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寄席クラファンと雑感

◉落語という伝統芸能の世界も、クラファン───クラウドファンディングで存続を図る時代ですね。良い試みで、自分も微力ながら協力。これもまた、時代の流れか。本当は去年のうちに、こういう動きがあればさらに良かったんですけどね……。ちょっと思うことを、雑談風に書きます。

【落語2協会タッグ「寄席クラファン」の成否 腰を上げさせた演芸フィクサーの存在】ZAKZAK

 客入りが思わしくなく、厳しい経営状態が1年以上続く東京都内の寄席を支援するクラウドファンディング(クラファン)が立ち上がった。
 落語協会(柳亭市馬会長)と落語芸術協会(春風亭昇太会長)が手を結び実現した『寄席支援プロジェクト』。
 都内で開かれた会見で、市馬会長は寄席を「噺家の土台」と表現した。両協会に所属する師匠に弟子入りした若手芸人は、見習い期間を経て寄席での前座修業が始まる。以降、芸人人生を閉じるまで、寄席との縁は続く。なので市馬会長の言は核心をついている。

もっとも、東京都の自粛要請自体が、映画館とかまで巻き込むアホな方針のせいで、ダメージが民間に来ているんですけどね。公約を何一つ達成できていない、口先だけの都知事を軽佻浮薄な都民が人気だけで選んだせいなんですけどね。

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■コップの中のいがみあい■

これ自体は、東京の主要4団体の内の落語協会と落語芸術協会だけの動きで、立川流と円楽党は蚊帳の外なんですけれども。フィクサーがどうのこうのとか、誰にオベッカを使ってるのか知りませんが ク ダ ラ ナ イ ことを見出しにするならば、もうちょっと落語会全体に益になる情報のひとつも乗せればいいのに、とは思いますけれどね。それは関西の上方落語協会や、フリーでやっている落語家に対しても同じです。

落語という文化全体を、俯瞰して業界のために動く人間はいないようで。まぁ、江戸や明治の頃から集合離散を繰り返す、そういう世界ですけどね。自分は多少は落語が好きですが、立川流や円楽党を、やれ土手組だのと揶揄する鼻持ちならない落語ファンは大嫌いです。同時に、妙な選民思想を振り回す立川流のファンは、もっと嫌いなんです。狭い狭いコップの中で、いがみ合う姿は醜悪ですので、自分は距離を置いています。

■落語界に対して思うこと■

立川流といえば、談志家元が亡くなられて、いろいろと体制が変わったらネット軽視の姿勢になりましたね。もともと、立川談幸師匠が色々と事務方をやられていたのですが、落語芸術協会に移籍されてからそこが甘くなってしまい、それ以降は……。別に、落語ファンは年寄りが多いから、そんなよくわからんもんに力を入れる必要はない、という考え方はわからんでもないですが。その老人たちが、永遠に生きるなら、という注釈は付きます。

伝統的で保守的な世界でも、やはり新しいファンを増やしていく必要はあって、そこに対する対応として、ネットで情報発信して未来の顧客を増やそうって視点がないのは、致命的ですよね。それは、事務方がそういう視点がないから。まぁ、これは末広亭などに行くたび、伝統は守りつつ経営者としてもうちょっと色々できることがあるはずなのになぁと、思うことは多いですけどね。これは、老舗出版社が電子書籍に対応できず廃業する姿とも重なりますが。

■寄席の今昔から現代を見ると■

自分自身は保守派ですから、別にそこまで時代にアジャストする必要はないと思います。でも、例えば明治時代は400軒ほどもあった寄席が、今は4軒に。というか、江戸時代は最盛期で700軒ほどもあったとか。大江戸八百八町といいますが、実際は延享年間(1744~1748)に1678町にまで増えていたとか。つまり二つの町内に1軒は寄席があったわけです。でも、寄席が減ったから落語が衰退したか? むしろ落語家の数も増え収入も増えてるわけで。

時代の変化に合わせて、ラジオやテレビの活躍の場が増え、ホール落語の独演会とか、活動の場が広がった結果ですね。結婚式の視界とかリングアナとか、いろんな本業以外の仕事も増えていますから。時代に合わせるとは、そういうことです。そういう部分を考えるブレーンや、提案や提言を吸い上げる場が、落語界や各団体にあるのか? こういうアホな見出しをつけてるマスコミが、でもまだマシな部類という悲劇に嘆息します。

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