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教えるは最高の学び

◉教えることは学ぶこと。これは自分自身もこの10年間、MANZEMI講座や大学、専門学校で日々実感しています。

【「人に教える」は最高の勉強法である】アゴラ

黒坂岳央です。

世の中にはいろんな勉強法がある。効率的、科学的な根拠に基づく勉強法が提唱されるが、いつの時代でも間違いなく最も学びになるのは「人に教えること」であると断言できると思っている。

ほとんどの人はせっかく時間とコストをかけて勉強しても、「知って終わり」になっている。これはとてももったいないことだ。なぜなら知っただけでは知識は砂上の楼閣、時間の経過とともにあっという間に知識は穴だらけになり、忘却の彼方へと消えてしまうからである。その一方で、人に教えたことは明確に学びになる。

https://agora-web.jp/archives/230205233647.html

ヘッダーはマンゼミのタイトルロゴより、平田弘史先生の揮毫です。

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■弟子が師匠を磨く■

上岡龍太郎さんが昔テレビで、若手芸人に弟子を取ることを推奨されていました。まだそんな立場ではないと尻込みする若手芸人に、弟子を育てようなんて考える必要はない、〇〇師匠とかも弟子は育っていないから、と。しかし弟子を持つことで、自分自身の芸が伸びるから、利己的な目的でいいんだと。これは自分も実感しています。生徒からの質問に対して、喋っている内に自分自身が、はたと気づくことが、ものすごく多いんですよね。

自分が漠然とした感覚でやっていたことも、弟子に教えるためには客観的に考えないといけませんからね。そうすることによって、自分自身の芸のレベルが上がっていく。グレーゾーンにあった考え方を、その理論は白なのか黒なのか、多面的に検討することで、意外な気づきがあったりするんですよね。優れた弟子と対話し、多くの弟子の個性に触れることで、師匠の受け幅も広がる。

ちなみに桂米朝師匠は、弟子入り志願してきたものを一人も断らなかったそうです。上方落語が滅びかけていた、という切迫した事情もありましたが。結果的に、ご本人は正統派中の正統派の落語家でありながら、月亭可朝・桂枝雀・桂ざこば師匠のような、個性派も数多く育て上げましたから。弟子を育てる中で、ご自身も得るものが多かったのでしょう。ここらへんは、コチラのnoteでも書きましたが。

■秀才は教師になれ■

河合隼雄先生は京都大学数学科の時代に、恩師から教師になることを勧められたそうです。京都大学の数学科なんて、フィールズ賞を狙うような、ほんまもんの数学の天才が集まってくるような場所ですから。そんな天才たちと直接机を並べると、自分がただの秀才でしかないことに気づいて打ちのめされたそうです。しかし、天才ではなくても秀才ならば、人を教えるのは適性があると、恩師に言われたとか。実際、高校教師を勤めておられますね。

自分が編集者になったのも、この影響が大きいです。もちろん、歳上の従兄弟が、東京の出版社で編集者をやっていた影響も、大きいのですが。自分にはクリエイターのような天賦の才はないけれど、作品を見る目は多少あるようなので、作者と読者の橋渡しをする編集者ならばやれるかもと思ったので。結果的に、自分自身が作家になってしまったのですが。個人事業主で職人でもある漫画家や小説家に対して、人を教えるにはまた別の資質も必要です。

父方も母方も、大工の棟梁やら建築士、鍼灸師に弁護士び理容師やら、職人や個人事業主の家系でもあるんですが。小学校・中学校・高校・専門学校・大学と、教職についた人間も、両手の数いるんですよね。人に教える立場になると意外とコミュ力と話芸の達者さが、必要なんですよね。そういう意味では、気難しくて職人的な漫画家の、対応の仕方が子供のうちから自然に身についた部分は、ありますね。河合隼雄先生も教師から、ユング派の心理学者に。

■才能は相互認証制度■

自分に対して「大して売れてねぇくせに、偉そうに人に教えやがって」と陰口を叩く人が多いです。表立っては言えないので、ブロック越しや鍵垢で。でもご当人に人望がないのか「〇〇さんが、こんな陰口叩いていましたよ〜」という密告がけっこう来ます。構図の本が出て、平田弘史先生や星野之宣先生、叶精作先生、村上もとか先生らが作例を提供されたら、ガクンと減ったようですけどね。権威主義者は脆いもんです。

だいたい、ちょっと検索した程度で、売れてないと断じる時点で、一知半解さんなんですが。一流の作家さんというのは、売れてる売れてないではなくて、自分の直感で作家を評価します。自分自身より才能があるのに、売れてない人間なんて腐るほど見ていますからね。そこで評価はしない。フォロワー数が10万人20万人の一流が、自分のフォロワー数が200人とか500人の時点で、をフォローしてくれて、こっちが驚いたぐらいです。

でもそういう直感って大事だと思うんです。弟子を育てるにしても、その子が持っている資質や、適性を見抜く能力って必要ですからね。そういえば、小池一夫先生が劇画村塾を開いた当初も、漫画家でない原作者が育てられるはずがないと、陰口を叩く漫画家が多数いたそうです。高橋留美子先生や原哲夫先生らが、次々に育って止んだとか。自分に対してもそういう陰口を叩く人が未だにいますが。トキワ荘プロジェクトとMANZEMIとで、200人近くデビューしてるんですけどねぇ……。

■苦手だから教えられる■

自分はあくまでも二流の人間ですが、二流だからわかることもあるので。例えば、自分は国語は代ゼミの全国模試で最高4位を取ったこともあり、偏差値的には80ぐらいあったのですが。国語を教えるのは下手です。だって中学校2年生の2学期から、現国も古文も漢文もノートさえ書いたことなく、授業をぼんやり聞いていれば、試験では答えが浮き上がって見える状況でしたから。人よりはたくさん、小説は読んでいたとは思いますが。

逆に、英語が苦手すぎて二浪したわけですが、逆に英語の方が勉強方法など、ノウハウはたっぷり持っています。例えば英語が得意な教師ほど、単語を覚える時に使う連想記憶術を馬鹿にします。そんなのは邪道だと。しかし、英語苦手人間の根本的な問題として、単純記憶が不得手問題に気づいていないのです。こういう実体験も含めて、その教科が得意か不得意かと、教えるのが上手いか下手かは、別の枠組みだと自信をもって言えるわけです。

個人的には、小学校時代の剣道をはじめ、イロイロと格闘技をやってきたおかげで、生徒の適性を見極めて体系的に教えることの大事さは骨身に染みていますし。大学時代にウエイトトレーニングに真剣に取り組んだおかげで、合理的な方法論にも、意識を持てるようになりましたし。教えることは学ぶことという部分で、得た物は大きいですね。今週末からまたネーム講座が始まりますが、先生と生徒ではなく切磋琢磨する仲間として、共に学びたいと思います。

家の講座用に、平田弘史先生が2枚の色紙に揮毫してくださっています。書かれた文字は慈と愛。人を教えるならばいつくしむ心といとおしむ心を大事にしなさい、との言葉とともに。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ