2021灘・筑駒の国語の雑感

今回は東西の男子のトップ校についてつらつら書いていこうと思います。結論を先に述べておきますと、灘は思ったよりずっと簡単で、筑駒は例年通り激むずだな…でした。

◎灘

一日目は一ヶ月前ぐらいに解いたんですよね。まあ例年通り、漢字パズルは画数縛りというヒントがあったので例年より簡単でした。外来語もエグいのは出ていなかったですしね。俳句の穴埋めは相変わらず激むず。まあこんなもん半分当たるぐらいでいいでしょうとは思います。一日目は知識に関して幅広く、かつ深くやっておく必要がありますね。でも、所詮知識なので膨大な量の知識をインプットをしていればそこそこはまとめられるはずです。一日目は灘に対する本気度を測るテストだと思っています。対策していればいいというだけなので、国語が弱い子に対しての救済だと思っています。

二日目なんですが、まずは詩以外から。論説文と随筆が出題されていて、記述が12問出題されています。その中で抽象表現の説明や本文にない表現で答えるものといった難易度が高いものって実は4問だけ(大問1の6,7と大問2の5,7)。他はほとんど傍線部の近くの本文の表現を使えるので、まあいくら国語が弱いとはいえ本気で灘に合格にしに来た子ならそれなりに解けるでしょうというレベルです。難しいと書いた4問についても、論説文の方は前後の文脈から因果関係をつかむこと(問6)、傍線部から離れた箇所にあるキーワードを定義付けた部分を利用すること(問7)ができれば、論説文は問題条件(「図書委員の立場を考えながら」)から関係性の違いをつかむこと(問5)、傍線部の直前の一文に足りない表現を補いながらより細かく説明すること(問7)ができれば、手も足も出ない問題ではありません。これは小学生には解けへんやろwwwとなる問題は一問もありませんでした。

最後、詩に関してです。これもまあ簡単とは言わないのですが、主題が割とベタなんですよね。親子のバトンタッチ、生命の繋がりってやつ。私は勤めていた塾のせいで一種の灘アレルギーにかかっていて、毎年灘の問題は解いていないので断言できないのですが、これぐらいベタなものが出題されるのであればその場で独力で解釈できなくても、過去に読んだ似たタイプのものをもとにして理解できるんじゃないかと思うのですよ。ちなみに勤めていたところでは4年の講習に河井酔茗のゆずり葉が載っていまして、その内容を理解できていれば今回出題された村田好章の「駅伝」もまあ似たようなもんじゃないかとなるはずです。詩という割にそんな奇を衒ったようなことは問われていませんね。解くときのポイントを一つ挙げておくとするならば、説明不足の問題文を自分で補足してわかりやすくできるかですね。問4で「『夕日のせいなのだろうか』とありますが、他にはどのような理由が考えられますか」という問いがありますが、これは自分で「『むすこの背中が輝いてみえるのは夕日のせいなのだろうか』とありますが、他にはどのような理由が考えられますか」というふうに噛み砕けるかが大事です。あと、問3の「見送る」の方は「子供が巣立つのを見送る」と「親の死去を見送る」という2つの解答が成り立つと思います。これは学校の問題の作りが甘いのではと思いました。

正直、思っていたよりも簡単でした。難易度的に、あくまで理系の学校の国語という印象はあります。ただ、ひねった問題が1,2問は出るかなあと思っていたので、これだけ解きやすいと国語が本当に苦手な子は悪い意味で国語で差がついてしまうかもしれません。まあそれでも国語以上に算数で差がつくのが灘という学校ですが。

◎筑駒

いや、論説文と詩がクッソむずいんですけどwwwこれ、物語文で取れなかったら爆死確定ですよ。論説文は抽象表現の説明と、本文に書かれている内容を根拠にして書かれていないことを類推して答えるという問題しか出ていないです。後者は灘でも1,2問出ていますが、灘よりずっと難しく感じました。論説文の問3はまあよくある「西洋・自立⇔日本・依存」という対比なんですが、傍線部で使われている「教える」が一般的には「自立」のイメージを持っていない言葉であり、かつ「対比」されている「躾ける」が本文では説明されていないので、フランスにおける「教える」を正確に読み取ったうえで対比にしなければなりません。問4は2社の解答を見ましたがどちらもちょっと説明不足ではないかと思いました。フランスでは鉄道会社が電車の遅れを乗客に謝らない理由を答える問いなのですが、傍線部直後の「迷惑をこうむったのは、鉄道会社のほう」というところを答えに使いたいです。ただ、それだけでは乗客にも迷惑がかかっているのに謝らない理由までは答えられていません。そこで、本文前半に書かれているフランスの「待つ文化」に触れる必要があります。「待つ文化」がそもそもある→(日本と違い)待つことを迷惑と感じない→だから謝る必要がないという流れですね。これも直接的に本文には書かれていないので、前半の内容をもとに自分で繋がりを類推して埋めながら書かなければいけないわけですよ。この2問だけで灘の全部よりハードでしたwww

物語文は簡単でした。武蔵チックな字数制限なしで余すところなく事細かに説明する問題が多かったですね。ただ、筑駒が鬼畜なのは試験時間が40分のこと…武蔵とは問題数が全然違うんやで…

で、詩ですよ。灘の詩はベタなものだったのですが、筑駒は全然ベタじゃない…心身の二元論をテーマにしている詩なんですが、生命の繋がりなんかとちがってベタな答えなんかないじゃないですか。手垢のついた答えが頭の中にないので、すごく答えづらかったです。とりあえず問2で人間の意識が身体中心であるときと精神中心であるときがあり、それらが切り替わっているということと、問1と問3が対比になっているということを掴まないといけないですね。問1の「こころをこめた体」とは精神がこめられた、精神が相手に伝わるような身体的動作のこと。問3の「会釈」は、傍線部の後を読んでいくと「会釈をするときこころには体がこめられた」とあるので、問1の逆ですよね。現在、ネットで見られる解答は「心が通い合うもの」というもので、きちんと対比になっていないと思いました。「身体的動作を通じて親しみが通じるもの」としないといけないんじゃないかなあと。心がメインか、体がメインか、そこを明らかにして答えを作りたいですね。じゃあ、こんな詩をどうしたら解けるようになるのかというと、それに対するはっきりした答えはぼくにはないですよ。語彙力?必要です。記述力?必要です。文脈を読み取る力?必要です。細かな表現に気づく力?必要です。文章の前提を知るための幅広い知識?必要です。いらないものなんかないですし、全部が求められます。そういう問題です。試験時間も短いのでじっくり考えることもできません。残酷なまでに差がつくか、残酷なまでにみなができないかのどちらかでしょうね。

筑駒の問題を解いていて改めて思ったのですが、記述の難しさは次の3点に集約できると思うのです。①字数(ボリュームが極端に小さいか大きいと難)②本文の表現を解答に使えるか(自分で考えた表現が多いほど難)③解答の表現が一律なものになるか(絞れないほど難。絞れないほど採点者の技量も必要。解答の表現が絞れない問題で、正しく採点できないものは難問ではなくただの悪問。)ですね。この③が厄介で、少なくとも私が学校別模試を作るときはクレームを避けたいので③にはならないようにしていました。しかし、今年の入試問題を見ると、筑駒と開成(あと、麻布もかな)は躊躇なく③まで突っ込んでくるなあと感じました。(桜蔭は違いますね。難しいですけれども、まあ最終的にはこういう表現になるよなっていう問題を出す印象です。近年は解いていないので断言できませんが、神女も③まで突っ込んでくる印象です。)筑駒や開成に合格する力を手に入れるためには、指導する側が適切に生徒の解答を採点・評価できることも重要だという当たり前のことを改めて実感しました。

以上です。GWはウマ娘以外にやることがないので、もしリクエストがあればFFさんはツイッターで教えてくださいー。

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