見出し画像

「どうぶつの森」は何がおもしろいのか

と、たびたび聴かれるんだけど、うまく答えられないので、心の片隅でたまに考えてた。

たぶん答えは「幼少期の一人遊びの時には叶わなかった無自覚の夢が叶うから」なのかなと思った。

わたしの幼少期は、レゴやシルバニアファミリーなどが中心だったんだけど、これらの共通点は「道具はあるがルールは無く扱い方は自由」というところにあると思う。

レゴでは、わたしはいつも「部屋」を作っていた。緑色の薄っぺらくてデカい正方形のレゴを床に見立て、数少ないドアパーツの中から好きなものを選んで差し込む。そして普通のレゴでは壁をつくり、その周りには木のパーツや花のパーツを差し込んで、庭を作った。

限られた床パーツ・ドアパーツでつくる部屋は、何回作っても大体同じようなものになった。出来上がる部屋のバリエーションは、パーツのバリエーションとほとんど等しかった。

シルバニアファミリーは、小物のクオリティで満足感を得ていた。赤い屋根のおうちは、今思えばどう考えても狭小住宅だが、その狭い空間に、クオリティの高いミニチュアを並べて遊ぶことは、とてもワクワクした。

でもやっぱり、持ってる家具には限りがある。無限におもちゃを買ってもらえるなんてことはもちろん無く、特別な日にやっと、何かひとつ新しい家具を新調できる、といった感じだった。

レゴにもシルバニアファミリーにも、こんな風に「モノの分量的な限界」があった。限られた範囲の中での自由は約束されているが、範囲を自分で変化させていくことは、幼少期の自分には難しかった。

でも、「どうぶつの森」は違う。家具は1日に何種類も手に入れられるし、地形を変え、さらに地形を積み上げ、好きな場所に川を開通することだってできる。

「どうぶつの森」は、幼少期に遊んだおもちゃの無限拡張機能付き、まるで夢のような存在だったのだ。

想像力が解き放たれるような感覚が爽快で、「え、こんなこともできていいの!?え...ということは、こんなこともできるじゃん!」と、構想が脳から溢れて止まらないのだ。

こんなことを考えていると、わたしは、(特に自分は、なのかも知れないが、)好きな世界観をつくることに喜びを感じる人間なんだなぁと、しみじみ感じる。

たぶん、そういうことに喜びを感じるような同志たちが、「どうぶつの森」にハマっているのではないかな、と思う。

たかがゲーム、されどゲーム。物理のおもちゃから学べることとバーチャルから学べることの境界線は、どんどん無くなりつつあるのだなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?