見出し画像

東京新聞の浅薄な国分寺市長選討論会チラシ批判

◉また、フシダラ憲兵が暴れているようです。国分市長選の討論会ポスターが、男性向けグラビアだそうで。それを、東京新聞が取り上げるマッチポンプ。その内、女性をポスターに使うなとか、言い出しそうですね。

【まるで男性向けのグラビア? 脚露出の女性モデル使った討論会チラシに批判 国分寺市長選】東京新聞

 東京都国分寺市長選(4日投開票)で国分寺青年会議所(JC)が計画した公開討論会のチラシに、脚を露出した女性モデルの写真が使われ、ネット上で「今すぐ取り下げてほしい」「あきれるレベル」と批判の声が上がっている。
(中略)
日本女子大の吉良智子学術研究員(美術史・ジェンダー史)は「男性向けのグラビアにありがちなポーズだ。女性像を目を引きつけるための『アイキャッチ』として利用した」と指摘。JCの回答についても「不快に感じた人に問題を押しつけている」と批判した。(竹谷直子)

いちおうコレでも、グラビアも担当したこともある編集者として、いくつか批判を。なお、最初に書いておきますが、このポスターはデザイン的にも、ダメダメです(断言)。

◉…▲▼▲▽△▽▲▼▲▽△▽▲▼▲…◉

■吉良智子日本女子大研究員の思い込み■

日本女子大の吉良智子学術研究員、「男性向けのグラビアにありがちなポーズだ」って、それはアナタのただの主観ですよね? 何か、統計的なデータでもあるんですか? 〝グラビア 女性〟で画像検索しても、こんなポーズ出てきませんけどね。吉良智子日本女子大研究員、あなたにグラビアの何が解るんですか? ポージング・スタイリング・レイアウト・構図・デザインについて、研究したり、経験があるのでしょうか?

画像1

津田大介芸術監督や、元NHKプロデューサーの永田浩三武蔵大学教授らもそうですが、特に芸術の専門教育を受けたわけでも、芸術活動の実績が有るわけでも無いのに、政治的なイデオロギー丸出しの表現の不自由展を開いて、やれ芸術監督だの解説だの、しゃしゃり出る。要は芸術を馬鹿にしてるんですよ。その意味で、吉良智子日本女子大研究員も、グラビアを見下してるわけです。グラビアを舐めるな、と言いたいです。

■技術的なお話■

片膝のポーズとか、普通の新聞・雑誌・広告・ポスターでもよくあるポーズですが、それは単純にレイアウト上の問題です。立ちポーズだと縦長になり、誌面の左右に余白が多くなるので。文字を組み合わせる場合、縦書きに限定されがちです。座りポーズだと、縦横比を変えられるので、縦書きでも横書きでも、選択の幅が広がります。転載した討論会ポスター、女性が立ちポーズを取ったら、余白がどうなるか、想像できるでしょ?

こういう解説が出来るのも、自分が編集者として10年と2ヶ月出版社に勤務し、グラビアページやプレゼントページ、広告ページなどを数限りなく作り、デザイナーと打ち合わせし、時にはカメラマンの代わりに撮影もしと、経験を積んでるから。だから美大や専門学校でも教えられるし、こういう構図の本も書けるわけです。発売して4年も経つのに、honto電子書籍のランキング1位になる程度には、売れてる本が。吉良智子日本女子大研究員とは、経験も実績も違いますのでm(_ _)m

■フシダラ憲兵の本音■

さらに吉良智子日本女子大研究員、「女性像を目を引きつけるための『アイキャッチ』として利用した」と、ツイフェミみたいなことを言っていますね。女性をアイキャッチ使っちゃいけないんですか? 男性なら良いというのなら、それって男女差別じゃないですか? あるいは人間を使うなとか? 男女を平等に使えとか言うなら、モデル料は2倍です。老若男女なら4倍ですけどね。

まぁ、このダメダメなポスター(個人の感想です)は、誰が作ったか解りませんが、職員など素人が作ったのか、仕事のないデザイナーにコネで回したのか、そこは解りません。ですが、アイキャッチに使ったのがけしからんとか、巨乳のグラビアモデルとその広告をを攻撃したツイフェミの発想と同じ。巨乳を奇形呼ばわりし減乳手術を勧めた御仁もいましたが。御本人の主義思想として禁欲的に生きるのは自由ですが、その禁欲を他人に強制するのはやめてほしいです。

■エロは時代によって変わる■

例えば、この歌川国安の作品。太田記念美術館がTwitterで紹介していたのですが、コレに微エロをを感じるのも、芸術性を感じるのも、その両方を感じるのも、見る人の心次第です。江戸時代の春画は、明らかに男性の性欲に訴える作品ですが、今では大英博物館やボストン美術館にも収録される、芸術作品として世界中で評価されています。吉良智子日本女子大研究員のフシダラ憲兵ぶりが、滑稽な理由です。

画像2

仕草と美には、様々な感じ方があるでしょう、それが感受性。エロ目的で制作された、当時でも違法な地下出版であった春画が、芸術として評価され。子孫がその内容を恥じて偽名を使ったマルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』は、今では生原稿がフランスの国宝扱い。日本はもちろん、世界各国の裁判で猥褻図書認定されたD.H.ローレンス『チャタレイ夫人の恋人』は、今では文学史に残る傑作です。

権威主義者には芸術とエロが別の存在だと思ってるようですが、違います。芸術とエロは共存できるのです。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ