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安倍晋三元総理と左派

◉個人的には、高橋洋一氏の言説には若干の不信感を持っているのですが、この記事は安倍元総理の功績がコンパクトに纏まっていますので。アベノミクスの時期に大学で講師やら教授職にあった人間なら、目に見えて学生の就職状況が変わったのは、周知の事実。大学教授だ准教授だという立場にありながら、その事にまったく触れずに、口を開けば批判ばかり繰り返すアカデミズムの人間は、学生の就職に興味がない上級国民様か、不利なデータは見ない・隠す、不誠実な学者なんでしょう。

【日本の左派やリベラルが、安倍元首相に完全に敗北したワケ】現代ビジネス

7月14日、岸田首相は、暗殺された安倍元首相について今年秋に国葬を行う方針を明らかにした。これに対し、公明はコメントせず、共産、れいわ、社民は反対した。
安倍元首相の功績については世界的には称賛されているが、国内の左派やリベラルを中心に「アベ政治を許さない」と露骨に嫌う人も目立った。安倍氏に反発するメディアも少なくなかったが、安倍氏はそうした人たちのどこを刺激したのだろうか。
本コラムで何度も紹介したが、安倍元首相は、経済政策で雇用の確保の実績はピカイチだった。安全保障では、西側政治家の中で誰よりも早く専制国家中国の脅威に気づき、民主主義のクワッド(日米豪印)に動き、同盟(集団的自衛権)の重要性から安保法制を作った。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97598

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、メイプル楓さんのイラストです。

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■うがち・おかしみ・かろみ■

朝日新聞の川柳の内容が酷いと、話題になっています。川柳とは、江戸中期の俳諧の前句附点者だった柄井川柳が語源。五七五の17文字なのは俳句と同じですが、季語はなく、うがち・おかしみ・かるみの3要素が主な特徴。「町内で 知らぬは亭主 ばかりなり」なんて奥さんの浮気が町内中の噂になっているのに、旦那だけが知らない……なんて、現代でもアルアルのことを描き、庶民の娯楽として長く愛されていますね。サラリーマン川柳とか、傑作が多いですからね。

残念ながら、朝日新聞の川柳、16日も17日も安倍晋三元総理へのストレートな罵声を、五七五にしてるだけで、そこに穿ったモノの見方とか、思わずクスリとするおかしみ、あるいは内容が重くなりすぎない軽みが、あまり感じられませんね。もちろん、どんなものだって風刺やツーモアということは可能です。ただ、そこには言われた側もつい苦笑してしまうような質の上下や、大衆性としての広がりがあるか否か、という部分はありますね。

■政治性を評価する党派性■

ところが政治性が絡むと、たいして面白くないものを、二階級特進で褒めそやす、党派性丸出しの方々がいます。「保育園落ちた日本死ね」を最終候補に入れた流行語大賞とか、トンデモ映画『新聞記者』に作品賞を含む6冠を与えたアカデミー賞とか。そうやって、二流三流のものにお手盛りで評価すると、結果的に本当に評価すべきものが弾かれますからね。賞の権威を自分たちで毀損しているんですよ。これは音楽も同じで、反体制とか体制批判すれば評価される。

評価がそういう形でズレれば、そこにおもねったものを作れば評価されると、客ではなく評論家やスポンサーを見て作品作りをしてしまう。言っておきますが、作品には政治性や党派性を帯びるのは、悪いことではないです。むしろ、その時代の問題を投影していない作品は、上滑りしてダメなものが多いです。でも、作品はエンターテイメント性の皮に、政治性や思想性をくるまないと。政治性が全面に出てしまうと、薄っぺらく稚拙になってしまいます。

■エンタメの表皮で包め■

1954年に黒澤明監督『七人の侍』『ゴジラ』という、世界に誇る作品が世に出たわけですが。両方とも、サンフランシスコ講和条約で主権を回復した日本の、未来に対する不安や戦後処理の問題、東西冷戦や原爆を遥かに超える水爆という核兵器の出現に対する恐れなど、時代の問題=政治が反映されています。でも、そこを全面に押し出しても、世界では評価されなかったでしょう。エンターテイメントで世界に通用するレベルだから、通用したという。そこが前提です。

北朝鮮映画の『プルガサリ』なんて、拉致された申相玉監督が撮ったのですが。ただの怪獣時代劇映画に見せかけて、実は「悪の封建帝国を倒すのには貢献したが、今や人民の敵になってる金日成総書記よ、消えてくれ」という、気づかれたら銃殺刑確実なテーマを忍ばせていたわけで。アベ死ねも表現のひとつでしょうし、それを言う表現の自由はありますが、申相玉監督の決死の覚悟に比較して、なんの工夫もない直截的な表現ですよね? わざわざ指摘するのもバカバカしいですが。

■指桑罵槐の正体は?■

さて、左派の安倍晋三元総理へのストレートな罵声の理由を、noteで丹羽薫さんが分析されています。指桑罵槐という兵法があります。桑の木を指差して槐の木を罵る、という意味。相手に直接クレームを入れたり命令を強制するのではなく、一見すると関係ないようなことを口にして、相手に真意を察するように仕向ける兵法。なぜそんな回りくどい、面倒くさいことをと思うかもしれませんが、命令で強制すると反発が起きやすいですが、半分自主的にやることで、心理的に屈服させる効果が大きいのです。では、彼らが安倍総理を罵倒する不利で、本当に指差してたのは? 有料ですが、読んで損のない内容だと思いますよ。

丹羽さんのネタバレにならないよう、自分は別の部分で書きますが。彼らインテリ、特に今回の川柳の選者で朝日新聞OBの方。御年82歳ですから、まさに60年安保の歳に20歳、大学時代は安保闘争のど真ん中です。そこで、自分たちの主張が、60数年の時を経た結果、ことごとく間違っていたのを認めたくないという面も、確実にあるでしょうね。日米安保、自衛隊、皇室、国旗、国歌……彼らは全部否定していましたが、いまや大衆の支持はそっちにはないです。

■ちっぽけな自尊心■

そして、彼らが褒めそやしたソビエト連邦に中華人民共和国に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)。全部、軍事独裁国家で、武力侵略もすればイヤガラセも執拗に繰り返す、軍事独裁国家だった。北朝鮮にいたっては、権力世襲に拉致に偽ドル札や覚醒剤密輸などの、ならず者国家でもあったことが、バレてしまいました。比較的マシなキューバでさえ、フィデル・カストロ議長から高齢の実弟ラウル・カストロ氏への、権力移譲が行われています。そう、福田恆存や葦津珍彦の方が正しかった。

でも「共産主義が宗教だと見抜けなかった、あの頃の自分たちは愚かでした」と言えず、安倍晋三総理を罵倒することで、自分たちは正しい・正義だと思いたい。ちっぽけなプライドにすがりついて、罵倒を繰り返す。でも、大衆は敏感に「コイツラ高学歴かもしれんが、人間的には屑だ」と気づきます。昔、皇居にロケット弾が打ち込まれた時、「あん人たちだって生まれたくて皇族に生まれたわけではなかんべ?」という、東北のおばあちゃんの素朴な言葉が、テレビスクランブルだったかで紹介されましたが。大衆は朝日新聞OB の上級国民様が思うより、大衆は誠実で賢明ですよ?

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