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誰が作品や記事のクオリティを保証するのか?

さて以前、こんなニュースがありました。週刊少年ジャンプの派生媒体として、ウェブ系のジャンプ+があるのですが。担当編集者が付かず、また編集部のネームチェックも通さず、自由に連載ができるという、インディーズ連載枠の登場。これ自体は、昨今の漫画を取り巻く状況を鑑みるなら、必然ではあります。ただ、元出版社勤務の編集者で、本業はライターや原作者ではなく編集者である自分としては、忸怩たる思いはあります。

『ジャンプ+』新たな連載形式を発表、個人で自由に連載可能な枠創設 編集部のネームチェック経ず

 漫画アプリ『少年ジャンプ+』は11日、個人で自由に連載できる「インディーズ連載枠」を創設した。編集部が挑む新たな連載形式で、インディーズ連載枠に掲載する作品は、担当者がつかず、編集部のネームチェックを経ずに自由に連載できる。また、特徴として原稿料に加え、人気ボーナス金もあわせて支払われるほか、人気ボーナス金は各話の閲覧数に応じて変動し、連載中に人気が上昇して閲覧数が増えるほど金額が上昇する。

 インディーズ連載枠に掲載する作品は、漫画投稿・公開サービス『ジャンプルーキー!』内に新しく設けた『ジャンプ+連載争奪ランキング』にて争われ、同ランキングで1位を獲得した作品に、毎月『ジャンプ+』連載権を授与し連載が決定する(連載権を授与された作品は、編集部と開始時期を相談のうえ、1年以内に連載をスタート。掲載ペースは週刊か隔週刊での連載を想定)。

ああ、ジャンプグループも、育てず刈り取る秋元康商法的なことを始めたか……という第一印象です。もちろん、コレによって出てくる才能は一定数いるでしょう。現時点でもTwitterやnote、pixivに作品をアップし、バズって人気作品になった例は、枚挙にいとまがありませんしね。『夜回り猫』や『こぐまのケーキ屋さん』などなど。編集者の役割自体が、もうムダが大きくなって、出版社も余計な人員を抱えられないのでしょう。

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■ウェブ系メディアのクオリティ■

編集者の仕事というのは、多岐に渡ります。主なところでマネジメントとプロデュース。小説や漫画などだと作品のクオリティをチェックする役割がありますし、報道系の雑誌だと取材が重要な部分も。過去に裁判沙汰になったり、糾弾された作品や内容についての判例やら顛末を、データベースとして持ってる必要もあるでしょう。そういう部分は、作家の側には限界がありますから。

もちろん、編集部や出版社の社内規定とか方針で、描きたい作品が描けないとか、担当編集者の無理解で、作品の掲載が阻まれるという側面もあります。これは、差別問題なので知識も覚悟もない編集者が、事勿れ主義で潰す部分も、あります。自分も、編集者時代にも原作者としても、経験がありますが。そういう部分で、編集者や出版社に不信感を持ち、同人誌や自費出版に走る作家も。

コレは雑誌業界も同じで、個人で発信して、個人メディアになってる人も多数。でも、それは一握り。こちらの元文春副編集長のnote、Web系ライターや編集部の内実をかなり辛辣に指摘されています。作家が編集者や編集部、出版社に不信感を持つのは仕方がないですが、それでも品質保証の面で、優れた編集者や出版社に蓄積されたノウハウはあるわけです。他のnoteもオススメです。

■目利きは編集者個人の名人芸■

個人的には、編集者の80%は無能か、無能ではないが有能でもないと思っています。喜多野は傲慢と言われればそれまでですが。でも狭い範囲ですが、内側と外側、両方から出版社を見てきた個人の感想です。例えば、星海社のツイ4とか、月例漫画賞の編集者の座談形式の講評を読むと、コレはただの悪口で講評ではないなぁ……と思えるものが多々ありました。実際、漫画家からも批判が寄せられましたが。あれが講評になっていないという、自覚さえないレベル。

しかいジャンプも、編集部で共有・継承されるようなノウハウはなく、先輩の背中を見て盗めが基本ですから。けっきょく、体系的な方法論はなく、個々の編集者の名人芸に任されてる側面も。実際、ジャンプも鳥嶋和彦編集長時代は、ONE PIECEにNARUTOにBLEACHにHUNTER×HUNTERにヒカルの碁に……と、5年間で次々にヒット作が出ていますが、その後の20年間では打率が……というのが現実です。

もしジャンプに確固とした方法論があるなら、編集長が替わっても、ある程度のクオリティが維持されるはずですが、やっぱり名編集長と呼ばれる人とそうでない人では、目利きに差があります。編集者個人の名人芸であると、理解できるでしょう。自慢させてもらうなら、ウチの講座はかなり高い結果を出しています。受講生に恵まれた面は否定しませんが、それなりの方法論があるからこそ。

■プライドは高く腕は低くの編集者■

編集者って中堅どころでも日東駒専以上の学歴は普通ですし、MARCHや早慶智とかゴロゴロいますから。プライドだけは高いんですよねぇ。「他の編集者はボンクラだが自分だけは優秀」と思っている。なので、小池一夫先生が劇画村塾を開校して編集者コースを開いても、原作者ごときに聞くことはないと、人が集まらない。一期に応募したのはさくまあきら氏ぐらいで、以降は募集が停止されてしまったのですが。

でも、劇画村塾のテキストは作家などから入手して、ちゃっかり読んでるんですから、お話になりません。テキストを読んだだけで理解できるなら、講義なんて必要ないわけで。ちなみに自分も、劇画村塾のテキスト自体は市販されたものを読んでいましたが、小池一夫先生の直弟子である鍋島雅治先生との交流を通し、微妙なニュアンスや細かい意図を、ようやく理解・確認できた部分が多々あります。田中圭一先生も、小池先生が受講生を篩に掛ける手法に言及されていました。

ちなみにウチの講座って、学生インターンや手伝いで講義を聴いていたスタッフ、あるいは受講生から白泉社や角川書店、編プロの銀杏社、Web系コミックの編集者になった人間が、片手の数以上いるんですけどね。自分の本業が編集者ですから、当然っちゃあ当然ですよね。大学や専門学校でDTPの講座を持てるぐらいには、器用貧乏に編集者全般の仕事をこなせるので。編プロに雑務を丸投げしてる大手の編集者では、こうはいかない( ´ ▽ ` )ノ

■ウェブ系メディアと執筆陣の共犯関係■

さて、自慢話は耳障りでしょうから、本題に戻して。ウェブ系は利益率が低いため、記事にしてもクオリティが低い。それはライターの問題であり、編集者の問題であり、出版社の問題でもあります。校閲部がちゃんとあるウェブ系メディアって、どこまであるのか。それゆえ、今回のファミリーマートのお母さん食堂について、昭和の時代の言葉狩りが、起きたりするのですが。ああいう思いつき同然の論を、ウェブ系メディアが煽る構造を、御田寺圭氏が指摘されています。

ハフィントンポストは基本、原稿料が出ないんですね。朝日新聞別働隊として、それでも書きたい人達がいる。そういう人達は、ハフィントンポストの主義主張に近しい人達で、なおかつそれで稼ぐ必要がない。ハフィントンポストで書いたことが箔を付けたり本業の収入に益する。あるいは、イデオロギーとしてそれを拡散することが主目的だったり。オウム真理教の系列企業で働いていた信者みたいなものですね。

政治家が充分な活動資金がないと、汚職で資金調達したり、実家が資産家で太い人間でないと立候補できない、あるいは宗教団体などの後押しがないと厳しい。けっきょく、ハフィントンポストの記事でも、それと同じことが起きてしまうわけで。ハフィントンポストのスタッフがおそらくは大嫌いな、昭和の自民党型政治と同じです。たぶん、この問題はどんどん顕在化し、可視化されるでしょうね。

■ガロにはなれないハフィントンポスト■

例えば、かつての『ガロ』という雑誌は、原稿料が出ない雑誌でした。でも、ガロ系という言葉があるように、それ自体がひとつのステータスでしたし、商業誌には馴染まないけれど先鋭的作品や実験的作品が掲載される場として、一定の役割が評価されていました。では、ハフィントンポストはウェブ系メディアのガロか? 残念ながら、劣化版朝日新聞以上の評価は、自分にはできません。

デジタルネイティブの世代は、旧メディアのレッテル貼りとは裏腹に、極端な意見に飛びつくのは全体の10%弱であって、多くは右も左もバランス良く読み、むしろニュートラルな意見に近いと、ネットの調査でも出ています。そして、そういう世代ほど、自民党や安倍政権を消極的に支持しているわけで。なぜか? 朝日新聞や毎日新聞の左派系の旧メディアの主張が穴だらけで、支持できないからです。

ところが、旧メディアの記者などは、正しい自分たちの主張が受け容れられないのは、デタラメを言う右派のせいだとか、大衆が愚かだからと思ってしまう。そして、愚民どもを啓蒙してやろうとする。ところが、双方向性のインターネットでは、たちまち依拠した情報の間違いや、論理展開の飛躍が、指摘されてしまうわけで。結果、極端な右派を槍玉に挙げて精神的勝利をするしかない。でもそれ、同じ穴の狢同士のカサブタの剥がし合いですから。

■求められるのは育成とプロフェッショナル■

けっきょく、cakes炎上の問題と同じ。自分たちはプラットフォームを与えるだけで、後は自然淘汰や神の見えざる手でお願いしま〜す、の貸店舗商法では限界がある。店舗の借主が、違法薬物や違法な銃器を売買し始めたら、貸主にも責任が問われるわけで。そこで過剰に介入すれば、今度は借主の権利やクオリティを損なうわけで。キチンとした線引きとルールとバランス感覚は、一朝一夕では身に付きません。

でもこの貸しビル商法は、阪急グループの小林一三の手法をまねた西武グループの手法とも同じなんですよね。鉄道を敷いて付加価値を付け、安く買った土地を高く売る。何かを製造しているわけでもない。堤康次郎の手法の研究は、猪瀬直樹氏の著書が丁寧で分かり易いですが。プリンスホテルの手法も同じ。旧宮家の土地という付加価値を利用するサービス業。

小林一三が凄かったのは、宝塚歌劇団を作るにあたって、音楽学校も作って才能を育成し、そのためには欧米のエンターテイメントを数年掛けて視察させ、研究させ、劇場も自前で持ちと、秋元康商法のAKBグループとは比べるべくもなく。これは、映画『フラガール』で描かれた常磐ハワイアンセンター(スパリゾートハワイアンズ)も同じ。プロを呼んで育成する方法論と経営哲学がないとダメですから。

■左傾化し蛸壺化する旧メディア■

TBSラジオなどもハフィントンポストと同じで、社の方針に迎合するタレントで固めていってるように見えますけどね。その劣化の象徴が、荻上“一夫二妻”チキ氏の重用でしょう。かつての番組セッション-22では、知る・わかる・動かすなどと、啓蒙する気満々でしたが。この左傾化を後押ししてるのが三村社長なのか、出世した長谷川プロデューサーなのか、それはわかりませんが。そりゃアクションも失敗しますよ。

町山智浩氏や小田嶋隆氏など、昔はもうちょと右にも左にも幅がある人だったんですが。それはライムスター宇多丸氏もそうで、帯番組を持たせられて、ちと左寄りに。でもまぁ、まだ踏み止まってる感じですかね。伊集院光さんも帯を持たせられたクチですが、伊集院さんはまだしもニュース解説の左寄り発言をニュートラルな視点に戻そうとされてて、こういう部分での良識はブレていないなと尊敬しますが。

でも、こういうTBSラジオの蛸の足食いは破綻するでしょう。右でも左でも、論客はいて元高い議論はできるハズなんですが、そういう場にはならない。ツイフェミやバラモン左翼と対峙する覚悟より、彼らに迎合した方が抗議や嫌がらせは少ないでしょうから。でも、大手事務所の抱き合わせ配役のように、安易な人材起用はだいたい失敗したり、ジリ貧に陥るのが常ですから。厳しいでしょう。

■クオリティを保証するための訓練場■

さて。旧メディアの、人材育成機能はどこが請け負うのか? けっきょくはウェブ系メディアの発展に伴い、そういう機能が次第に備わる可能性もあるでしょう。個人メディアは、やっぱり炎上を繰り返して経験値を得るしかないでしょう。それが他者に伝承されるかどうかは、わかりません。自分は残したいですが、そうなると10人に教えてもモノになるのは2〜4人でしょうから。

落語家を見ていても、寄席修業ってやっぱり大事で、芸人らしさという不思議な雰囲気が自然に身に付く。でも、立川流や圓楽党に落語家には、コレが稀薄。それは上方の落語家もそうなんですが、上方落語協会は寄席を復活させ、上方落語を再生させようとしています。手本にするなら、この方式でしょうね。旧メディアの経験者が、新たな場を作る。ただし、チャンと経営が安定するように。

テレビ依存で赤字が当たり前だった昭和のプロ野球が、平成の時代にはテレビ放映も激減したのに、逆に黒字が出る商売になったように。その音頭をnoteが取れるかはわかりません。自分は、そういう財力も人材も人脈も持っていませんので、手作りでできることを2021年は増やしていきたいです。将来的には、自分で編プロを持って後進を育成できれば良いのですが。難しいです。自分が喰ってくだけで精一杯ですから。

どっとはらい






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