![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/91194958/rectangle_large_type_2_0edd52ca721041a3093fc2468ee4e5ed.jpeg?width=1200)
老害世代と新陳代謝
◉老害と言っても、単純に年齢で区切られるものではありません。サラリーマン時代、50歳を超えても進取の気風がある人もいれば、アラサーでも保守的な精神が老害化している人間は、普通にいましたからね。Twitter社を解雇されたスタッフとか、年齢が若かろうが後者と言えます。Twitterを見ていたら、興味深い指摘が流れてきました。
Twitterでこれだけ解雇前解雇後で内容に差が出てるんだから、新聞やTVで同じことやったら、これの100倍どころじゃないぐらい醜い話が出てくるんちゃうか。ていうか、新聞やTVであかん人解雇したら、誰一人残りませんでしたってことになりそうだけど。
— たにやん (@t_taniyan) November 12, 2022
これに対する引用ツイートも、興味深かったです。
フジテレビは昨年早期退職を実施してからデジタル分野が飛躍的に伸びており、キー局でほぼ最下位であった動画配信領域が今ではダントツトップになったと聞きます。新聞・テレビの再浮上(もしくは延命)には新規事業でもDXでも無く、過去の栄光にすがる高齢社員を全滅させることだと証明されました。 https://t.co/LxQZKETRUr
— 特攻の紀谷理馬 (@motokisha) November 13, 2022
韓流ゴリ押しで批判されたフジテレビですが、その後の凋落は激しかったようで。でも、早期退職で新陳代謝を測ったら、業績改善。バブル世代前後入社の、軽佻浮薄な世代を切ったのが、良かったのでしょう。新聞と同じく、テレビも広告収入に頼ったビジネスモデルですが、そろそろ限界でしょうね。ハッキリ言えば、売れるコンテンツを作る。そこにしか、生き残りの道はないでしょうね。
◉…▲▼▲▽△▽▲▼▲▽△▽▲▼▲…◉
■パブロフの老害■
出版業界も、紙の本が好きすぎて電子書籍を敵視する役員・編集長レベルの人間のせいで、ビジネスチャンスを潰してたのが、 一昨年からの電子書籍の売り上げ爆増で、可視化されました。出版社の老害世代には、自分たちが売ってるのは〝情報〟であって、その情報を記録するのが紙だろうがパピルスだろうが羊皮紙だろうがデジタルデータだろうが、本質は同じなんですけどね。
自分も本好きが昂じて、編集者になった人間ですから。紙の本の手触りやインクの香り、装幀など、本好きにとってはそれらが、幸福な読書体験を思い出す、刺激信号になるのは理解できるのですが。でもそれ、信号であって本質ではないです。例えるなら、餌ではなくベルの音にヨダレを流す、条件反射実験のパブロフの犬と同じ。 大事なのは餌であり、餌に含まれる栄養やビタミンやミネラルで、その次が調理方法や味付けです。
本の紙質やインクの質、製本の丁寧さとかは、料理に例えるならば器のようなもの。確かに美しい器は料理をさらに美味しそうに見せますし、「日本料理は目で食す」なんて言葉もあります。かの北大路魯山人は、カレーライスが新聞紙の上に盛られて出されたら美味しそうには見えない、と喝破しています。しかし、見た目ばかり豪華で中身が伴わなければ、意識高い系を気取ってたTwitter社のキュレーションチームと同じかと。
■むしろ多様性が生まれる■
同じ紙の本でも、廉価版もあれば愛蔵版もあります。 愛蔵版は、中身の情報以上の価値を見出した人間が、購入するものです。耐久性が高い高級な紙や良質なインク、頑丈なハードカバーなどは、あくまでも付加価値です。この付加価値を、本質と誤解する人間が多いんですよね。自分たちの売る本の中身に、過剰な自信があるのでしょう。根拠のある傲慢さはむしろ気持ちいいですが、根拠のない傲慢さは醜悪です。
廉価版がなく愛蔵版しかない本は、出版社側の押し付けなんですが……。昔は紙で出版されるのが当然だった、という人もいるでしょうけれど。音楽が蓄音機の音感からレコードに変わり、レコードからCDに、CDからダウンロード販売に変わっていったように。器は変わるのです。そして、売れるかどうかは分からない本を、印刷書籍で出すのは一種の博打です。自分が責任を負う立場で、博打を打つ危険性を、引き受けられますか?
本も基本は電子書籍になり、付加価値を付けても欲しいモノだけが、印刷書籍になる流れになるでしょう。そうやってリスクを回避しつつ、売れた本に関しては印刷書式化することで、数はぐっと少ないけれど、熱心な不安に対して赤字が出ない少部数を印刷する。母数が読めるぶん、リスクを軽減できます。それどころか電子書籍の内部でも、通常版と特別版の2種類が発売される作品も、珍しくなくなっています。通常版にはない書き下ろしページや、オマケをつけて付加価値を高める。むしろこちらのほうが多様性のある状況。
■おぢいさんのランプ問題■
新美南吉が書いた『おぢいさんのランプ』の問題なんですよね。それまでのロウソクから、ランプに照明器具が変わり、ランプが電灯に変わる。電灯も白熱球から蛍光灯に代わり、現在はLEDさえ登場しています。この時代の変化を恨んでも、しょうがないわけで。そして時代が変わっても、ロウソクやランプは完全に廃れるわけでもなく。停電した時やキャンプなど用に、全盛期とはほど遠くても、需要があるのですから。
長谷川幸延の、直木賞候補になった小説『冠婚葬祭』もまた、時代を変えた男の、自分が変えてしまった時代へのノスタルジーが描かれていて、傑作です。それまでの大掛かりな葬列を否定して、安価な霊柩車を生み出して富を築いた男が、自分の息子の死という逆縁に、昔ながらの葬列で見送る。繰り返しますが、自分も本好きが高じて編集者になり、30年以上出版業界に関わっている人間ですから。印刷書籍の素晴らしさを説かれても、釈迦に説法です。お釈迦様ほど偉くはないですが。
ただ、Amazonがプリント・オン・デマンドのサービスを開始し、1冊からでも印刷書籍が販売できるようになりましたし。本の流通が変わりつつあるのも事実です。これは例えるならば、マスコミが独占していた情報の発信と流通を、インターネットが打ち崩したように。本の流通も、出版社・取次会社・書店が独占していたものが、崩れつつあるということです。自分はそちらの変化の方が、出版文化というより大きな括りに貢献すると確信しています。
どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ
売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ