見出し画像

昭和40~50年代を美化する人たち

◉X(旧Twitter)には、過去を美化する人が、けっこういます。本来は保守派や守旧派に多いのですが、悪夢の 民主党政権時代を美化する人など、左派系でもかなり多いです。昔は良かったと言い出したら、老人の繰り言なのですが。昭和40年代から50年代を美化する、こんなポストが流れてきました。リアルタイムで昭和40年代50年代を生きたオッサンとしては記憶改竄か恵まれた都市部の生活者か、いずれにしても美化です(断言)。

昭和40~50年代頃と今とどっちが幸せなのかしら。利便性や衛生、教育、治安は今の方が上だけど。当時は、ほとんどの人が結婚して子を持ち、マイホームに住んで老後も安泰だった。世の中が発展してワクワクしたし、家族の絆も固くて一番いい時代だったんじゃないかな。(画像:AI)

https://x.com/natsukashi__/status/1793402282324750605
https://x.com/natsukashi__/status/1793402282324750605

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、メイプル楓さんのイラストです。

◉…▲▼▲▽△▽▲▼▲▽△▽▲▼▲…◉



■人口爆発と飢餓恐怖■

あの頃もマスコミは、公害だオイルショックだ中東戦争だ円高だ金権腐敗だ金大中事件だ氷河期だ食糧危機が飢餓だ人口爆発だと、真っ暗な未来を喧伝し、不安を煽っていました。そしてあの頃も、戦後から昭和30年代を、あの頃は貧しくても希望や明るい未来があったと、美化していました。だって高度経済成長は、昭和48年には完全に終わっていましたから。実質、1970年代に突入した 昭和45年には、70年安保闘争の騒乱で、社会不安が広がっていました。

例えば、氷河期の到来と人口爆発による飢餓に対する不安や恐怖は、1972年の『デビルマン』や1975年の『正義のシンボル コンドールマン』、1977年に商業誌の連載が始まった『超人ロック』、そして1979年に放映された『機動戦士ガンダム』などに、現実の危機として影を落としていました。スペースコロニーという発想自体が、増えすぎた人工をどうするかという問題解決策ですからね。実際には 1940年代から60年代にかけて、緑の革命が始まっていたのですが。

それが今は、少子化だと温暖化だと、真逆のことを 騒いでいるのですから。マスコミは戦後 一貫して、嘘つきです。緑の革命だって、とっくに始まっていたのに、そちらの方はあまり報道せずに、恐怖を煽る。現在でも原子力発電所の危険性や恐怖は煽っても、より安全性が高い第四世代原子炉については積極的に報道しない。太陽光発電や風力発電などの問題点も、報道しない自由を発動する。政治家のスキャンダルで強請り集りを働いて羽織ゴロと呼ばれていた明治の頃から、あまり変わっていません。

■終末ブームと大予言■

そして、高度経済成長期が名実ともに終了した昭和48年=1973年というのは、五島勉の『大予言』が発売された年でもありました。ただこれ自体は、当時の終末ブームに乗ったモノで、このままでは世界が滅びるという気分を、社会全体が共有しており、その一翼を担ったものでした。小松左京の小説『日本沈没』が発売され、大ブームになったのも、昭和48年。『大予言』はそのブームに乗っかった便乗作品に過ぎませんでした。

ところが、1979年に『大予言Ⅱ』が発売され、一般 マスコミも取り上げて、大ブームになります。『ちびまる子ちゃん』でも取り上げられていたように、1980年2月の火曜ワイドスペシャルで、『緊急レポート ノストラダムスの大予言』が放映され、それまでは一部のオカルトマニア の間で話題だった『大予言』が、一気に日本国民のほとんどが知るような、話題になってしまいました。

1999年が、四半世紀前に終わったからこそ、大予言はインチキだと解ったのですが。マジに90年代には、2000年の夜明けを見ることが目標ですって若者は、普通にいました。それぐらい、信じられていたんですよ。いつの時代も、その時代の悩みに大衆は呻吟していました。それを、記憶を改竄したり、現在の視点から過去を美化してはいけないのです。今を生きる人間の、逃げの手段になる可能性が高いですから。

■公害多発と環境汚染■

昭和40年代から50年代の日本といえば、四大公害に代表されるように、公害の時代でもありました。大気汚染や水質汚染、土壌汚染などが問題視され、地盤沈下や液状化現象などが、取り上げられ始めた時期でもありました。三重県四日市市のコンビナートから排出された二酸化硫黄による四日市喘息が、昭和34年から昭和47年にかけて 社会問題化します。イタイイタイ病は、昭和30年に 新聞記事でこの病名が掲載され、昭和40年代まで多発しました。

水俣病は昭和31年に患者の発生が報告され、当時の厚生省が原因物質をチッソから流出したメチル水銀化合物と認定したのが、昭和43年です。光化学スモッグという言葉が新聞やテレビで取り上げられるようになったのは、昭和45年の東京で、体育の授業を受けていた生徒たちが目や喉の痛みを訴えたことがきっかけでした。今でも東京都内では、光化学スモッグの発生が、区の有線放送で知らされることがありますけれど。

公害によって生まれた怪獣が登場する、映画『ゴジラ対ヘドラ』が公開されたのが昭和46年でした。昭和46年から47年にかけて放映されていたテレビ番組の『スペクトルマン』では、ヘドロ怪獣ヘドロンやダストマンが登場し、『帰ってきたウルトラマン』ではヘドロ怪獣ザザーンが登場します。それぐらい 公害は身近なモチーフでした。昭和49年には騒音公害を取り上げた清水一行の小説『動脈列島』がベストセラーとなり、翌年には映画化もされています。まさに 昭和30年代から40年代にかけては、公害の時代でした。

■核戦争と人類の滅亡■

そして 昭和40年代から50年代にかけては、核戦争による人類滅亡が、リアルな恐怖を伴っていました。テレビ番組の宮崎駿監督の『未来少年コナン』も昭和53年放映で、核兵器を超える超磁力兵器で文明が滅びた未来を描いています。炎の七日間と呼ばれる大戦争によって、人類の文明が滅びた後の世界を描いた『風の谷のナウシカ』も、昭和57年に漫画連載がアニメ誌のアニメージュで開始され、劇場版が59年公開です。

宮崎監督のライバルである富野由悠季監督の代表作『機動戦士ガンダム』でも、核兵器の恐怖が描かれ、それ以上に強力な兵器としての、ソーラーレイが描かれましたが。ソーラーレイは原水爆のメタファーであり、これは『宇宙戦艦ヤマト』の波動砲も、根っこは同じ発想です。ここら辺は、水爆実験で生まれたゴジラをオキシジェン・デストロイヤーで倒すという、科学の発達が生み出す超兵器に対する恐怖も、投影されている面があります。

このような、昭和40年代や50年代を覆っていた、核戦争で人類が滅びるかも……という恐怖と閉塞感が、いかに濃厚だったかを忘れて、過去を美化しているようにしか見えません。「近頃の若いもんは……」という愚痴は、古代エジプトのパピルスにも記されている、言葉だそうですが。若者批判は過去の美化と、セットになっている面があります。ただ 逆に言えば、いつの時代も「人間は堕落した、滅びは近い」と警句を発し、他人を不安にさせる人間はいる、ということです。それこそ 神話の時代から。

■思い出は常に美しく■

三木露風作詞の名曲『赤とんぼ』にしても、露風の子供時代の思い出を歌った作品なのですが。裕福な家であった露風は、子守りの姉やを雇うことができましたが。おそらくは貧農の娘であった姉やは、15歳で嫁入り。当時は満年齢ではなく数え年で、1月1日が来れば年齢が一歳 上がるという文化。12月31日に生まれた人はその時点で1歳で、翌日には2歳になります。つまり、この姉やは現代ならば、13歳と1日から14歳と1日の満年齢であった可能性があるわけです。

三木露風は明治22年(1889年)に生まれ、昭和39年(1964年)まで生きましたが、『赤とんぼ』は大正10年( 1921年)に発表された詩。明治の時代の思い出を、32歳になった大正時代に謳ったもの。100年以上前から日本人は、過去を美化してノスタルジーに浸る生き物です。ノスタルジーといえば、宮崎駿監督の師匠でもあった高畑勲監督は、昭和40年代をノスタルジックに描いた『おもひでぽろぽろ』をアニメ化していますが。原作者の岡本螢は昭和31年(1956年)生まれで、32歳の昭和63年(1988年)に小説が刊行されています。

このようなノスタルジックな過去美化は、反進歩主義・反科学主義ととセットであることが多いです。故に、子宮頸癌ワクチンへの比較的な反発や、ALPS処理済み水を汚染水と言い続けてる反原発派など、お気持ち優先で非科学的な態度をとるのは、むしろこちらの方が危険な兆候に見えます。そして日本のマスコミは、この情緒的な側にだいたい付きます。そちらの方が解りやすく、扇動しやすいので。自分は保守派ですが、こういう動きにはかなり警戒心を持っている側です。


◉…▲▼▲インフォメーション▲▼▲…◉

noteの内容が気に入った方は、サポートで投げ銭をお願いします。あるいは、下記リンクの拙著などをお買い上げくださいませ。そのお気持ちが、note執筆の励みになります。

MANZEMI電子書籍版: 表現技術解説書

MANZEMI名作映画解題講座『ローマの休日』編

MANZEMI文章表現講座① ニュアンスを伝える・感じる・創る

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ