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〝何者にもなれなかった人間〟考

◉反ワクチン団体『神真都Q』の初公判と、それについての三品純氏のレポートです。ワクチン接種を悪と思い込み、それを阻止するのは正義と思い込んで行動した、現代のドン・キホーテ達なんですが。なんなんでしょうね、こういう社会運動に参加して、自分は凡人と違うという実感や充実感がほしいのでしょうけれど。その結果が逮捕されて起訴されて有罪判決を受けて、前科者という凡人と違うゴールだとしたら、悲しいですね。風車は怪物ではありません。

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、注射のイラストです。 ※加筆修正を大幅に加えました(2022年11月16日)。

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■承認欲求モンスター■

この「何者にもなれなかった」というフレーズは、松山せいじ先生が突っかかってくる人間に、皮肉としてよく使います。実際、シュナルム尊師はその疑惑を、暇な空白氏に突っ込まれて、鍵垢にして逃亡。古くはフォロワー数の自慢をしていたなうちゃん尊師も、身バレでアカウントを消して逃亡。単行本1冊で消えた100冊100本先生は有名作家の弟子を自称し、表現規制性反対派に粘着してくる新橋九段氏はカクヨムに小説を投稿し、フィッターRヨ氏も2014年から小説を投稿していてと、彼らの心の闇を感じる部分はあります。

物書きや作家という言葉に、妙に憧れる人はいます。たしかに、売れっ子作家は莫大な収入があり、テレビや雑誌などには文化人枠として出演し、有名アイドルと浮き名を流した漫画家もいましたね(後に既婚者とバレましたが)。文字を書く作業自体は、プロとアマチュアの差は実はそれほど大きくないです。だからTwitterやFacebookなどでも、一般人が著名なライターや作家よりも多くのフォロワーを獲得することさえあります。

ちょっと左がかったことを書けば、ワラワラとフォローしてくれる人間も、数千数万単位でいますしね。でもそれは、ほとんどお金にはならないフォロワー。出版業界に30年ほどもいると、作家は特別な才能を持っていても、それ以外は煩悩にまみれた人間で、締切に追われ呻吟している、普通の人間だとわかります。しかも売れてる作家や表現者は、売れてるというそれだけで、恨みを買います。ファンに塩酸をかけられた美空ひばりのように。

■ルサンチマンを抱える人■

『飛んでる警視』で人気だった胡桃沢耕史先生は、自宅を訪れるファンに気軽に応じる方でしたが、結果的に頭のおかしいファンの女にいきなり刺され、それが直接の死因ではないですが、1年10ヶ月後に死去されました。京都アニメーションも、素晴らしい作品を作ったがゆえに狂人に見つかり、36人が亡くなり40人近くが怪我を負う状況に……。有吉弘行氏が言う「ブレイクするっていうのはバカに見つかるってことなんですよ」という言葉は重いです。

あと自分は、「何者にもなれなかった人間」と「なりたかった自分になれなかった人間」は、ちょっと違うと思うんですよね。なうちゃん尊師やシュナムル尊師、100冊100本先生、ゴクラクトンボ氏などは、なりたかった自分と現実の自分のギャップに苦しみ、架空の自分を盛ったり架空の設定を付け加えたりする部分が垣間見えます。承認欲求モンスターと、ルサンチマンを抱えた人間の差、と言えるのかもしれません。後者はプロの作家にも多数います。

ミロス・フォアマン監督の傑作『アマデウス』に、多くの作家が涙するのは、自分がヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトではなく、宮廷楽長のアントニオ・サリエリだと思うから。凡人にはその天才さが見抜けなくても、それが見抜ける程度には才能があるサリエリ。ヴェートーベンやシューマンやリストを育てた名伯楽で、でも映画公開当時は忘れられた音楽家であったサリエリ。そこに自分を重ねるのが、多くの表現者です。

■拗らせても立ち向かう人■

自分だって、もうちょっと売れたいなぁとかいう部分はあります。売り上げや実績をセコく盛ったり。ゴメンナサイm(_ _)m でも、この人に褒められたら充分満足な人生だったと、そう思える人から褒められてもいるわけで。100万人から否定されても、この人が1人褒めてくれたら、救われる。逆に、100万人に褒められても、この人に否定されたら落ち込む人もいます。それは別に、有名人でなくてもいいんですよね。というか、むしろ近しい人間のほうが、存在が大きいです。

都井睦雄も松本智津夫死刑囚も宮崎勤死刑囚も酒鬼薔薇も宅間守死刑囚も加藤智大死刑囚……も、ほぼみんな親子関係がおかしいんですよね。親に認められない承認欲求は、梶原一騎先生とか萩尾望都先生にも顕著ですが。大ヒット作家と彼ら犯罪者を分けたものは何か? そこを考えれば、過剰な承認欲求に振り回されて、苦しむことも減ると思うんですけどね。なくなりはしませんが。少なくとも、精力善用はできる可能性はあるわけで。

高倉健さんに『あなたに褒められたくて』というエッセイ集があります。日本を代表する俳優であった健さんですが、母親やスタッフへの思いから、役者を続けたことがわかりますし。『野性の証明』で共演した幼き日の薬師丸ひろ子さんに、自分のような幅の狭い役者になっちゃダメだよ、とアドバイスされたとか。あれ程の役者でも、なりたかった自分になれなかった部分はあるわけで。そう思えば、他者に嫉妬することの虚しさに、気づけるかも、しれません。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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