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上野千鶴子御大がまた珍論

◉もうこの人は、日本の社会学とフェミニズムを歪めた張本人として、没後はいっせいに批判されるでしょうね。今は、その権威と権力を恐れて、批判は一部に留まっていますが。逆に言えば、社会学とフェミニズムには自浄能力は無い、ということなんですが……。というか、こんな感じで暴言珍言迷言メーカーになってると、数年の内にキャンセルカルチャーに晒されるでしょう。

【上野千鶴子氏に聞いた「美しい人に『美人』と言ってはいけない理由」】NEWSポストセブン

 2021年は、「女性蔑視」が厳しく追及される騒動が続いた。五輪組織委会長だった森喜朗氏は「女性がたくさんいる理事会は時間がかかる」と発言して辞任に追い込まれ、静岡県の川勝平太知事も「学力と容姿」を結びつけた発言で大炎上した。女性蔑視は許されないが、違和感があったのが、福島県相馬市長の立谷秀清氏が連合の芳野友子会長を「美人会長」と呼んで謝罪に追い込まれた一件ではなかったか。前後の文脈を含めて批判されたとはいえ、そもそも女性を「ブス」と貶めるのではなく、「美人」と称えることの何がいけないのだろうか? ジェンダー研究で知られる東京大学名誉教授の上野千鶴子氏に、率直に質問をぶつけた──。【前後編の前編、後編は〈上野千鶴子氏、ルッキズムをやめられない男性に「地域社会で排除される」〉】

ヘッダーのイラストはnoteのフォトギャラリーより、メイプル楓さんの作品です。

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■雑な非対称性理論■

詳しくはリンク先を読んでいただくとして。のっけからこんな感じで、なんのエビデンスもないお気持ちの連発です。ブスと罵倒することは良くない、ということは悪いというのは、まぁ部分的には首肯できます。差別はあって良いという、呉智英夫子の論からすれば、コレさえも自分は疑義が在ります。いわんや、美人というプラスの面を評価するのもダメだとか言いだしたら、もう言論は死にますよね。何も言えなくなる社会。

「よくある反論ですが(苦笑)、女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。たとえばイケメンじゃなくたって、学歴とか地位とか、そういった尺度が男にはある。男の尺度の中で一番強力なのは金力(稼得力)であり、イケメンかどうかなんてことは、男にとってはマイナー尺度です。つまり男女のランクオーダーは非対称ですから、『女だって同じことをやっているだろ』とはなりません」

んな訳ないでしょ。野間〝tpkn〟易通尊師の「非対称性が〜」レベルの、雑な論理展開ですわ。人間にとって、それぞれの価値観は多様。だって、女子の四年制大学進学率が5%なかった時代に、地元を離れての大学進学どころか、大学院進学まで許してくれた医者の父親を、上野千鶴子御大は怨んでるわけで。中卒で集団就職するしかなかった叔母などからすれば、「良い父親じゃない」と評されるでしょうが。上野千鶴子御大、割り切れますか?

そういうことです。

■上野千鶴子御大の権力志向■

けっきょく、上野千鶴子御大は、京都大学に現役合格した優秀な自分が、70年安保闘争の時には女性と言うだけで、だに学制のオニギリを作らされた。そこの怨みを半世紀経っても引きずっていて、家父長制的なモノへの憎悪を引きずっているわけです、では、「男オニギリを握れ! 戦国時代の男はそうやってたぞ」と言うのなら、まだしも整合性があるのですが。ここら辺は雁屋哲先生も『美味しんぼ』の作中で語っていましたが。

ところがどうにも、上野千鶴子御大の言動を見ていると、「男オニギリを握れ!」と言ってるように見える。それって、家父長制を家女長制に入れ変えただけの、ある種の権力志向じゃないんですか、と。そう、平田オリザ氏や津田大介芸術監督らに顕著な、反体制ポーズのくせに権威主義的な部分です。上野千鶴子御大のこういう部分を受け継いだ弟子たちが、他者に対して抑圧的になるのは、必然と言えます。基本、こういう人ですし。

【東大フェミニスト名誉教授上野千鶴子氏、フェミニストが避妊薬認可に反対していた事実を隠す→当の活動家から歴史修正主義と批判殺到】

■市井の論客に論破される東大名誉教授■

禿頭差別主義者のもへもへ氏が、バッサリ切っていますね。ツイフェミが表現を燃やしたときも、「〜してほしいだけだ」と言いつつ、要求をエスカレートしていく手法と同じです。けっきょくは自分自身が権威・権力になりたいだけ、という本質を的確に捉えていますね。東京大学名誉教授という、ある意味で学者としては頂点に近い地位を得てもなお、上野千鶴子御大の自我の肥大は止まらないのですから。まさに、ツイフェミに影響を与えた部分。

そう、上野千鶴子御大らはマスコミとアカデミズムという、日本最後の左翼の砦によって、守られています。それは例えば、TBSラジオの荻上チキ氏の番組とかで、吉見義明中央大学教授らの一派が、反論する相手がいないところで、一方的に自説を垂れ流したように。でも、そうやってマスコミに守られていたのは、インターネットもSNSもなかった時代の話。双方向性のネット時代は、市井の論客に、容易に矛盾点や粗を突かれる。

ある意味で、追いつめられた左派アカデミズムや左派マスコミが、必死にボロボロになった権威を守ろうとしてるのですが。残念ながら、ムダな努力に終わると思います。それこそ、台湾有事になったときに、沖縄を含めての日本の左派の理論の破綻と、マスコミの手の平返しが起きると思うのですよ。そう言うときに、真っ先にキャンセルカルチャーに晒されるでしょう。まず間違いなく。

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