人間は考えるマングローブである仮説2019年版

昨日で東日本大震災から8年ということで、移住を余儀なくされた方々の嘆きをまた見ることになったので、また同じことを考えた。
 
以前「人間は考えるマングローブである仮説」として書いたのだが、その先を考えてみた。
 
自尊感情と、内部と外部を行き来する相対的な視点と、小金があると、わりとどこに行っても生きていけるんじゃないかと思う。
 
もちろん、嘆く人々を非難したいわけではない。
自尊感情を育てなよ?と上から言いたいわけでもない。
そんなのは人それぞれだ。
 
ただ、自尊感情を周囲の環境に担保されていた場合、移住はとても厳しいのではないか、と思ったのだ。
交流分析の考え方に「条件付きストローク」というものがあるが、条件付き自尊感情、と呼べるなにかがありそうな気がする。
車輪を発明している可能性があるな、と思いつつ考えてみる。
 
ゆるやかに拡大した自己=共同体、みたいな感じで、外部を意識せずに生きてきた場合、共同体からはがされたときの切り替えは難しいのかもしれない。
 
問題はやはり、生まれた場所の共同体の外で生きることを選択しなかった(選択しないことも選択していない場合もありうる)人々が住み慣れた土地から引きはがされたことによって起きているのだと思う。
 
マスコミ的にはきっと面白くないのでまったく出てこないけれど、移住先でバリバリに適応というか楽しく生きている一群の人々がいるはず。
それとも、どこでも大丈夫な人は、そもそも生まれた土地を離れてしまうのだろうか。
だれか統計をとっていないだろうか。
 
私はすっかり外に出てしまったから「帰りたい」という嘆きがよくわからないなあと思っていたのだが、帰りたいのは物理的な元の場所ではないのかもしれない。
 
最近は中にいても自由な人や、外にいても中にも関わる人々を知るようになったので、中と外の間には無限のグラデーションが存在するのだなと思うようになっている。

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