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平田オリザ氏の発言がまた発掘

◉他業種を見下す発言を連発して、すっかりアッチコッチに敵を作ってしまった平田オリザ氏ですが。これまであまり注目されてなかったので見過ごされていた過去発言が、次々と発掘されてSNS上で俎上にあげられています。まるで、伊是名夏子社民党常任幹事のようですね。常任幹事は1410個ものブログのエントリーを削除して、証拠隠滅に走りましたが。平田オリザ氏の場合、そうもいかないようです。

【はるかぜちゃんの「ぼく」は日本語の進化? 専門家解説がかなり深い】withnews

ツイッターで有名な「はるかぜちゃん」こと、俳優の春名風花さん。はるかぜちゃんは、自分のことを「わたし」ではなく「ぼく」と言うことでも知られています。「女の子なのに、なぜ?」と違和感をもつ人もいますが、劇作家の平田オリザさんは「日本語の構造的な問題がある」と言います。どういうことでしょう。

2019年2月の記事ですが。平田オリザ氏の学歴は、国際基督教大学教養学部人文科学科卒業。いちおう、現代口語演劇理論の提唱者ってなっていますが、それで専門家? 言語学者とか国文学者でもないですけどねぇ……。しかも、その内容が深いかと言われれば、日本文学科を卒業して出版社に就職し、多少なりとも物書きとしてキャリアがある身からすると、ハッキリ言えばクエスチョンマークが付きますね。

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■ジェンダーギャップが大きい言語?■

まず、のっけから下記のような発言です。何を以て平田オリザ氏は、ジェンダーギャップが多いというのか? 女性名詞や男性名詞がある言語の方が、ジェンダーギャップが少ないとでも言うのですかね? あるいは既婚か未婚かを識別する単語がある言語が上級とでも言うのでしょうか? 動物でも虫でも代名詞は "it" の英語は動物愛護に向かない言語ですか? 基準がサッパリわかりません。「〜と言われています」なんて、根拠もよう分からん物言いをする人が、専門家?

平田「日本語は、世界の主な言語の中で、最もジェンダーギャップが大きい言語と言われています。本当になんとかしないといけない」

ちなみにロシアでは、ミドルネームに父親ファーストネーム(父称)が入るのですが、これが男性と女性では変化します。ロシアに多いイヴァンさんの息子ならイヴァーノビッチ、娘ならイヴァーノヴナ。ユーリさんの息子ならユーリエヴィチ、娘ならユーリエヴナ。アレクセイさんの息子ならアレクセーヴィチ、娘ならアレクセーヴナ。

これはスラブ系民族の特徴で、セルビア人のドラガン・ストイコビッチ選手とか、〜の息子のいう意味のビッチが付くわけで。こういうのも家父長制の象徴だから問題視して、廃止せよと平田オリザ氏のたまうのですかね? その文化には特有の価値観があり、それが反映されています。長幼の序を重視する東アジアの文化では、兄弟姉妹と同じ親から生まれた子でも、別の単語で長幼を表現します。

■言語と文化には得手不得手がある■

英語だとそこは気にしないのでbrotherとsisterで、長幼は弟をYounger brotherなどと表現しますが。ちなみに、中国では兄弟だと伯・仲・叔・季の字を、長男・次男・三男・四男と順に付けるので、孔子は本名を孔丘仲尼なので、次男だと解ります。こういう文化も家父長制の残滓だと、問題視するんですかね? 太郎次郎や一郎二郎三郎も、差別的家父長制の残滓だと?

平田「日本語の二千数百年の歴史の中で、女性が男性になにかを命令したり指示したりすることって、お母さんが子どもに指示する以外なかった。だから入院したおじさんたちは『子ども扱いされた』と怒るんです」

これも、平田オリザ氏のただの主観ですね。こんなの、会社に電話をかけて女性が出ると「女じゃ話にならん、男を出せ」とか言ってた昭和の時代のバカオヤジが、老害世代になってプライド振り回してるだけじゃないですか? テレビのレポーターとか、老人ホームの入居者に、赤ちゃんをあやすような言葉を使う不快な例を、昔はよく見ましたね。

「おじ〜ちゃ〜ん、お元気ですか〜? そうなんですか〜スゴいですねぇ〜」みたいな。こんなの、男性レポーターでも女性レポーターでも同じですよ。自分が福岡にいた30年前にも失礼だと話題になっていましたが、それから改善したとも聞きませんし、全国的なモノですね。認知症の老人を、二度童と呼んだりしますが。こういうのは、個人の意識の問題です。男女関係ないんですから。

■個人の問題を言語の問題にすり替え■

続いて、コチラの発言。………はぁ? そりゃあ命令口調でそんなことを言う上司の、個人の礼儀の問題でしょ。部下は上司の下僕ではありません。例えば、上司でも目上の部下なら、「コレ、コピー取ってください」みたいな言い方になりますよね。ジェンダーの問題ではなく、長幼の序の方が言葉遣いに差を生み出すのですから、こんなのを「明らかに男女差別なんです」とか、平田オリザ氏のただの主観ですね?

平田「今は女性の上司、男性の部下って当たり前ですが、女性が男性に命令する言葉がない。たとえば『これコピーとっとけよ』と男性の上司が男性の部下に言っても、『ちょっときつい人』くらいの評価です。でも女性の上司が部下に『これコピーとっとけよ』と言うと、相当きつい人と思われますよね。これは、明らかに男女差別なんです」

「コレ、コピー取っといて」なら別に男性や女性関係なく、普通に言うでしょうに。男女平等ってのは、女性が部下を下僕扱いするバカな上司のような、荒っぽい言葉を使うようになることですか? 繰り返しますが、そんなの個人のマナーや躾の問題であって、男女のジェンダーギャップ云々の話ですか? この程度の話を、大阪大学で医療コミュニケーションとして教えてる? 「大丈夫か……大阪大学?」としか思いません。

■日本語の情報の圧縮能力について■

だいたい、日本には男言葉と女言葉がありますが、それはジェンダーの問題と言うよりも、日本語が持つ情報の圧縮能力の問題です。英語で “I don't know.” だと、男性が言ってるか女性が言ってるかわかりません。つまり、前後の文脈から判断することになります。ところが日本語だと、これが簡単に判別できる例が多いですね。こんな感じで。

「ボク、わかりません」
「あたし、わかりません」

詩人のアーサー・ビナード氏は、日本語に男言葉と女言葉の違いがあるとは知らず、教わった先生が女性だったため来日当初、その言い回しは女性が使う言い方だよとしばしば言われて、戸惑ったとか。「〜よね」とか「〜わよ」でしょうね。コレがさらに、下記事例のように使うと、同じ女性でも年齢や出身地の情報まで盛り込むこともできるわけです。

「あたしゃ、わからないよ」
「私には、理解できません」
「わたち、わかんなぁーい」
「あたい、わかんないんよ」
「あてには、わからへんわ」
「うち、わっからへんねん」
「わしゃ、わからんがぁ〜」
「わんねー、わかやびらん」

どうですか、お客さんッ! 職業や時代さえも、そこには込められるんですが。平田オリザ氏には、こういう多様で豊かな日本語の表現は捨て去って、英文直訳調の、男女のジェンダーギャップがない日本語になるべきだと、そう主張するのでしょうか? 清水義範先生の名作『永遠のジャック&ベティ』の世界が、平田オリザ氏の望む世界ですか?

「オレには、わかんねーよ」
「ボク、よくわかんな〜い」
「おいらには、わかんねぇ」
「わしゃあ、わからんのう」
「拙者には、わかり申さん」
「手前には、わかりまへん」
「拙には、わからねぇでげす」
「あっしには、わからねぇこってす」

なにか、平田オリザ氏の発言は「ら抜き言葉は間違いです」とか言ってテレビ局に抗議の電話をする素人に似ていますね。個人の感想ですが。専門家は「そもそも正しい日本語はない。言葉は常に変化するから。ら抜き言葉も、可能と受け身の表現の分化で、日本語の変化としてむしろ精密化とも言える」と言うのとの違いというか。これで専門家認定とは朝日新聞記者様、恐れ入谷の鬼子母神、でございます。

■混乱をもたらしたのは、誰なのか?■

言語にはメリットもデメリットもあるのに、ジェンダーギャップ云々と、歴史の浅い西洋由来の概念を振り回すのは、危険に思えます。それは、安易なエスノセントリズムに加担する危険があります。このnoteでも何度か指摘していますが、どうも平田オリザ氏は無自覚の権威主義者で、さらに舶来上等の海外出羽守、もっと言えば欧州出羽守の疑いが濃厚です。英国王立演劇学校の日本版を作りたいようですし。

平田「いま小学生の先生は、子どもを全員『さん』と呼ぶんです。『君』『ちゃん』と男女で分けずに。でも最近気付いたんですけど、お父さんやお母さんのことは、『○○ちゃんのお父さん』『○○君のお母さん』と呼ぶんです。ほんと、日本語の混乱期です」

〝くん〟でも〝さん〟でも、情報伝達に便利・正確・代替が効かないなものを使えば良いのであって、それがジェンダーギャップ解消に意味があるのか? そもそも全員を「〜さん」と呼ぶこと自体が、はたして正しいのか? 混乱期というよりも、やれジェンダーギャップが〜とか、平田オリザ氏のお仲間たちが、言葉狩りをしたりクレームを付けて、混乱を引き起こしてるんじゃないんですか?

■文語と口語は完全には一致しない■

笑ってしまったのは、この締めの言葉。いやいや、朝日新聞デジタル編集部原田朱美記者様、あなたこそ専門家の著書を何冊か読み、もうちょい掘り下げてみてはいかがですか? 自分程度の知識の人間でも、ツッコミが入れられるのに。

もしあなたがなにか「違和感」をもったとしたら、その理由を掘り下げてみると、面白いかもしれませんよ。

少なくとも、以下引用の部分はツッコミどころ満載でしょ。政治は戦前は文語でしたし、これは法律関係での記述も同じ。昭和天皇の終戦の玉音放送の文章なんて、「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」ですからね。公式文書は戦前はカタカナが正式で、平仮名ではありませんし。そもそも、文語と口語の完全な一致はあり得ません。

平田「たとえば、明治維新が1868年に起きて、四民平等とか身分を超えた恋愛とか、努力すれば出世できる世の中にはなったんだけど、ひとつの言葉でラブレターも書けて政治も書けて、ケンカもできるようになった『言文一致』は、だいたい1910年前後です」

平田オリザ氏は国際基督教大学卒業でしょ? 日本聖書協会の翻訳・発行の口語訳聖書は1954年からです。言文一致は、そんな単純な話ではありません。で、現在の『新改訳聖書』は初版完訳1970年です。ハッキリ言って、文語訳聖書の格調ある文体が失われ、「主は言われた」とか、受け身なのか敬語表現なのか、わからないと福田恆存らが批判しましたが。文語の品格や古くささもまた、表現の多様性の一部。

常用漢字表やら新字新仮名についても、福田恆存らが批判し、コレに関しては呉智英夫子も、福田らの論が正しいと、自身も旧字旧仮名の使用に踏み切るほど。自分は、言葉は常に変化するという立場なので、コレには与しません。ですが同時に、過去と連続性のある日本語の保存や回帰もまた、必要と思っています。出羽守の疑いが濃厚な平田オリザ氏の言説には今後も、疑問を投げかけます。

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