとりあえずおっぱい咥えさせることが、私たちの場合は軌道に乗せるために必要なことだったから。

産後、黄疸で救急受診した翌日からスパルタな日々が始まった。

1日3時間おきに、①直授乳 ②搾乳した乳を、桶式の哺乳乳首瓶で授乳③次のために搾乳の3タームを繰り返した。

暑い夏、ほぼ私は半裸で、なんとか滲みでた一滴の母乳を哺乳瓶にかき集めた。
黄疸の娘はほぼ眠っていたので、①〜③の1ターム終えるのが3時間、すぐにまた新しいタームが始まるといった具合。しんどすぎた。

義母が夜遅くまで起きてくれて助けてくれて本当にありがたかった。

飲めているのかわからなくてスケールをレンタルして、飲むたびに乗せて一喜一憂していた。

気がつけばおっぱいが軌道に乗り、そこからは薔薇色のおっぱいライフだった!

娘の発達と共に、日々少しずつ動かせるようになっていく手や指で、授乳中、私の下着やTシャツ、または私の顔を触ったりして遊んでいた。そこから娘の成長を肌で感じていた。

1歳9ヶ月の今はおっぱいを飲みながら下からわたしの顔をにやーとしながら目尻を下げて笑いかけてくれる。アイコンタクトしてコミュニケーションが取れる。

おっぱい飲む人ー!と聞くと、どんなに暴れていても「はーい!」と手を挙げる。
そして私も喜んで洋服の裾を捲り上げていた。

(あーーー!これ動画に残しておけばよかった!!!!!!!!)

私から母乳を無くしたら、母親としてのアイデンティティがごそっと抜け落ちるような、自信が無くなるような気がしているんだと思う。

そんなはずないのにね。
積み重ねてきた日々は母乳だけじゃないのに。

私よ、自信持ちなさいよ。
娘との時間を、築いてきた信頼関係を、信じなさいよ。

明日はどうなるだろう。
断乳までの日々はまだ続くのだろうか。

どちらにせよ、今まで以上に愛情を伝えたい。

というか新しいタームに入ったと考えてみようかな。

こうやって書いている間、お腹の赤ちゃんがゴニョゴニョ動くのを感じている。くすぐったくて、愛おしい。

私は一人っ子だから兄弟ってよくわからなくて。

平等に思いに応えることなんて、多分難しいんだろうけど、私はつい応えなくなる。

そして、言葉を使う人、感情を表に出す人に引っ張られてしまう。

でも、お腹の中の赤ちゃんは表に出てこない。私が聞こう、見ようとしなければ出てこない。

でも、何か発してる気がする。
そこに気がつく瞬間は、思い込みではなく明確に私以外の何者かの気配を感じる。

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