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高見のっぽさん死去

◉『できるかな』のノッポさん、というイメージが強いですが。役者として、活躍されておられました。身長が高いという意味で、ノッポという言葉を知った最初ですね。自分たちより上だと、『のっぽのサリー』なんでしょうけれど。元々は、朝鮮語ですけれど。人間ではなく、ビルとかに使う言葉と、在日コリアンに聞いた記憶が。ゴン太くんと、いいコンビでしたね。

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、素敵なイラストですね。

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元々はダンサーで、役者。喋らないキャラクターとしてののっぽさんを演じ、幼稚園生の自分たちにもちゃんと意味が分かったんですから、すごいですよね。そもそも 放送作家としても活躍されており、短編ミュージカル映画形式の『グラスホッパー物語』では作詞も出かけておられましたから、元々マルチな才能がある方だったんですね。ただ、ご本人によれば かなり不器用で、器用なノッポさんのイメージとは違うらしいですが。

『できるかな』では、最終回で初めて喋ったということになっていますが。自分の記憶では、紙飛行機を作って飛ばす という回で、スタジオを取り出して、どこかの幼稚園が公園で、子供達を集めて飛ばしっこをするという内容がありました。この時、滑り台の上に立ち、スターターピストルをノッポさんが鳴らしたんですが。このとき、「よーい!」というノッポさんの声を、マイクがかすかに拾っていたんですよね。

『できるかな』は、つかせのりこさんが長らくナレーションをされていて、それが突然の降板。当時、吉田戦車先生が、『伝染るんです』で納得行かない旨をギャグに仕立てていられましたが、実は直腸がんによる入院で、その後 43歳という若さで急逝されてしまいました。結局番組も翌年に終了してしまいました。そういえば ゴン太くんも、自分らは最初に見ていた頃は もうちょっとオレンジっぽい色でしたが、途中から茶色っぽい色に変わりましたね。

もっと年上の世代の人たちによれば、リボンタ君はそもそも ロボットのようなデザインであったとか、ゴン太くんの前に前身の番組である『なにしてあそぼう』ではムウくんという別のマスコットがいたとか、思い出を語る人がたくさんおられました。『できるかな』が終わって33年、でも20年間の放映期間でどれだけ多くの子供達に愛されたかが、それだけでも分かりますね。

つかせのりこさんが亡くなったのが、昭和から平成に移り変わる 1989年でした。そういう意味では、戦後の昭和を象徴する番組のひとつだったと言えそうです。昭和も遠くなりにけり。

高見のっぽさんのご冥福をお祈りします。合掌

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