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「好きになってしまったら負け」という事実


「好きになってしまったら負け」という言葉がある。
その通り、と思う。でも、どうしてそれが「負け」になってしまうんだ、と、悔しくも思う。
 
好きになってしまうと、自分の周りにある物事すべてが恋愛ごとに引っ張られてしまうし(そうでない人ももちろんいるとは思うけれど)、好きな人に対して気を遣ったり尽くしすぎてしまったり、過剰に顔色をうかがってしまったり…とにかく、自分がついつい下手に立ってしまう。
 
この状況が負け、である。
 
実は、恋をするのは、つらいということを前提としているのかもしれない。
 
 

 
 
「なんか癪だよね」と言った。その言葉は気休めにしかならないと分かってはいたけれど(そして言ってから気付くのだ。ちっとも気なんか休まらない)、それはわたしの素直な気持ちであった。自分の気持ちに対しても、相手に対しても、気を遣うのはもうとっくの昔に疲れ果てていた。

「えらい」と返されてびっくりする。
「そうだよね、嫌だよね、むかつくよね。でも、つい自分を卑下しちゃって、自分なんかこんなんだからって引き下がってしまうから…」
 
そう言って微笑まれると、胸がじくりと痛んだ。その笑顔がどんな気持ちの表にやってくるのか痛いくらい分かる。
きっとわたしも、多くの人の前ではいつもこんな顔をして笑っているんだろう。
 
本当は「むかつく」「癪だ」「わたしのほうが!」と声を大にして叫びたい。
自分のいいところを、朗らかさを、素直な気持ちを、そのまんまにして振舞えたらいいのに。
 
でもそれができない、ああ、これはもう完全なる負けである。
 
 

 
 
「恋をすると女の子ってきれいになる」というのをよく耳にするし、実際に変化した子を何人も知っている。
女の子に限らず、男の子でも、たびたび「こんなにかっこよかったなんて」と驚かされることがある。原石が、恋によって磨かれたのだ。
 
底知れぬパワーを感じる。
 
それはいい変化であるし、そのパワーはきっとその人の人生を輝かせるに違いない。
 
「恋をしたら負け」になってしまうのはどうしてなんだろう。
人を好きになるのは素晴らしいことだし、その気持ちはとても尊いし、自分に変化を与えてくれる。なのに、ひとつ間違うとがらりと景色が変わる。悲しいくらい、逆転ホームランが望めない。
 
相手ありきのものだから、絶対に成就すべきだなんてそんなこと言えない。誰かの陰で、誰かが涙をのむのも当然だろう。
それでも、それを「負け」だと感じないようにさえなれば、いい。
 
でっかい逆転ホームランはのぞめなくても、セーフティバントでもスライディングでもして、9回裏2アウトまで声が枯れるほど応援して、それでもだめなら最後は笑ってたい。負けに唇を噛んで俯いくことなく、太陽をきっと睨んでから、汗と泥に濡れた顔を笑顔で光らせて、「こんだけ頑張ったんだから、つぎは勝てるでしょ」って。

 
そうじゃないと、なんだかとても悲しいのだ。
 

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