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鳥嶋和彦 v.s 白井勝也

◉二人とも、名物編集者ですね。方や、鳥山明先生の『Dr.スランプ』にDr.マシリトとして登場し、方や相原コージ・竹熊健太郎『さるまん』に白井編集長として登場。実績や知名度では自分など足元に及ばない編集者の、貴重な対談ですね。備忘録も兼ねて、メモです。

【『めぞん一刻』や『美味しんぼ』を手がけた小学館の伝説的漫画編集者・白井勝也氏に、元週刊少年ジャンプ編集長の鳥嶋和彦氏が訊く!──ライバル同士だった二人がいまこそ語る”編集者の役割”】でんファミニコゲーマー

 電ファミニコゲーマーではこれまで、『週刊少年ジャンプ』の編集者として『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』などを担当し、現在は白泉社取締役相談役を務める鳥嶋和彦氏をお迎えして、漫画について、そして編集者の役割について考える記事をお届けしてきた。今回の対談もまた、そうした試みのひとつである。
 今回、鳥嶋氏とともにお話を伺うのは、株式会社ヒーローズ代表取締役社長で、小学館最高顧問(※取材時。現在は退任)の白井勝也氏だ。
 白井氏は『週刊少年サンデー』『ビッグコミック』で編集者として活躍した後、『ビッグコミックスピリッツ』の創刊編集長に就任。『めぞん一刻』『美味しんぼ』『YAWARA!』など、数々の人気作を送り出して、同誌を今も続く人気青年コミック誌へと押し上げた人物だ。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/220920a

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、

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鳥嶋和彦白泉社会長、実は高橋留美子先生の才能を見抜けず、スルーした過去があるんですよね。持ち込みできた高橋留美子先生を評価せず、週刊少年サンデーに。そして、高橋先生は1978年に『うる星やつら』を連載開始。これは痛恨だったようで。どっちかと言えば、高橋先生はジャンプ向きだったので、なおさらでしょうね。それが、1979年の鳥山明先生のデビューと、翌年の『Dr.スランプ』の連載につながっていたでしょう。ちなみに、劇画村塾で高橋先生の同期でもあるさくまあきら氏が、鳥嶋氏とのお見合いを画策していたとか。噂話なので、自分は知りません。鍋島雅治先生なら、知ってたかも。

白井勝也編集長、奇しくもDr.スランプが始まった1980年に創刊されたビッグコミックスピリッツの初代編集長で、とにかく自分らにとっては奇跡の雑誌でした。80年代に『めぞん一刻』に『軽井沢シンドローム』に『美味しんぼ』に『F』に『ギャラリーフェイク』などなど、もうほとんどの作品が面白くて、捨てるところがない。というか、4コマ漫画やショートでも、『コージ苑』に『じみへん』に『クマのプー太郎』にと、レベルが高くて。雑誌によっては4コマ漫画って、単行本にはならないのですが、スピリッツだと単行本化されていましたから。それだけ、レベルの高い良質な読者も多かったんでしょうね。

鳥嶋編集長も、ライバルの週刊少年マガジンに部数で抜かれたジャンプの、編集長に1996年に復帰すると、青年誌系に傾いていたラインナップを一掃し、『ONE PIECE』に『NARUTO』に『BLEACH』に『ヒカルの碁』に『遊戯王』に『ROOKIES』に『テニスの王子様』に『BLACK CAT』に『ボーボボ』と、のちのジャンプを支える作品や作家を次々と抜擢。残念ながら、編集長在任中には部数1位は奪回できませんでしたが、鳥山編集長以降のヒット作を指折り数えると、質・量ともに圧倒的です。トップが変わると、こんなにも変わるのかと驚いた記憶が。やはり、実績あるお二人の話は面白いですね。

自分ももうちょっと頑張らないと。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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