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海苔巻きが韓国の伝統食?

◉これも韓国起源論ですかね。海苔を板状にして食べる技術は、日本から来た文化なのですが、別にそこは隠す必要はなく。松濤館空手などから生まれたテコンドー同様に、半島で独自進化したで良いんですけどねぇ……。

【【ソウルからヨボセヨ】のり巻きも韓国伝統食?】産経新聞

 朝食時にテレビのニュースを見ていたら、番組の新コーナーで「世界が見る大韓民国」というのをやっていた。海外で韓国がどのように見られているか、現地在住の韓国人にあれこれ映像紹介させる番組だ。1日放送がドイツでの「キムパプ(のり巻き)」の話だった。
 のり巻きは日本起源で韓国ではキムパプとして定着し、今や「キムパプ天国」という専門チェーン店があるほど国民食になっている。ところがテレビはドイツでそれが「SUSHI」メニューとして日本食になっていると批判し不満を語っているのだ。

日本は酢飯を使い、ごま油が好きな半島ではごま油を使う方向に進化した、で良いと思うのですが。四方を海に囲まれた島国の日本で海苔の養殖が盛んになり、板海苔の技術が生まれるのは当然ですしね。

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■板海苔の歴史は江戸時代■

海草に含まれる多糖類を分解する腸内細菌を持っているのは日本人だけで、古くは常陸国風土記に登場するそうで。そりゃあ、下北半島の猿や宮崎青島の猿も海岸に漂着した海草を喰うのですから、毒じゃなければ喰いますよね。それどころか昆布にしろ岩海苔にしろ、アミノ酸や食物繊維やベータカロテンなどが豊富ですから、利用しない手はないです。魚介類ともども、日本人の重要な食文化に。

江戸時代になると海苔の養殖技術が確立、これを和紙を漉く技術の応用で、紙状にする技術が生まれて、いわゆる浅草海苔が生まれます。Wikipedia先生によれば、〝『武江年表』には貞享の頃に大森(後の東京都大田区大森)において海苔を作り始めたという記述〟があるそうです。貞享年間は西暦1684-1688年ですから、日本の海苔養殖技術はもう、350年近い歴史があるわけです。

■和紙の文化と板海苔の誕生■

三叉や楮を原材料とする日本の紙も、天正遣欧少年使節の頃から、高品質で高い評価を受けていたとか。天正遣欧少年使節はグーテンベルクの活版印刷機を持ち帰り、聖書を印刷するのですが。欧州自体がそういう時代だったので、紙に対する関心があったのでしょう。和紙の技術も江戸時代に発達し生産量が増えたので、こういう技術の相互作用は、日本では必然だったのでしょう。これは折り紙の庶民文化とも密接です。

半島の製紙業は農家の片手間で、残念ながら高品質というわけにはいきません。また、大量に流通というわけでもなかったので、折り紙の大衆文化も、貴族文化も生まれようもなく。というか、元々は韓国でもノリマキと呼んでいたのに、1948年に言語純化政策からノリマキをキムパブと呼ぶように指定して、人造的に生まれた言葉ですからね。そこで起源を主張しても滑稽なだけでしょう。

■文化の伝播と分岐は必然■

自分は、アメリカで発明された巻き寿司のカリフォルニアロールがかなり好きです。酢飯にアボカドがこんなに合うとは、思いませんでした。江戸前=江戸湾で捕れた魚介類の寿司ネタに拘ると、そもそもサーモンやウニの軍艦巻きも、江戸前寿司じゃないって事になりますからね。近所の回転寿司でも食いますし、こうやって外国の食材と出会って、新たな文化としてその地域に根付いていくのは、良いことだと思っています。

講道館柔道は北に伝播してソビエト連でサンボになり、南に伝播してブラジルでブラジリアン柔術になったように。半島では松濤館空手がテコンドーに変化して、ネリョチャギ(踵落とし)など独自の技が発達して、五輪競技にもなったわけで。このような分岐を認めないと、ビーフカレーはヒンディー教徒に失礼だし、スパゲティ・ナポリタンや明太子スパゲティは偽物と言うことになりますからね。

■韓国起源説の根底にある物■

一見すると滑稽な韓国起源説ですが、これは韓国の事大主義と密接な関係にあります。統一新羅の頃はまだしも、モンゴル帝国に徹底的に叩かれた高麗王朝と、李氏朝鮮時代の清朝による徹底的な服従強制と搾取によって、中国従属が習い性になり、一種のストックホルム症候群である慕華思想が生まれます。中国化すること、中国のコピーとなることが正しいという、大に事(つ)く思想が一般化します。

自慢のハングルすら、中国の漢字に対して夷狄(野蛮人)が独自の文字を使うと、排斥したので普及は限定的。しかし二次大戦後はアジアやアフリカの植民地はどんどん独立し、むしろ民族自決の時代が来ます。そうなってくると、民族のアイデンティティや独自性が求められるのですが、事大主義と両班階級による過酷な収奪で大衆文化が育っていなかった半島に、江戸時代に成熟した日本の大衆文化が、どっと流入します。

■事大主義と民族主義の間■

けっきょく、日帝三十六年ですっかり定着してしまったそれらの大衆文化を、今さら捨てるわけにも行かず。そのくせ、中国を崇拝する事大主義は払拭されず、勝手に中国が父で韓国が兄で日本が弟と、序列を付けてマウントを取ろうとするわけで。韓国の民族主義(韓国では種族主義)が、矛盾した部分を内包する理由です。韓国起源説は日本文化のみならず、文化のルーツである中国にも向いています。

儒教の事実上の開祖である孔子を、韓国人だとする、奇妙な韓国起源説もここに由来します。日本の国粋主義系トンデモさんが、日本には感じ以前に神代文字があったとか、日本にピラミッドがあったとか、似たようなトンデモを口走る理由です。問題は、日本では極右と分類されるような主張をする人が、韓国では普通というか、少なくともとも特殊と見做されないポジションなのが問題ですね。

■儒教精神に反する儒教国?■

韓国人は「野蛮な倭人に文化を教えてやった」と、よく言います。日本書紀の王仁の記述などを根拠にしてるのですが、そのくせ日本書紀の任那日本府の存在は否定します。実際は、稲作にしろ6000年前から大陸との交流によって伝播していますし、大陸への窓口は半島のみではありません。だいたい半島から学べるなら、遣隋使や遣唐使なんて、危険を冒して学びに行くはずもなし。

漢字の読みに呉音や漢音や唐音や宋音はあるのに、半島由来の音がほとんどないのが、どこから学んだか明白。半島を経由したとしても、そこにオリジナリティはないわけで。論語には、こんな孔子の言葉があります。実はこれ、本居宣長の国学を生んだ切っ掛けの部分でもあるのですが。古文辞学派の荻生徂徠はこれを、孔子の冗談と大胆な解釈をしていますが。冗談だとしても、日本に教えてやったが、儒教精神に反するのは、明白ではないかと。

【公冶長編原文】
子曰孰謂微生高直或乞醯焉乞諸其鄰而與之

【読み下し文】
子曰く、孰(たれ)か微生高を直なりと謂いうや。或ひと醯を乞う。諸(これ)を其の鄰りに乞いて之に与えたり。

【適当な訳】
孔先生がおっしゃった「微生高を正直者だなんて、誰が言ったのだ? ある人が微生高をに酢を借りに行ったら、お隣の家から借りた物を、又貸しするような男なのに。

自分のモノでもないのに、右から左に流した物を、さも自分の手柄のように振る舞うな、というありがたいお言葉。荻生徂徠の解釈のように、孔子の冗談(文中のある人とは、孔子自身の可能性も)だとしても、少なくとも賞賛してるわけではないのですから。前方後円墳が半島に伝播するように、あるいは潜水漁撈が伝播するように、文化はそうやって伝播し分岐し、独自性を得る物です。

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