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1月31日はジャイアント馬場さんの命日

◉1999年1月31日、ジャイアント馬場さん逝去。享年61歳。まだ20世紀だったんだなぁ……。もっと昔に感じます。平成も、もう11年になっていて、昭和が遠くなり始めていたんですけれど。馬場さんが亡くなって、昭和プロレスは終わったのかもしれません。前年の1998年4月4日にはアントニオ猪木さんが引退。力道山・馬場・猪木に象徴される昭和プロレスは、20世紀の内に終焉を迎えたと。

自分らの世代からすると、馬場さんは貫禄が半端でなく、うちの親父でさえ自分よりずっと年上だと思っていたほど(実際は年下)。亡くなったとき、馬場さんはずっと死なないと思っていた、という感想を述べる人が多かったです。そりゃそうですね。なんか、人間を越えた存在っぽい部分がありましたから。もっとも、晩年はリングに上がるとき、付き人の肩に手を置かないと、階段を昇れないぐらい、衰えていました。

■急速に消える昭和プロレス■

馬場さんが亡くなり、直後の2月21日には前田日明氏が引退試合。同年3月6日にはB型肝炎で闘病中だったジャンボ鶴田さんが、引退。馬場さんの作った全日本プロレスは、三沢光晴選手が継承したのですが。同じく2000年5月13日にジャンボ鶴田さんが肝臓移植の手術中に急逝。こうやって見ると、1998年のアントニオ猪木さん引退から短期間で、昭和プロレスの大物が次々と去っていってますね。

2000年5月28日には馬場元子未亡人と運営で意見対立のあった三沢光晴社長が全日本プロレス社長職を解任され、選手の大量離脱とノア旗揚げで、事実上の崩壊。老舗団体が馬場さんという求心力が亡くなった途端、短期間で崩壊するんだ……と思ったものです。ノア旗揚げの頃は希望に満ちていたんですが、その後のノアのトラブル展開を知った今から見れば、なんかせつなくなりますね。

■馬場さんの死後10年■

2001年10月22日にはFMWのハヤブサ選手が試合中の事故で半身不随に。2002年2月には最大のインディ団体であったFMWが不渡りを出して倒産。5月16日には荒井昌一社長が自殺という衝撃のニュースが。2003年3月19日には冬木弘道選手が癌で亡くなり、同選手の引退試合を務めるはずだった橋本真也選手が、2005年7月11日に急死され。この頃から、自分が後楽園ホールに行くことは、なくなりました。

そして、資金繰りが悪化したノアはスキャンダル続きの末、2009年6月13日に、三沢光晴選手がリング上で心肺停止。ジャイアント馬場さんが亡くなって10年で、全日本の馬場-鶴田-三沢というエースの系譜が、全員世を去ってしまいました。翌2010年には馬場さんをアニキと呼んだラッシャー木村さんも……。天龍源一郎さんも引退され、もう昭和プロレスはほとんど消えつつあります。

■同世代の記憶共有として■

ジャイアント馬場未亡人の元子さんも、令和になる前の2018年に亡くなり。2月20日には78歳になるアントニオ猪木さんも、2019年には政界引退し、今は特定疾患とされる心アミロイドーシスに罹患し闘病生活です。ある意味で馬場・猪木以上の人気を誇った初代タイガーマスクの佐山サトルさんも、狭心症を煩い、現在はパーキンソン病に近い状態で車椅子生活。昭和が終わって32年、当然と言えば当然なんですが。

オッサンの回顧でしかないですが、昭和のプロレスの嫉妬や怨念や友情が渦巻く世界は、自分にとっては物語作りのお手本でもあります。だからといって、井上元編集長のように、平成のデルフィン達と、今のプロレスを否定する気はないです。そもそも否定できるほど、見てないですから。DDTとか、面白いですし。でも、同世代の記憶の共有として、昭和プロレス語りは、やっぱり楽しいです。
どっとはらい



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