盾型銅鏡と蛇行鉄剣
◉銅鏡と言うと、丸いものというイメージがありますが。確かにこの発見は国宝級ですね。形状も大きさも過去に類例がほとんどなく、驚きました。直径が30センチ以上ある銅鏡でさえも、かなり珍しい存在ですから。国内で見つかった古代の東京で過去最大のものは、大型内行花文鏡と呼ばれている糸島で発見されたもので、直径は46.5センチメートルですから。今回の盾形銅鏡の長さが64センチというのが、いかに巨大か分かりますね。将来的には間違いなく、国宝指定されそうです。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、伊都国歴史博物館の銅鏡だそうです。神秘的で深みのある印影、いい写真ですね。
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■今後の研究に期待■
国内最大の円墳から、過去最大の銅鏡が出土するというのも、やはり古墳の大きさと権力の大きさに、ある程度関連性があるのだな……と納得させられます。日本にはそれよりももっと大きな古墳は多数ありますが、大怪我歴代天皇の墳墓に指定されているため、宮内庁が科学的な発掘調査を拒んでいます。巨大古墳を正式に調査したら、もっとすごい遺物が出土しそうですけれどね。
今回の盾形銅鏡と蛇行剣の研究は、これからでしょうけれど。歴史好きとしては期待しちゃいますね。これだけ大型の鏡だと、姿見的な使われ方をしたのかと思ったりしますが。ただこれほど大きくなると、実用の面よりも祭祀的な使われ方をしたのだろうな、というのが一般的。銅鐸も元々は釣鐘として使われていたものですが、後期のものは1メートルを超えるような大型のものとなり、音を鳴らすための舌というパーツもなくなりますからね。
■銅鏡といえば■
銅鏡といえば、三角縁神獣鏡。景初三年の年号が刻まれていたせいもあって、卑弥呼の時代の鏡ではないかと言われていましたが。景初は三国志で知られる魏国の年号で、景初三年は西暦だと239年です。卑弥呼が朝貢したのは魏で、親魏倭王の称号を得たのがまさに239年ですから、卑弥呼が下賜された銅鏡百枚ではないかと当初は考えられていたのですが。現在は中国産の画文帯神獣鏡のレプリカとして作られた、国産の鏡ではないかとされます。
理由はイロイロありますが、存在しない年号の景初四年の年号の三角縁神獣鏡が出土したり、100枚どころでない数が出土しています。さらに、中国本土から三角縁神獣鏡の出土はありません。それどころかわかん半島での出土例もありませんから。逆に言えば、古代中国文明の影響を受けながらも、日本はかなり早い段階から独自性の模索みたいな面はあったのでしょうね。卑弥呼が魏からもらった銅鏡ではないけれど、卑弥呼と間接的な関係があるのは間違いないでしょう。
■蛇行剣のルーツ■
2メートルもある蛇行剣ってのも、驚きですが。自分らだと、どうしても三国志の張飛翼徳の蛇矛のイメージが強いです。報道を見ると、あれほど蛇行しているわけではないんですね。まぁ、技術的に難しいのでしょう。水滸伝の豹子頭林冲も、蛇矛を操りますが。三国志の時代屋酔虎伝の南宋の時代には、実際には蛇矛は存在しなかったそうです。三国志演義水滸伝が書かれた明の時代に出現した武器だそうで。関羽雲長の青龍偃月刀だって、あの時代にはなかったそうで。
でも蛇行剣自体は、古墳時代から出土していますから。世界的にも、剣というのは古くからある武器で。その形状から蛇と重ね合わせて、ある種の象徴性や呪術性を帯びることが多いようですね。後の時代の蛇矛は、殺傷力を高めるための武器でしたが、蛇行剣は呪術的な要素が大きいのでしょうね。今回出動したものも全長が2メートルとかなり巨大ですから、象徴的な意味が大きいかと。そのような大剣を作る技術が既にあったのも驚きですが。鉄剣は残りにくいので、これも貴重な発見。
■隼人の盾との類似性■
自分が思い出したのは、隼人の盾です。上下の円形に、上部が円形と三角形の違いはりますが、なんかイメージ的に重なりませんか? この盾の模様自体もある種、蛇的と言うか。稲作文化はどうしても、水が重要な存在になりますから。その結果、ヘビを水の神様として崇める宗教も、自然に生まれますね。古代バビロンのイシュタル門のムシュフシュが、東洋の龍やグリフォンのルーツという指摘もありますが。ドラゴンやヒドラなどはもともと神様だったのが零落した姿です。
いずれにしろこういう古代史の新発見は、ワクワクしますね。日本の金属鋳造の歴史などを考える上でも、これほど大きな盾形銅鏡が出土したのは、今後の学説にも大きな影響を与えるかもしれませんね。日本にはかなり早い段階から、長江流域の江南地方から職人などが移住して、技術を伝えていったわけで。三角縁神獣鏡の時点でオリジナリティの萌芽があり、それがこういう形で変化していった歴史に思いを馳せると。やがてこれが日本という文化になっていったルーツ。
どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ