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AIは絵師の仕事を奪うか?

◉興味深いnoteがありましたので、紹介も兼ねて。いわゆる、AIに仕事を奪われた絵師のお話。まぁ、自分の中のイメージでは、絵師というのは池上遼一先生や叶精作先生やのレベルの、プロが憧れるプロのレベルの、一握りの名人達人に使う尊称であって、みだりに使うのは違うと思っていますけれども。なお、生成AI絵に既成の作家の絵を勝手に学習することの是非を論じるnoteではありませんので、そういう議論がやりたい方は、他所でやってください。そういうのが大好きな方と、100年でも200年でも好きなだけやっていてくださいませm(_ _)m

「当然の時代の流れだった」と思っているという話。
最初に書いておくとこれはAIに反対する記事ではないので、規制を推奨する内容を期待して開いた人はブラウザバックをお勧めする。
あと推敲全然しないで思いつくままに書いてるから、すごく読みづらい。
それでも良いという人は以下にどうぞ。

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、AI絵のイラストです。

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■失われる需要■

詳しくは、上記リンク先の全文を、ぜひお読みいただくとして。結論としては、以下の部分。

「自分だけの絵を描く仕事」は奪われてない。消えたのは「クライアントの要望通りの画像を用意する仕事」だ。

これは、例えば漫画で言えば自分の描きたいものを描く創作系と、クライアントの依頼を受けて描くPR漫画の違いに、該当するでしょうかね。イラストでは、広告用のイラストが主にそうで。イラスト屋が出てきた時、大概のイラストはこれで充分じゃね、という部分はすでにありました。例えば、教科書などの図解のイラストとか、無料でイラスト屋が利用できるなら、それで充分な場面は多いんですよね。もちろん、もっとカスタマイズされたものや、情報量が必要なものはあり。でも、この元noteの走り書き氏の言うのは、そういうカスタマイズが必要な絵のことで。まさに、そこの需要がなくなった、ということでしょう。

例えば、上のイラストはウルのジッグラトを元に、ピラミッド型の建物を生成してみたのですが。かなり作者のイメージに近いそうです。イラスト屋の簡易的なものの代わりに、もうちょっと情報量の多いイラストをリクエストして、このレベルが出てくるならば、少なくともこのレベルで充分というクライアントは、けっこう多いでしょうね。例えば、投稿サイト『小説家になろう』や『カクヨム』の投稿作で、プロのイラストレーターに依頼するような予算はないが、世界観を読者に理解してもらいたいとなった時、このレベルのイラストが生成できるなら、普通に付けるでしょう。この流れは、止められません。

■芸術家と職人■

クリエイティブな仕事の難しさなんですが、それはある種の芸術家=アーティストとしての部分と、職人=クラフトマンとしての部分は、常に混在していて。ゼロイチで、きれいに分けられるものではないですね。高村光雲は仏師として職人からスタートし、シカゴ万博に出展した木彫『老猿』は、職人的な技術を超えた、芸術性を備えつつも、伝統的な表現が混在していました。息子の高村光太郎は、最初から芸術家としてスタートしていますが、それが商業的に売れなかったかと言えば、そんなこともなく。

例えば、生頼範義先生のイラストとか、『スター・ウォーズ』の日本版のものとか、映画のイメージを伝えるものであり、間違いなく商業的な目的で制作されたものですが、そのできの良さがルーカス監督の目に止まり、続編では国際版のポスターを依頼され、一気に世界的なアーティストとして、知名度を高めました。これなども、芸術家と職人が、ゼロイチで峻別できないことの一例でしょう。職人の仕事に作家性が、芸術家の仕事にも職人性が混在する実例でしょう。だから、商業プロもどこからどこまでは生き残り、誰が生き残れないかは、難しいですね。

これは、アルフォンス・ミュシャの絵画にしてもそうで、最初は舞台演劇などのポスターとして発表されたものでした。女優サラ・ベルナールの舞台用ポスター『ジスモンダ』は、舞台女優がアテネの公妃ジスモンダを演じる舞台劇で、劇場に観客を集める目的で描かれた、服装にしろモデルにしろ、商業的な作品でした。でも、そこを超えてミュシャは高く評価され、世界中にファンがいます。もちろん、彼の絵を線画だと馬鹿にする、日本の美術関係者もいます。その内容については触れませんが、そういう人は漫画家も馬鹿にする傾向が、顕著にありますね。そういう人は、漫画家を絵描きの一種と勘違いしているのですが。違います。

■頂点と裾野と■

漫画家は、むしろ小説家に近い存在であり、絵も描ける小説家と呼ぶべき存在。原作付きの漫画を描くタイプは、絵も描ける演出家と呼ぶべき存在。ただ、共通するのは、他者とはっきりと峻別できる個性を持っている、ということ。福本伸行先生や西原理恵子先生は、自身の画力を自虐ネタにされていますが。でも、上手くても没個性の作家と違い、強烈な個性を持ち、またその紡ぐ物語も、比類なきオリジナリティの塊。だからこそ、医師免許を持つ人間は全国に約34万人もいるのに、漫画家は3000人から6000人しかいないわけで。

そもそも、コンピュータというのは、ある意味でそういう個性をサポートする面があります。喜劇王チャップリンは楽器の演奏は出来たけれど、楽譜は読めなかった=書くことも出来なかったので、彼が思いついたメロディをハミングで表現し、それを楽譜が書ける人間がスコアにしたとか。こうして『スマイル』などの傑作を生んでいるのですが。たぶんに、AIの役割はこの、「チャップリンのような傑作曲は生み出せなかっったが、楽譜には起こせるタイプの音楽家」の代わりをすることだと、自分は思います。初音ミクが出てきた時、友人のミュージシャンが、「楽譜が読めないアイドルのために、仮歌を歌うような、そういう三流プロの仕事は奪うだろうな」と語っていたように。

この手の話題では、「仕事を奪われた」という話が先行しがちですが、たぶん将来的には、そういう職人的技術がないけれど芸術家タイプの、今まで埋もれがちだった才能が発掘されるでしょうし、そっちのメリットが大きいと思いますよ。プロ野球の門田博光氏を「あんなの、DH制度がなければ、とっくにお払い箱だった選手」と語っている野球評論家がいましたが。それは逆に、アキレス腱断裂を乗り越え不惑で40本塁打以上を打てる才能を、DH制度を採用しないことで捨ててしまっていたことに、気づかないのと同じです。作曲できて、演奏もできて、楽譜も起こせるオールラウンドの天才は素晴らしいですが、同時に才能に瑕疵がある天才もまたいる訳で。自分はそちらの才能が、創作の頂点は高めないが裾野を広げる役割を担うと、そう思っていますので。


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