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震災と私

2023年3月11日 12年が立つんですね。
早かったのか、長かったのか・・・
私の今住んでいる地域は東日本大震災の影響をかなり受け、今でも現在進行形で復興や社会インフラを整えようと懸命に支援がなされている場所です。

12年前の今日(3月11日)から1年ほどを、自分がどのような状況だったのか備忘録もかねてちょっと書いてみようかと思います。

読みたくないなという方はスルーして頂いて構いません。






2011.3.11 14:46
大学3年生(関東の大学)、4月頭から実習が始まるため大学に集まり同級生と勉強中 ガタガタとかなり長い初期微動が2分以上続き、その後震度5~6前後の揺れが到達。すぐに外に出てグラウンドに集まる。
この時点でただならぬ予感。スマホでテレビを見ながら、東北地方が大変なことになっていると・・・。
私の実家も北関東の海沿いの県、かなり不安になり公衆電話から電話をかけるも繋がらない。大学には数箇所に公衆電話は設置していたが大行列であった。(スマホではつながらないし、LINEもない時代、まだガラケーも半分はいた)
状況が全然掴めず、とにかく情報を確保しようと学校にいた先生や職員の方々が忙しく動いている印象。
電車も全て止まり、電車で通学している同級生(新幹線で県外から通っている子もいた)たちが帰れなくなってしまったので、一人暮らしの家に振り分けしとにかく学校から離れる事とした。
私も一人暮らしをしていたので5人の友達を受け入れて、コンビニで買い物をし6畳一間の1Rに急いでむかう。
その間も余震はあり、不安な夜を過ごす。
この時は一人暮らしの家の友達数軒とSkypeを繋ぎ情報収集を行っていた。

徐々に親が迎えにきたり、電車が動き出し少しずつ帰宅していく。 
みんなが帰ってしまうと、なんだか1人でいるのも怖くなり、今度は一人暮らし同士で集まっていた。

2〜3日が経ち、一人暮らしの家の近くの公衆電話から実家に連絡し安堵した。実家は築年数が何十年とあったので半壊でひび割れがひどい状況であったと後から聞いた。それに、家電製品は全滅。昔ながらの家の中で荷物も多かったので揺れでかなり散乱し片付けが大変だったらしい。また断水や停電、ガスなどライフラインが途絶え水くみなど行っていたと聞いた。
(このとき、実習を控えていた私に心配をかけまいと特に詳しい状況や被災の内容はあまり伝えないようにしていたと母から聞いた。家族や親族の安否は確認できていたので、それ以外の部分は実習が終わり落ち着いた頃に聞いた話)

それからはあまり記憶がない
どう過ごしていたのかよく覚えていない
私の実習は延期にならず4月頭からと決まっていたので、その準備をしつつソワソワ過ごしていた。
実家に帰るための電車は線路が崩壊してしまい、かえることは難しく、家族にはこまめに連絡することしか出来なかった。


2011.4.1〜
3月中旬から計画停電が始まり、本来1時間30分で着くはずだった実習地には2時間以上かかることになり始発に乗らないと遅刻してしまう 恐怖の実習がスタート[6週間]
元々ちょっと遠目であったがギリギリ通える範囲であったため近くにアパートは借りずに通う予定を立てていた。(2期目の実習地が県外でありそちらでアパートを借りたため、1期目は通うと担任の先生と相談して決めた)

・またいつか地震が来るのではという不安
・初めての実習
・遅刻してはいけないという恐怖
・家族のこと
(自己紹介でも書きましたが、父は消防士で被災地に援助隊として派遣されていた)
・勉強ができない落ちこぼれだったので、評価や考察がうまくできないこと

などなどかなりのストレスがかかっていた
私たちの頃は実習中に寝られないのは当たり前で3~4時間睡眠なんてざらで、通いでプラスの時間もかかっていたので常に眠い状況、体力も精神的な状況も最悪であった。
それにバイザーも同じ震災によるストレスや私のできなさなどであたりが強く、正直あまり思い出したくない。

※今は昔と違ってサマリーなどを院内にいる実習時間内に書き上げたり、調べ物をする時間がもらえるなどちゃんとしくみは整えられているので、今から実習にいかれるSTの学生さんやSTになろうと心ざしている高校生・社会人のみなさん心配しないでくださいね!!!!大丈夫ですよ!!!昔の話です。

2011.6~
どうにかこうにか1期目が終了し2期目に突入
1期目と2期目の間はほぼ無くすぐに県外に移動し実習スタート

1期目で少し実習にも慣れたのか、2期目はさほど大変な思いはせず充実した実習生活を送ることができた。

全部の実習が終わり、燃え尽き症候群のような状況になってしまい震災から5ヶ月目に実家に帰った。
今までの話を聞き、自分が何も役に立てていない不甲斐なさとつらさで、落ち込む。

少し時間をもらい今度は国家試験の勉強が始まる。
先ほども書いたが落ちこぼれで模試でも全然合格点にたどり着いていない学生であったので、担任の先生(教授)や同級生にかなり助けていただきながら勉強をすすめた。
国試の勉強をしている期間はほとんど同じ生活をしていたので何も覚えていない。

2012.1~
最後の模試で合格点突破。どうにか1ヶ月前に合格点にたどり着く。

2012.2~
国家試験受ける

2012.3~
国試に合格し言語聴覚士になる

実習が終わってからの8ヶ月ほどの記憶はほぼ無くて、どうにか勉強を頑張っていたのかな~と思って書いていました。
父が被災地に支援隊として派遣されていた事は実習が終わった後に知らされ、誇りに思った反面、原発近辺に行った話を聞いたときは正直泣きました。無事でよかった。これしかない。

怒濤の1年間。

書きながらいろんな事を思い出しました。
読んでいただいた方ありがとうございました。

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